2016年8月29日更新 2,309view

野沢雅子、声優界のレジェンドの凄すぎるキャリアに迫る9のこと

80歳を迎えつつある現在も、ロングラン作品『ドラゴンボール』を始め、常に第一線で活躍を続ける野沢雅子。芸能界デビューの経緯、少年キャラを演じたきっかけや出演作に関するエピソードなど、声優界のレジェンドについて迫りたいと思います。

声優界の大御所・野沢雅子

野沢雅子

出典: natalie.mu

野沢雅子(本名:塚田雅子)は、東京都日暮里出身、1936年10月25日生まれの声優・女優・歌手・ナレーターです。身長は157cmで血液型はO型、役者仲間からは「マコさん」の愛称で親しまれています。

一時は独立し「オフィス野沢」を設立しましたが、現在は古巣の青二プロダクションに戻り、1991年に旗揚げした劇団「ムーンライト」の主宰・演出も務めています。私生活では、同じく声優の塚田正昭と結婚したものの、2014年に死別しました。

ひろし『ど根性ガエル』

言わずと知れた声優界の大御所で、アニメの代表作は『いなかっぺ大将』風 大左衛門役や『ど根性ガエル』ひろし役、『銀河鉄道999』星野鉄郎役。野沢と言えばこの作品、『ドラコンボール』シリーズの孫悟空役ほかを始め、多数の少年キャラを演じてきました。

一方洋画吹き替えでは、『普通の人々』や『ミッシング』などで、母親役や中性的な女性の役を演じたことも。『ネットワーク』を思い入れ深い作品に挙げており、女優と息遣いが同じでとてもやりやすかったそうです。

1:3才で子役としてデビュー

野沢雅子

出典: natalie.mu

具体的なデビュー作は不明ですが、3才の時に子役として映画デビューを果たしました。

叔母・佐々木清野が「松竹蒲田撮影所」の名女優だったため、自身が引退した後、姪を女優にしようと考えたのがきっかけだと明かしています。当時はテレビがほぼ普及しておらず、映画やラジオが役者の活躍の場だったと振り返りました。

野沢曰はく、物心つく前に芸能界入りしてしまったので、初めは自分から役者になりたいと思っていたわけではないとのこと。しかし、小学3年生の時に実家の姿見の前に立ち、”「私は女優になる!」宣言をしたらしい”というエピソードがあるそうです。

2:劇団活動の傍ら声優の道へ

野沢雅子

中学生の頃に劇団に入り、学校が休みになると東京へ行き舞台女優として活動する日々を送った後、高校卒業を機に上京。舞台が大好きだったそうですが、かつての役者に多い”赤字の劇団を支えるため”という理由で、声優の道へ足を踏み入れることになりました。

当時は全て生放送で、正確な声優デビュー作は本人も覚えていないため不明のままです。アニメデビュー作は、1963年放送の日本初の本格的テレビアニメ、『鉄腕アトム』(第1作目)のゲスト出演でした。

声優という職業が認知されない中、「声優と呼ばれることが嫌だった」と振り返る野沢。劇団を助けるために選んだ道とは言え、肩身の狭い思いをしながらやっていたそうです。

3:子役の代役のつもりで少年キャラを演じた?

野沢雅子

少年キャラを演じるようになったのは、声優界の草創期にテレビ初の洋画吹き替え放送。子役の代役として起用されたことがきっかけです。

生アフレコの時代なので、時間帯の都合で本当の子役を呼ぶわけにもいかず、誰に依頼するか大問題になったのだとか。そこでプロデューサは、成人した男性の声では野太過ぎると悩んだ後、”子どもと声帯が近い”女性を代役にしようと考えました。

急遽、大々的なオーディションが行われるも、”子役”だと事前に聞かされていなかった野沢はとても驚いたと言います。以降、少年役の吹き替えは女性が行う風潮になり、少年キャラの依頼も増加したそうです。

4:『ゲゲゲの鬼太郎』で鬼太郎役に

『ゲゲゲの鬼太郎』

出典: fundo.jp

『ゲゲゲの鬼太郎』は、正義感の強い妖怪族の主人公・鬼太郎が、人間と妖怪が共存する世界を目指して戦う様を描いた作品。1968年から続く5度のアニメ化、全ての音声・映像化作品を通して初めて鬼太郎役を演じたのが、アニメ初主演となった野沢雅子でした。

当時はまだ、声優と呼ばれることに少なからず抵抗があった一方で、この作品に参加するのはとても楽しかったそうです。同じ劇団出身の、大塚周夫や田の中勇との共演作というのも大きかったのでは?と、後に振り返っていました。

それだけに、3作目でキャスト交代が行われた際は、大切な役を再び演じられない悔しさがあったそう。その反面、孫悟空という生涯の付き合いとなる役に出会えて、「今思うとラッキーだった」と語っています。実は過去のフジテレビは、”同時に主役が出来るのは1作品だけ”というルールがあったのです。

5:『ドラゴンボール』といえば野沢雅子!

『ドラゴンボール』

現在もアニメ放送中の「ドラゴンボール」シリーズは、世界中に散らばる7つの玉を集めると、どんな願い事でも一つだけ叶えられるという秘法・ドラゴンボール。それを探す孫悟空らを中心に、友情と努力、バトルや冒険を描いたロングラン作品です。

野沢の担当キャラは、主人公の孫悟空とその父親バーダック、後に悟空とチチの間に誕生した悟飯・悟天の親子3世代。フュージョンによる合体戦士など、その他のキャラまで含めると相当の数に及びます。野沢雅子無くして、「アニメ『ドラゴンボール』は成り立たない」と言われるほど、重要な存在になりました。

やはり有名なのは、複数キャラ同士の会話シーンさえ同時にこなすという、その神がかった演じ分けです。演じているというよりも役になり切っており、絵を見ると自然にキャラが切り替わると語っています。

6:悟空の決まり文句はアドリブだった?

孫悟空『ドラゴンボール』

悟空と言えばこの決まり文句!というほど、もはやお馴染みになっている「オッス!オラ悟空!」ですが、実は野沢雅子のアドリブだったのです!一応似たような台詞はあるものの、もともとの原作マンガ、テレビアニメ本編共に一度も登場していません。

では一体、どこで聞くことが出来るのかと言うと、それはアニメ次回予告シーンのナレーション。毎回予告を担当する野沢が、前フリとしてアドリブの挨拶を入れたことから、視聴者を中心に広まったそうです。

7:ドラえもんの声優を務めたことがある!?

『ドラえもん』(1973年版)

1979年から放送中、主人公・野比のび太と未来から来たネコ型ロボット”ドラえもん”が繰り広げる、少し不思議な日常を描くアニメ『ドラえもん』。テレビ朝日の看板番組かつ国民的長寿作品に、日本テレビで放送されていた、”幻のドラえもん”が存在することはご存知ですか?

日本テレビ版において、3ヶ月で降板した富田耕生に代わり、2代目ドラえもんの声を務めたのが野沢雅子でした。少年キャラを多く演じている野沢らしい、陽気で明るいキャラだったとのこと。時々、「~なのよ」というオネェ口調が混ざるのも特徴だそうです。

放送期間はわずか半年(1973年)、放送局が変わったタイミングで大山のぶ代に交代しました。”ドラえもん=大山のぶ代”という方も多いようですが、大山は3代目だったのですね。

8:ラスカルで見せた驚異の役作りって?

『あらいぐまラスカル』

1977年放送のアニメ『あらいぐまラスカル』は、1914年から1915年の1年間の間に、主人公の少年・スターリングとあらいぐま”ラスカル”が過ごした日常。2人の友情だけでなく、成長したラスカルの姿を通して、人間と動物の共存を難しさを描いた作品です。

今作では、どうしてもラスカルの声(鳴き声)を演じたいとオーデションに参加し、見事に役を獲得しました。役作りにも真摯な野沢は、アライグマを理解すべく「上野動物園」を訪れたそう。時間があれば一日中、アライグマを観察し続けたという驚異的なエピソードがあります。

実に10日間も通い詰めた結果、学べたのは”アライグマは鳴かない”ということでした。その直後、ドキュメンタリー番組で偶然鳴き声を聞くことが出来たため、それを参考にしたそうです。

9:現在も第一線で活躍する野沢雅子

野沢雅子

出典: otocoto.jp

声優界の至宝と呼ばれる野沢雅子は、2016年の誕生日で80歳を迎えようとしている現在も、常に第一線で活躍しています。特に『ドラゴンボール』は新アニメ、劇場版などの制作が今も行われており、放送スタート時から変わらない悟空たちの声を演じ続けてきました。

近年は少年キャラだけでなく、『ONE PIECE』Dr.くれは役や『ぜんまいざむらい』だんごおばば役を始め、中年女性・老婆役も増えました。2016年9月3日公開の映画『みつばちマーヤの大冒険』など、過去に出演した作品の新作では、同じ役や新たな役でオファーを受けることも多くなっています。

そのほか、CMナレーションや顔出しのテレビ出演、イベントにも積極的に参加して各方面で活躍を見せている野沢。まだまだ衰えを知らず、”生涯現役宣言”をしたというレジェンドの今後から目が離せません!

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