2017年12月27日更新

ラース・フォン・トリアー監督の心が激しく揺さぶられるおすすめ映画10選

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ラース・フォン・トリアー
©Tim Brakemeier/dpa/picture-alliance/Newscom/Zeta Image

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ラース・フォン・トリアーは超猛毒映画監督

Von-Trier
1956年4月30日、ラース・フォン・トリアーはデンマークはデンマーク、コペンハーゲン生まれの映画監督、脚本家です。世界で最も成功した、影響力のある映画監督の一人として広く知られています。 ラース・フォン・トリアーは1956年4月30日にコペンハーゲン、デンマークで生まれます。彼の育った家庭は無神論を支持しており、「感情・宗教・楽しみを家庭に持ち込まない」、「子供には規則を作らない」という方針が人格形成に大きな影響を与えたと自身は語っています。 11歳の時、母親に買ってもらった8ミリカメラで自主制作の映画を撮り始めます。ラース・フォン・トリアーは1979年にデンマーク映画学校に入学し、映画演出を学びます。 在学中に、『Nocturne』と卒業制作の『Image of Liberation (Befrielsesbilleder)』の2本の短編映画の監督を務めます。この2本の短編映画はミュンヘン映画祭で短編賞を受賞しました。 ラース・フォン・トリアーは「ドグマ95」というデンマークの映画運動を始めた事でも有名です。「ドグマ95」には「純潔の誓い」と呼ばれる10のルールがあり、「カメラは手持ち」、「人工的な照明は禁止」といったような条件で撮影するという映画監督集団による実験的プロジェクトです。 また、ラース・フォン・トリアーは憂鬱、恐怖症持ちでしばしば苦しまれていたそうです。インタビューでは「基本、映画製作以外、人生の全てが怖い」と語ってることでも有名です。

1:現実と虚構と伝染病

southpumpkin ラース・フォン・トリアーによるヨーロッパ三部作、第二弾。監督(トリアー)と脚本の男が映画の脚本を作る過程とその映画を交互に見せる、というかなり変わった手法。劇中劇は感染症のお話なのだが、現実世界でも謎の感染症が蔓延していて・・・。という、どっから考えたんだこんな話、というあらすじなのですが、内容は以外とあっさりというか、本編と関係のない会話が多いイメージ。トリアーと劇中劇が何の予告もなく切り替わるので今どちらなのかを確認するのが必死です。とはいえ、ラストの圧倒的な恐怖シーンは見物です。もうラストシーンを撮りたいがために作ったような映画です。映像至上主義な印象があったヨーロッパ三部作ですが、個人的には本作が一番鑑賞しやすかったかな、という感じです。 これでトリアー作品をコンプリートです。これからも傑作を生み出し続けてくだされ!
『エピデミック』は1987年に制作されました。監督はラース・フォン・トリアー、脚本はニルス・ヴィセルと共作です。作品内では二人がが本人役かつ主役で出演しています。 ラース・フォン・トリアーとニルス・ヴィセルが映画製作の為、「伝染病が世界中に蔓延する物語」の脚本を執筆している傍ら、現実世界でも伝染病が蔓延し出す、といった物語です。非常に実験的な映画と言えるでしょう。

2:ヨーロッパが抱えた大きすぎる闇

southpumpkin ヨーロッパ三部作の最終話。こちらもVHSでの鑑賞でした。 終戦後のドイツにやってきたアメリカ人ががんばるんだけど思いくじかれる話。”ヨーロッパ”が死や憂鬱の暗喩になっている点が処女作『エレメント・オブ・クライム』と比べると明確になっていたように思います。しかし相変わらず実験的な映像であることには変わりなく、かなり鑑賞しづらい映画だと言えます。この映画で賞を取ったトリアーがぶち切れた話は有名ですが、明らかに商業的な映画ではない本作の受賞が不本意だったというのであれば納得がいきます。 とはいえ最高に眠いです。何度か巻き戻してようやく鑑賞することができました。
1991年、デンマーク映画『ヨーロッパ』がラース・フォン・トリアー監督、ジャン=マルク・バール主演で制作されます。シッチェス・カタロニア国際映画祭でグランプリ、第44回カンヌ国際映画祭で審査員賞、芸術貢献賞、およびフランス映画高等技術委員会賞を受賞という快挙を成し遂げます。 『ヨーロッパ』はラース・フォン・トリアー監督による『エレメント・オブ・クライム』、『エピデミック』に次ぐ、三部作の最終作になります。 第二次世界大戦後、ドイツ系アメリカ人のレオ・ケスラーはドイツで鉄道会社に勤めます。しかし、彼の仕事が政治的に敏感な立場にあり、レオ・ケスラーは様々な人間が「彼を利用しようしている」事に気づき始めます。

3:愛と信仰にぶっ潰される

deri0930 エミリーワトソンに脱帽。善意に命を全うするということ、究極の愛。
wauaw 章の区切り毎に挿入される曲がどれも秀逸。作品の素晴らしさを引き立てている。
『奇跡の海』は1996年に制作されたラース・フォン・トリアー監督、エミリー・ワトソン主演、ステラン・スカルスガルド助演のデンマーク映画です。1996年カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを獲得、1996年ヨーロッパ映画賞で3部門を受賞を果たします。 また、エミリー・ワトソンは1996年ヨーロッパ映画賞年間女優賞、全米映画批評家協会賞、ニューヨーク映画批評家協会賞、1997年英国映画テレビ芸術アカデミー賞、女優賞などを受賞、1996年アカデミー主演女優賞にもノミネートされます。 1970年代、スコットランドのとある長老教会の影響が濃い小さな沿岸の町で、信仰心の薄いべスは保守的な村人の心配を振り切り、油田労働者のノルウェー人のヤンと愛し合い、結婚します。幸せな新婚生活を送っていましたが、やがてヤンは働くためにべスを残し、油田へ戻ります。 一人残ったべスは、寂しさから教会で「ヤンが家に帰ってくるように」と祈り始めます。しかし、帰ってきたヤンは油田で頭部に重傷を負い、一命を取り留めたものの全身麻痺状態になってしまいます。 べスは自分が祈ったせいだと罪悪感にさいなまれ、そして病室にいるヤンとの会話がきっかけでべスは...

4:危険すぎる障碍者の真似

ihkpp 障害者のふりをしてるいたって健康な人たちの話 やってることはオイオイて感じだけど撮り方がドキュメンタリーぽいから変な感じがした
『イディオッツ』は1998年、ラース・フォン・トリアー監督・脚本で制作されました。また、日本では公開されなかった「ドグマ95」の2番目の作品としても有名です。 コペンハーゲンの郊外に、「イディオッツ」と呼ばれるグループが全ての制限を打ち壊し、「内なる白痴」を暴くため集まります。幼い子供を失ったばかりのカレンは偶然レストランで「イディオッツ」に出会う所で物語は始まります。

5:どんなに過酷な現実でも、歌い続けろ

o325 将来、遺伝性の病気により失明する息子のため、貧乏暮らしの中密かに貯金をしていた母親。歌と踊りを誰よりも愛していた彼女だが、自らも刻々と視力を奪われていく。 言わずもがの今作。観る決心がつくまでに約3年かかった私ですが、素直に観てよかったと感じました。 自己犠牲愛結構、母性愛結構!ですが!!余りにも理不尽な世界にやはりやるせない思いを持ってしまう。悲劇を嘆く映画でもなく、救いを求める映画でもない。では何が言いたいか、言葉には出来ない。ただここまで自分のちっぽけさを感じる映画もないだろう。 現実と非現実を静寂とミュージカルでまとめあげカメラワークはまるでそこに自分がいるかのような演出。全てがこの映画を作り出すのにマッチしていたように思います。 そして、ビョークの歌唱力・表現力は圧倒的であり、儚く脆いに関わらず強さを感じる。ラース・フォン・トリアー監督が「ビョークはセルマであり、セルマはビョークだった」と述べたように、彼女なしでは成立し得なかった作品であることは間違いないです。
2000年、ラース・フォン・トリアーが監督・脚本を務め、歌手のビョーク主演で『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は制作されました。『奇跡の海』、『イディオッツ』に次ぐ「黄金の心」3部作の3作目としても有名です。 2000年の第53回カンヌ国際映画祭では最高賞であるパルム・ドールを受賞。また、主演のビョークも主演女優賞を獲得しました。 ビョークが音楽を担当し、トム・ヨークとデュエットした主題歌『I've seen it all』はゴールデングローブ賞、アカデミー賞の歌曲部門にノミネートされる快挙を果たします。 1960年代、チェコからの移民セルマは貧しいながらもハリウッド映画のような生活を夢見ながら女手ひとつで息子のジーンを育てるため、アメリカの工場で気心の知れた仲間と働いていました。しかし、セルマは遺伝性の病で段々と視力は失われつつあり、息子のジーンも手術をしなければ失明の危機にありました。 ジーンの手術費用のためお金を一生懸命貯めるセルマですが、視力低下が原因の仕事の失敗で工場をクビになり、貯めていたお金も盗まれてしまいます。

6:人間は信じられない

Ayano_Jinnouchi 私の中でダンサーインザダーク、偽りなき者、ファニーゲームなどと並ぶレベルで胸糞悪い映画でした。 あぁ人間ってこんなにも弱くて醜くて汚いんだ!って思わされてしまうくらい強烈に描かれています。閉鎖空間て恐ろしいなと改めて感じました。 舞台の大部分を占めるのは地面にチョークで仕切りを描いただけの村で、かなりの低予算映画でもあります。 エンドロールの曲は無駄に明るくて、さらに追い討ちをかけられるというか沈みましたね。
『ドッグヴィル』は2003年、ラース・フォン・トリアー監督・脚本、ニコール・キッドマン主演で制作されました。2003年のカンヌ国際映画祭コンペティションにノミネートを果たします。 また、『ドッグヴィル』はラース・フォン・トリアー監督の「アメリカ合衆国-機会の土地」三部作の一作目とされています。白線とセットのみの舞台で撮影された本作は実験的な手法として注目を集めました。 人間の「本性」を無視した観念的な道徳の無意味さを見事に描ききった映画です。 大恐慌時代、「ドッグヴィル」と呼ばれるコロラド州の鉱山町に何者かに追われる身のグレースが逃げ込みます。住人達はグレースが住人の為に働くことを条件のもと、嫌々グレースを町に受け入れます。 グレースと住民たちの関係は次第に良くなってい行きますが、しかしグレースには秘密がありました。

7:奴隷制度を考え直したくなる

whentheycry ドッグヴィルの何かも引継ぎながらも「奴隷制度」という明確なメッセージ。 冒頭でドッグヴィルで語られた「傲慢」という言葉が使われるけどどう見てもラストはやはり主人公が1番傲慢に見える。 そしてドッグヴィルと同じくショッキングなエンディング。 正直あのエンディングはもう二度と見たくないけどキング牧師の話をするよりああいうものを見せた方がよっぽど学ばなきゃいけないことがわかるんじゃないかな。 最後のナレーションも印象的。
2005年、『マンダレイ』はブライス・ダラス・ハワード主演で製作されました。『マンダレイ』でラース・フォン・トリアーは、2005年のカンヌ国際映画祭コンペティションに通算7本目のノミネートを果たします。 また、『マンダレイ』は「アメリカ合衆国 - 機会の土地」三部作の2作目になります。前作の『ドッグヴィル』ではグレースをニコール・キッドマンが演じましたが、続編となる本作はブライス・ダラス・ハワードがグレースを演じます。 『マンダレイ』も前作の『ドッグヴィル』同様、建物を表す白線を引いただけの実験的な手法で撮影されました。観念的な「多数決主義」や「自由主義」を力づくで押し付けることや、人間を類型に当てはめようとすることの愚かしさを描きます。 舞台は1933年のアメリカ南部、アラバマ州のマンダレイと呼ばれる農園です。ドッグヴィルを去ったグレースは父親とともにマンダレイにたどり着きますが、そこでは白人達が黒人を奴隷のように扱っていました。 グレースは父親に反対されるも、正義感から奴隷解放、民主主義を目指し奮闘しますが...

8:カンヌで気絶者続出

Megu_Komatsu カンヌ史上最もショッキングな問題作いわれている映画です。なかなかレンタルがなくやっと観れた。本当に痛々しく、えげつない描写に目をやるのが辛かった。でも美しい映像でどんどん引き込まれていきます。ストーリーも深く、とても面白い映画だった。私は結構好きです。ただ、本当に心の準備が必要。
goliath6969 いやー、この監督はもう......どうしようもないですね(笑)
2009年、『アンチクライスト』はラース・フォン・トリアー監督・脚本、夫婦役でシャルロット・ゲンズブールとウィリアム・デフォーで制作されます。 二人で愛し合っている最中、息子を転落事故で失います。深い悲しみと罪悪感にさいなまれている妻の為、セラピストでもある夫が森の中にある小屋で妻を治療することを決心しますが...

9:結婚と世界の終末

igagurichan 私はスコア5をつけましたが、色々いっちゃってるトリアー監督の作品なので観る人によって評価が全く違う作品だと思います。 冒頭の映像が絵画のように美しい。 だが、心が不安定になる。 第1部、結婚披露宴。人間の嫌な所が見え隠れする。幸福な場面のはずなのに鬱々と時間が過ぎる。主人公のぼんやりとした瞳。奇行。 第2部、地球の終焉。 人生に落胆した重い鬱状態の主人公。 しかし惑星メランコリアが地球に衝突するかもしれないと分かる。いや、彼女は第1部の時から分かっていた。彼女にとっては、これこそないハッピーエンド。動揺する回りを後目に、落ち着き始める彼女。姉との対比も良かった。 特に第2部では、世界の終わりなのに登場人物が非常に少ない所も良い。 近づくメランコリア。恐ろしくも美しい。 ワーグナーが流れる。2001年のオマージュ? 最高のディザスタームービー。
『メランコリア』は2011年にラース・フォン・トリアー監督・脚本、キルステン・ダンスト、シャルロット・ゲンズブール、キーファー・サザーランド出演で制作されます。主演のキルステン・ダンストは『スパイダーマン』でヒロイン役を演じていたことも有名です。 映画のアイデアはラース・フォン・トリアー自身が憂鬱に苦しんでいた頃に参加したセラピー・セッションがきっかけでした。 巨大惑星メランコリアが地球に衝突するまで、残り時間の限られた地球で過ごす様々な人間模様を描いたストーリーです。

10:ラース・フォン・トリアーにしては珍しく笑える

mazda620 異常な性欲の塊、色情狂こと、ニンフォマニアックの続編。ここ1.2年でトリアーの凄さを知った私にとってはトリアー映画、初の映画館鑑賞となる作品でした。 欲望がストレートに純粋にだだ漏れだったVo.1に比べて、欲を抑えることでさらに湧き上がる欲情てきなVo.2。開けちゃダメだよって書いてあると開けたくなる、知らなくていいことだよと言われると知りたくなる、ダメと言われると欲しくなる、カリギュラ効果。制限されることで、その制限に反抗したくなるきもちがわく。その欲が満たされる瞬間が目の前にあるとわかっているとなおさらで、我慢できないというきもちが強いほど満たされた時のきもちも強いと思う。 ラスト何故"ああいうこと"になったのかはまさにカリギュラ効果なのかなと思う。人の心理に絶対なんてないと思う、みんな互いに影響しあってる、誰かは誰かのことをみて何かを感じてる、"感じる"という感情があり続ける限り人のきもちなんていくらでも変化する。私たちの感じてることは言葉なんかじゃ説明できないから、定義付けだってできないし、どこにも本当は属さない。私は無欲なんてないと思っていて、人なんて欲望の塊だって思ってる、そんな人々に圧倒する。ラストに唖然としながらも、なんて人間らしいんだろうって。今までの言葉に矛盾が生まれてしまったとしても、体が反射的に?本能的に行動したことに嘘はないと思う。人間くさい。私たちは欲望の塊だけどそれを恥じる必要はないのだと。 こんなに人間を表すのがうまい人いるんですか、汚いとかじゃない、これが純。トリアーは人間をなんだと思ってるんですかね。あと500万回みても理解できないんだろうな。 何故かラスト、"その直前"までを見て、欲に溢れて欲を求めて、欲に苦しみ、それを堪える彼女をみてて若干半泣きで観ていたのに、最後のその瞬間に、それはもうなんかなんとなくわかっていた展開にも関わらず、圧倒されて瞬きもできなくて、出そうだった涙は一時停止みたいに止まって、空いた口が塞がらず、なんでこんなに構えてたにも関わらず衝撃を受けたのか不思議。人の心理が面白すぎる、超絶人間。正直ドン引きなのに、賞賛したいきもちもあって、面白いと思いながら悲しくなったり虚しくなったり自分の感情を疑う。トリアーを拝みたい。
『ニンフォマニアック』はラース・フォン・トリアー監督・脚本、シャルロット・ゲンズブール主演、二部構成で2013年に制作された映画です。『ニンフォマニアック』では「女性のセクシュアリティ」を描きました。 色情狂の中年女性ジョーの誕生から50歳までの「性の遍歴」を初老の男性セリグマンに語る物語です。セリグマンはジョーの「性の遍歴」に彼の博識で応じます。