2017年7月6日更新

大竹しのぶ、演技力が凄まじい女優の意外と知らない8つのこと

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大竹しのぶ

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日本を代表する大女優、大竹しのぶ

大竹しのぶは、1957年7月17日生まれ。東京都出身の日本を代表する演技派女優です。2011年には紫綬褒章を授与されたほど、映画や舞台などで才能を発揮しています。 代表作には、1992年の石井隆監督の『死んでもいい』があります。本作でキネマ旬報ベスト・テン最優秀主演女優賞、毎日映画コンクールでは田中絹代賞を獲得。また2003年には新藤兼人監督『ふくろう』で、モスクワ国際映画祭で最優秀女優賞を獲得します。 舞台作品では2007年は菊田一夫演劇賞、2010年は松尾芸能賞・演劇優秀賞を受賞しています。知る人ぞ知る伝説の少女漫画『ガラスの仮面』の主人公で天才女優北島マヤのモデルになったともいわれています。 しかし大竹しのぶの一般的なイメージは、人気テレビ番組のコメンテーターとしての発言から、「天然な人」という印象も強いのではないでしょうか。今回はそんな大竹しのぶの意外と知らない8つのことを紹介いたします。

1・ミーハーな気持ちでオーディションに応募

『ボクは女学生』に出演する大竹しのぶの貴重な映像!

大竹しのぶは、父が教師をしていたことから、将来は先生になりたいと考えていました。ところが、ある日ジャニーズのアイドルグループ「フォーリーブス」の北公次が主演をつとめるテレビドラマ『ボクは女学生』の共演者募集の告知を目にします。 大竹しのぶは、憧れていたコーちゃん(北公次)に会えるとミーハーな気持ちで受けたオーディションにみごと合格。11人の女子高生役ヒロインの一人となりました。

2・撮影所で田舎娘と呼ばれた女優が新人賞受賞!

大竹しのぶに、映画の話が持ちかけられます。『ボクは女学生』の脚本家である才賀明は、長いこと日活映画で活躍をしていました。その関係で、元日活映画所属の浦山桐郎監督の『青春の門』(1975)のオーディションがあることを聞きます。浦山監督は「女優育ての名手」と呼ばれ、吉永小百合や小林トシ江を大女優に育てたことでも有名な監督です。 大竹しのぶはさっそくオーディションを受け、結果は見事合格。牧織江役に抜擢されます。大竹の両親は、映画撮影となれば学校を休みがちになり、勉強がおろそかになること心配しました。 しかし、監督が父親の好きだった『キューポラのある街』(1962)を作った浦山監督だと知ると、態度は一変。頑張るように勧められたそうです。
1978年の続編となる『青春の門・自立篇』では、主人公の恋人役となり物語の重要な配役を演じます。映画クランク・イン前に浦山監督が、ヒロイン役となる大竹しのぶを撮影所に連れていくと、心ないスタッフが「田舎娘がヒロインをやれるのか」と陰口を言ったそうです。 それでも浦山監督の指示のもと大役を演じ切り、『青春の門』では、キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞やブルーリボン新人賞獲得しました。 続編の『青春の門・自立篇』では、キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞と日本アカデミー賞助演女優賞の他、他数の女優賞を受賞します。大竹しのぶの大女優へ一歩はここから始まりました。

3・24時間テレビ「愛は地球を救う」の第1回メインパーソナリティー

テレビ局は、映画女優として多数の新人賞などで注目をあびている大竹しのぶを見逃してはいませんでした。現在では国民的なチャリティー番組になった、24時間テレビ「愛は地球を救う」の初回の出演者に抜擢されます。 第1回の総合司会メンバーは4人。萩本欽一、大橋巨泉、竹下景子と一緒に、若者代表として女優の大竹しのぶは、募金活動に励みました。

しのぶちゃんと呼ばれる24時間テレビの貴重な映像です!

チャリティパーソナリティーには、アイドルのピンクレディーがつとめるなど、それぞれの出演者の活躍によって大成功を収めた番組は、その後、長寿番組として今なお視聴者に感動を与え、社会貢献に一役かっています。

4・1982年に1度目の結婚

1982年に大竹しのぶは1度目の結婚をします。その相手は、TBSに勤務するドラマディレクターの服部晴治。彼はそのとき女優の中村晃子と同棲しており、事実上は婚約までしていたそうです。そのため、当時大竹の"略奪婚"と世間の注目を集めます。 中村は当時のテレビインタビューで彼女のことを「泥棒猫」とまで発言をしましたが、ふたりは別れることなく結婚しました。その後、服部は若くして胃がんに発病。大竹しのぶは、長期入院する夫を献身的に看病します。そして、がん告知をうけた夫との間に長男の二千翔(にちか)が誕生します。 1987年に惜しまれつつも服部は他界。葬儀はTBS緑山スタジオでおこなわれ、まだ幼い二千翔の手を引く大竹しのぶの姿に世間の多くは涙をしました。

5・1988年に明石家さんまと再婚

実は前夫の服部が亡くなる前、テレビドラマ『男女7人夏物語』で共演した明石家さんまとのデートが“不倫”スキャンダルと報じられ、またも世間を騒がせていました。 その後、1988年に“日本一のモテ男”と呼ばれた明石家さんまと再婚。長女で現在はタレントのIMALUを1989年に出産します。 その後も大竹しのぶは、家庭におさまることなく“魔性の女”として不倫を続けます。今度は舞台演出家の野田秀樹と交際したことで、明石家さんまとは1992年に離婚をしました。

6・「食わず嫌い王決定戦」では最弱王に

大竹しのぶは、人気番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」の中にあるコーナー、「食わず嫌い王決定戦」で、“最弱王”と呼ばれています。 多くの映画賞や舞台賞に輝く女優でありながら、嫌いな食べ物を口にした時に、対戦相手にその食べ物を好きなふりをして、嫌いなことをバレないようにする演技が出来ません。 大竹しのぶは、嫌いな食べ物を口に入れると表情が曇り、全身から嫌いなオーラが漂ってしまいます。何度やってもそれが出来ないことで視聴者の笑いを誘い、天真爛漫さもあいまって対戦成績は1勝もできていません。 彼女の演技力とは何かの役に成り切るとかではなく、心で思ったり感じたことを実直に表現できることが魅力な女優なのかも知れませんね。

7・映画『黒い家』での演技が怖すぎる

大竹しのぶは、当時の自由奔放で男性遍歴の激しさから “魔性の女”と言われましたが、そのことを彷彿させる役柄に挑みます。1999年に公開された森田芳光監督の『黒い家』では、保険業界の裏側を題材にした強烈なインパクトのある悪女の菰田幸子役を演じました。 映画公開時、日本にはまだあまりに馴染みのなかったサイコサスペンスホラーとしても話題となりますが、それ以上に観客からは、独特の雰囲気をもつ大竹しのぶの予測不可能な役柄が評判となります。 ショッキングな物語の終盤で、大竹しのぶが胸をさらけ出して、と叫ぶシーンなど、サイコパスな怖さとブラックな笑いの絶妙なバランスがあいまって怪演との絶賛をあびました。

8・ヤケドの演技でヤケドしたことがある

テレビ番組「笑っていいとも」の司会だったタモリが、大竹しのぶが登場したときに、舞台で“大竹しのぶがヤケドの演技をすると、その部分が本当にヤケドしたかのように見えた”という噂を確認します。 大竹しのぶは、笑いながら違うと否定するとタモリも拍子抜け。ところが、こう続けます。 “ヤケドではなく、ただれた演技をしたときの話” つまり、ただれた演技をしたときに、実際にその部分がただれたようにみえた、と言うのです。舞台上の大竹の、顔の左半面が見る見るうちに赤く腫れただれてきた…。お客さんも共演者もその演技力に驚嘆したそうです。 その時の様子を彼女は、自ら話しながらも「凄いなって思った」となんだか他人行儀の口ぶり。そのことに、タモリからはあなたが凄いと呆れられました。 ヤケドのようなただれもナチュラルに作ってしまう大女優としての大竹しのぶ。その演技力もさることながら、やはりゆったりとした天然ぶりの性格が周囲にとっては魅力的。”魔性の女”と呼ばれる表現者として類い稀にみる抜きにでた存在といえますね。