2016年8月30日更新 1,280view

宮崎吾朗、宮崎駿の長男は父の才能を受け継いでいるのか?

多くの傑作をうみだし、アニメ界に燦然と輝く父・宮崎駿を父に持つ、宮崎吾朗。異色の経歴と初監督に至る経緯、また才能に関してなど、宮崎吾朗についてまとめてみます。

スタジオジブリ監督の宮崎吾朗は宮崎駿の長男

宮崎駿

宮崎吾朗は、宮崎駿の長男として、1967年1月21日、東京都に生まれました。母も元アニメーターの宮崎朱美で、3歳下の弟の宮崎敬介は版画家として知られています。

幼い頃、埼玉県所沢市に引っ越して、幼少期から小中高時代を過ごしました。所沢高等学校では山岳部に所属し、山に熱中します。それがきっかけで、信州大学農学部森林工学科に進みました。山好きだった以外に、自然環境保護にも興味があったというのが進学の動機だそうです。

ファーストキャリアは映画業界じゃなかった!

宮崎吾朗

大学で学んだことを生かし、卒業後は、映画・アニメ業界ではなく、株式会社森緑地設計事務所に入社します。建設コンサルタントとして、様々な種類の公園の設計や、ランドスケープデザインに携わっていました。

その後、スタジオジブリで美術館建設の企画が立ち上がり、宮崎吾朗に声がかかります。1998年、設計事務所を退職し、スタジオジブリに入社しました。

三鷹の森ジブリ美術館の設立に尽力

ジブリ

スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫に誘われ、父の念願だった美術館建設に向け設計に着手します。

3年の月日をかけ、宮崎駿のイメージによる断面スケッチと現実的諸問題を解決し、見事「三鷹の森ジブリ美術館」設立を成し遂げます。アーティストである父と、建設にあたっては専門家である吾朗は度々衝突し、白熱した議論が重ねられた仕事だったことで知られています。

2001年10月1日に三鷹市下連雀にある都立井の頭恩賜公園西園内に開館し、宮崎吾朗は2005年6月まで初代館長もつとめました。本功績が高く評価され、2004年度芸術選奨では、芸術振興部門の文部科学大臣新人賞を受賞しています。

映画監督としての才能が開花!『ゲド戦記』で監督デビュー

ゲド戦記

2005年、宮崎吾朗が三鷹の森ジブリ美術館館長の職を辞任したのは、ついにアニメーション監督の分野に足を踏み入れるためでした。鈴木敏夫の推薦に、当初、宮崎駿は強く反対していたようですが、初めて吾朗の描いたスケッチを見て、了承することに。

こうして2006年7月29日に劇場公開された『ゲド戦記』で、監督デビューを果たします。宮崎駿の絵物語『シュナの旅』を原案とした、エンラッドの王子・アレンとヒロインのテルーを中心とする壮大な旅の物語です。吾朗は監督のみならず、脚本、挿入歌『テルーの唄』の作詞、アニメ・レイアウト等にも携わり、マルチな才能を開花させました。

『コクリコ坂から』で日本アカデミー賞を受賞

コクリコ坂

2011年7月16日には、待望の監督二作目『コクリコ坂から』が劇場公開されます。佐山哲郎原作、高橋千鶴作画の漫画を原作とし、昭和高度成長期の日本を舞台に、ティーンの少女と少年の愛と友情、青春群像をみずみずしいタッチで描きました。企画・脚本は宮崎駿が担当しています。

本作は、第35回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞し、宮崎吾朗は名実ともにアニメ映画監督としての地位を確立しました。

2014年『山賊のむすめローニャ』でTVアニメに挑戦!

ローニャ

出典: www.hulu.jp

2014年には、初のTVアニメ作品に挑戦します。NHK BSプレミアムで2014年10月11日から2015年3月28日まで全26話に渡って放送された『山賊のむすめローニャ』です。

互いに敵対する家族に生まれた、山賊の娘ローニャと少年ビルクの活躍を描く、スウェーデンのアストリッド・リンドグレーンによる児童文学が原作です。CGと手書きを融合させた美しいアニメーションは国内外で高く評価され、2016年には、権威ある国際エミー賞アニメーション部門で最優秀作品賞を受賞しています。

父親・宮崎駿との関係性

宮崎駿

当然のことながら、多忙な宮崎駿は家を留守にすることが多く、とりわけ幼少期はまるで母子家庭のような状態だったようです。ただ、父親の作るアニメは子供の頃から大好きだったそうで、ファンの一人であることを堂々と自認しています。

それでいて、美術館設立や初監督としてデビューするときの経緯など、親と子を超えたクリエイター同士、衝突を厭わなかった点など、プロとしてある種の厳しさも保った関係でもあるようです。

押井守や庵野秀明との関わり

押井守との関係

押井守

出典: antenna.jp

一時宮崎駿の個人事務所「二馬力」に所属していた押井守とは、吾朗がまだ高校生だった頃から親交があり、それは今も続いています。吾朗自身、押井守のアニメ作品の大ファンで、当時は『風の谷のナウシカ』より押井の 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の方が面白く感じていたとか……。

初監督作品『ゲド戦記』に関し、賛否両論が巻き起こった際にも、押井守は高く評価していました。一方では『コクリコ坂から』の欠点を鋭く指摘したりなど、生ぬるくない、良い関係を築いているようです。

庵野秀明との関係

庵野秀明

出典: antenna.jp

『風の谷のナウシカ』の重要シーンを担当していることでも知られる庵野秀明。そして庵野は、『ゲド戦記』を初監督する吾朗の絵コンテを見て、その才能を見抜いたとされています。かたや吾朗も、庵野秀明を深く尊敬しているようで、宮崎駿の後継について聞かれたインタビューでは次のように答えています。

「自らのスタジオを持ち、原作・原案から手がけてアニメを作る真似はできない。そういう作家性を持った人といえば庵野さんだと僕も思う。僕は、与えられた場があって、その時に初めて仕事ができる」
引用:oricon.co.jp

宮崎吾朗監督作品の評価

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建築設計の仕事をし、素人同然でありながら、『ゲド戦記』初監督に猛反対だった父の宮崎駿を黙らせたという才能は、かねてから高く評価されてきました。生み出した三作品が、作品ごとに評価を上げたことがそれを証明しています。特に、最も新しい作品である『山賊のむすめローニャ』の世界的評価は、決定的なものでした。

同作のプロデューサーである川上量生は、次のようにコメントを寄せています。

CGアニメが未経験の宮崎吾朗監督が手描きのアニメの画風を3DCGで再現することに挑戦したことは大きな賭けでした。しかし、この賭けはスタジオジブリ作品に代表される良質の日本アニメの伝統を将来にわたっても受け継ぐためにはどうしても必要なものでした。ローニャの受賞はこの試みが成功したことのなによりもの証明となるでしょう。
引用:oricon.co.jp

宮崎吾朗

2006年の遅いデビューからこれまで監督したのは3作品のみと、決して多作ではありませんが、次回作ではどんな世界を見せてくれるのか、本当に楽しみです。

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