2017年7月6日更新

火野正平が渋かっこいい!大人の魅力に迫る8つのこと

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火野正平

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1.脇役で光る俳優、火野正平

火野正平は1949年5月30日東京都目黒区生まれの俳優で、シーズ・マネージメント所属。本名および旧芸名は二瓶康一と言います。芸名の火野正平という芸名は小説家の池波正太郎さんが名付け親だそうです。 父の転勤で中高生の時に大阪に住んだことがあるため、現在も時々関西弁が出ます。 1960年から二瓶康一名義で『少年探偵団』などに子役で出演後、1961年に「劇団こまどり」に入団。1963年『忍者番号十七番』、1964年『まぼろし城』、1964年『天兵童子』など多くのテレビ番組に子役で出演し、活躍しました。大人になると、『おも舵とり舵』や『刑事くん』などに端役で出るようになりました。 転機になったのは1973年放送の『国盗り物語』で、木下藤吉郎(豊臣秀吉役)を演じたこと。ちょうどこの時から火野正平名義で活動するようになっています。

2.シリーズ物で活躍する火野正平

火野正平というとシリーズ物のドラマによく出ているイメージがありますが、その中でも当たり役と思われる作品を二つ紹介したいと思います。

必殺シリーズ

火野は、必殺シリーズに何本か出ています。初出演の『新・必殺仕置人』では「正八」役として仕置相手の情報収集と仕置の段取りを担当。表稼業の絵草子屋の地下は、仕置人グループの隠れ家となっていました。 次の『江戸プロフェッショナル・必殺商売人』では、表稼業は絵草子屋足力屋なる足踏みマッサージ屋に転業し、不忍池の畔にある灯台を住まいとし、番人も兼ねていました。前作と同様、この灯台は商売人グループの隠れ家となっていました。 『翔べ! 必殺うらごろし』は「正十」役でやはり情報収集と一行の世話を行います。「正八」との共通点が多く見られます。その他にも単発物の特別編に出演しています。

ザ・ハングマンシリーズ

火野は、必殺シリーズの現代版とでも言うべきザ・ハングマンシリーズにも出演しています。最初は一作目の『ザ・ハングマン』で火野正平似のエキストラという役でゲスト出演した後、『ザ・ハングマンV』では、エジソン(星野良一)というコードネームで頭脳派としてメカニックを担当しました。 エジソンはメカの製作費をケチって失敗することも多く、無類の風俗好きで、ギャラの一部を前借りしたのがきっかけになって犯罪に巻き込まれ、逮捕されたことがあります。 火野は歌手活動をしていることも有名ですが、『ザ・ハングマン6』と『ザ・ハングマンGOGO』ではエンディングで「だまって俺についてこい」を歌っています。

3.「芸能人プレイボーイの元祖」との呼び名も!

火野正平は恋多き男で、新藤恵美から小鹿みきやホーン・ユキ、りりィ、西川峰子といった女優と浮名を流し、ワイドショーを賑わせました。平成に入ってからも、羽賀研二とも噂があった染谷まさ美との交際が噂され、「芸能人プレイボーイの元祖」などと呼ばれます。 しかし、浮名を流す割に悪評はほとんどなく、山城新伍は「あいつは女と別れる時も後腐れなくきっちりやる」と評しているのです。 また、二田一比古は
「噂になる相手はいつもドラマなどで共演した2番手女優、3番手女優、タイムキーパー、マネージャーなどの一般女性の裏方だ。主役級の女優に手をださなかったのは、火野自身は脇役的な立場なので、主役級の俳優に気を遣っていたためだろう。ある意味、業界のルールを守っていた」
と語っています。

4.一般女性と事実婚をしている自由人!

私生活では1970年、同棲生活をしていた一般女性と結婚、1男1女を設けるも1972年別居を経て離婚しました。その後、1982年には同棲をしていた一般女性(元鳳蘭のマネージャー)との間に、2人の女の子が生まれて認知し、この女性とは事実婚の状態で暮らしています。 なお、実は離婚届を出せず、2016年に先妻と戸籍上は40年以上婚姻関係が続いていることが判明しました。

5.「にっぽん縦断 こころ旅」が大人気!

そんなプレイボーイな経歴は横に置いておいて、長年俳優として活躍してきた火野正平ですが、2011年から始まったNHK BSプレミアムの紀行番組「にっぽん縦断 こころ旅」に出演。自転車少年だった火野が、視聴者からの手紙を頼りに自転車で全国を巡り、老若男女を問わず出会った人の心を鷲掴みにしてきました。 実はこの番組は東日本大震災直後の2011年4月に放送開始したため、火野自身は「中止か延期になる」と思っていたそうです。それが今ではどんどん続編が作られる人気番組に成長しました。

6.自転車、サイクリングファッションがかっこいい!

火野が番組で使用している自転車(通称チャリオ)はかっこいいと評判ですが、イタリアのトマジーニというブランドの「シンテシー」という車種です。昔ながらの素材で、昔ながらの製法で造られているロードレーサーです。 お値段はフレームセットで約35万円以上する高級品です。フレームだけなので別途、車輪やハンドル、サドル、変速機などのパーツが必要です。 サイクリングファッションも好評で、ブラウンとグレーを中心にアースカラーで統一されたコーディネートが肌の色に合っていていい感じです。年相応に渋い色でキメながら、ワンポイントで派手な色を使うセンスも脱帽もの。可愛さすら感じさせます。

7.メガネと帽子が人気の秘密?

火野正平は加齢を逆手に取ったファッションセンスがあって、小物にも抜かりがないです。メガネはクリックリーダーの老眼鏡「リーディンググラス」というもので、フロント部分がマグネットで着脱自由。使わない時は首から下げておけるので、置き忘れたり、紛失することが少ないそうです。何種類も持っているようです。 帽子はボヘミアンというブランドのワッチキャップを愛用しています。柄が豊富です。ちなみにワッチキャップは諸説ありますが、アメリカ海軍が見張りの時にに防寒でかぶっていたので「ウォッチキャップ」、それが鈍って「ワッチキャップ」になったそうです。ずばり似合っていますよね。

8.火野正平の若い頃が濱田岳に激似?

実は「火野正平」で画像検索をしていると、かなりの確率で濱田岳の画像が混じっています。実際、若い頃の火野と比べると似ていると思います。 明石家さんまは、『さんまのまんま』に火野が出演した時にいきなり親子説について触れました。自身が司会を務める『ホンマでっか!?TV』に濱田が出演した際、進行を台無しにされた過去があったそうで、「息子に文句言うといてくださいね」と火野に一言。 これに対して「いつ作った息子やろ…? まあ、かわいいから息子でええか」と、とぼけて返しました。実際は会ったこともないそうで、親子関係を完全に否定しました。