母よ、

母よ、

作品情報

原題 Mia madre
製作年 2015年
日本劇場公開日 2016年3月12日
製作国 イタリア・フランス
上映時間 107分
ジャンル ドラマ・恋愛>ハートウォーミング>ファミリー

あらすじ

映画監督のマルゲリータ(マルゲリータ・ブイ)は、様々な問題を一度に抱えてしまった。新作の撮影を開始したが、思うような映像が撮れない。さらに、離婚した夫との娘リヴィアは反抗期に突入していた。しかし、何と言っても一番心配なのは、入院中の母のアーダ(ジュリア・ラッツァリーニ)のことだ。兄のジョヴァンニ(ナンニ・モレッティ)が手作りの料理を差し入れたが、見舞いに駆けつけたマルゲリータに母は、家に帰りたいと嘆く。 マルゲリータとジョヴァンニは、医師から母の病状は重いと説明される。ジョヴァンニは静かに受け入れるが、マルゲリータは混乱してしまう。主役を演じるアメリカ人俳優バリー(ジョン・タトゥーロ)が到着するが、冗談なのかシリアスかわからない発言で周囲を煙に巻く。歓迎のディナーで酒を飲むとハイテンションで深夜まで騒ぎ、マルゲリータは早くも撮影の無事を危ぶむ。 病状が進行して呼吸困難に陥った母は、集中治療室に入ることになる。気管を切開して声を出せない母を、リヴィアが退院してラテン語を教えてくれるのを待っていると励ますマルゲリータ。看護師にあと5分ですと追い立てられると、母はノートに「あなたがいるのが一番の治療なのに」と書いて微笑む。 バリーは絶不調で、食堂のシーンでは何度も台詞を忘れ、挙句の果てに、脚本のせいにする。マルゲリータも負けずに言い返し、それぞれの鬱憤をぶつけるように、二人は激しく罵り合う。重い気持ちを抱えたまま病室へ戻ったマルゲリータは、今度はたったの数歩も歩けない母を怒鳴りつけ、母の胸で泣きじゃくってしまう。 マルゲリータは、家にバリーを招待する。手料理でもてなすジョヴァンニと、笑顔のリヴィアが作ってくれた和やかな空気のなか、バリーはさり気なく自分が人の顔を覚えられない病気だと打ち明ける。仲直りの乾杯にワイングラスを掲げる二人。マルゲリータとジョヴァンニは、医師から母が余命わずかだと宣告され、何の助けにもなれないマルゲリータ。やがて心を落ち着け、選んだ道とは──。

新着感想・ネタバレ

s_p_n_minacoの感想・評価
私小説ならぬ私映画のナンニ・モレッティ。今回はマルゲリータ・ブイ扮する映画監督にモレッティ自身が託されていて、本人は兄役で出演。いつも通り、主人公は思うようにならない現状に嘆きジタバタ悩み自虐的でレフトな理想主義者だ。面倒臭い彼女以上に扱いの面倒臭い米国人俳優が絡み、カオスがカオスを呼ぶ。何もかも無意味、とヤケクソになるものの、周りの人々は温かく忍耐強く、そのギャップがトホホと可笑しい。一人称視点ゆえ、どこまでが妄想か曖昧な所が面白く、映画内映画撮影の現場でモレッティ演出の一端が伺える。
死を迎えるミア・マードレは何だか守護天使みたいでもあり、教師と映画監督、母と娘、似て非なる関係。ラテン語なんか勉強しても無意味かもしれないし、映画で現実を変えようとしても無意味かもしれない。でもDomaniがある。モレッティ自身にはそんな台詞言えないけど、マンマなら言える。寄る辺ない不安を断ち切る魔法の言葉。父、息子、母ときてやっぱりブレない私映画であった。好き。
Junichi__Nakamuraの感想・評価
20160403
JB
kaikenの感想・評価
心より敬愛するモレッティ。とても氏らしい良い映画だった。監督は傲慢なクソ野郎だし、映画の仕事なんて最低なんだけど、それでも「人生」という映画では自分は監督でもあり脚本家でもあり役者でもあるのだ。そしてその作品の制作には自分自身以外にも多くの人が関わっているから、決してすべてが思うようにはならないし、場合によっては脇役にもなるし(本作ではモレッティ自身は脇役)、キューブリックにおけるバリーのように登場機会すらないかもしれない。もしかすると作品として意味がないと思うかもしれない、何も残らないと感じるかもしれない。それでも上映後にそれを見た人たちがポツリポツリと作品について言い合えればそれで良いように思う。モレッティ自身が自分の監督作品によく役者として登場するのも人生とは映画であるということを反対側から体現してみせているのかもしれない。
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