2017年7月6日更新

周防正行、コメディから司法まで様々なジャンルの映画でヒットを飛ばす映画監督

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Shall we ダンス?

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周防正行のプロフィール

周防正行は1956年10月29日生まれ、東京都の出身です。幼少期は野球少年でしたが、中学の時に肘を傷めてその道を断念したのだそうです。その後大学で、映画評論家の蓮實重彦の講義を受けた事をきっかけに、映画監督を目指す様になりました。 1984年の監督デビュー以来映画監督として活躍しており、代表作は『Shall we ダンス?』『それでもボクはやってない』『終の信託』などです。周防は日本の司法問題について疑問を持っており、2008年に加瀬亮が主演した『それでもボクはやってない』では痴漢の冤罪というテーマで日本の司法問題を扱っています。 1996年の『Shall we ダンス?』はダンス教室を舞台にしたドラマで心温まるヒューマンドラマ。2012年の『終の信託』では終末医療に対する医者の処置から起きた刑事事件を扱ったサスペンスドラマで、両作品とも主人公を草刈民代が演じています。 周防は1996年に映画『Shall we ダンス?』で出会った女優・草刈民代と結婚しています。『Shall we ダンス?』では草刈民代が主演を務め、周防は監督を務めていました。 この映画の撮影時に仕事で一緒に過ごす時間が多く、それをきっかけに毎日のように話す様になり交際に発展していったのだそうです。とても気が合ったのでしょうね。

映画監督、周防正行の受賞歴

周防は今まで撮影した映画の中で1992年の『シコふんじゃった。』で日本アカデミー賞を受賞。この作品は本木雅彦が主演で、弱小相撲部で奮闘する大学生の姿を描いたコメディタッチの映画です。社交ダンスを舞台にした1996年の映画『Shall we ダンス?』でも日本アカデミー賞を受賞しています。 近年では2013年の映画『終の信託』が毎日映画コンクール日本映画大賞を受賞、その翌年に山路ふみ子映画賞で第31回文化賞を受賞しています。2008年の社会派映画『それでもボクはやってない』では2007年度キネマ旬報ベスト・テン日本映画部門の1位に選ばれるという快挙も成し遂げています。

周防正行と故・伊丹十三監督の関係

  周防は1987年に伊丹十三の映画『マルサの女』のメイキング番組の制作を依頼されました。周防は伊丹の映画の現場に何度も足を運び、映画の撮影の仕方というものを学んだといいます。 周防はその時の経験から伊丹に大変感謝しており、2008年の伊丹十三賞の選考の際委員会への参加を依頼された時も快く引き受けたのだそうです。

ついに紫綬褒章を受章! 

2016年に紫綬褒章を受章しています。紫綬褒章は、学術の研究や芸術・文化への功労を称えて送られる賞です。周防以外に映画監督では滝田洋二郎や池端俊策が受賞。他にも俳優陣から高畑淳子や役所広司・北大路欣也なども受賞しています。 周防は32年間で8本しか撮っていなくて申し訳ない。でも、自分の仕事を評価して下さって嬉しいです。というコメントを寄せています。同時に「これからも自分の枠を出る作品を作っていきたい」と意気込みも語っており、次の作品が楽しみです。

周防正行は刑事司法にも関わっている

  周防は2007年に痴漢の冤罪をテーマにした映画『それでもボクはやってない』を制作しています。この映画は非常にリアルな裁判での戦いを描いた作品で、周防自身が司法への在り方に疑問を呈していました。 その為か、この作品にも3年半に及ぶ取材や刑事裁判の傍聴を行うなど、徹底した拘りを見せています。実際に法制審議会の委員として活動した経緯もあり、その時の経験も生きているようです。

妻、草刈民代とは出演者も認めるおしどり夫婦!

周防の愛妻家ぶりは業界でも有名。特に周防の方からの妻への愛情表現はかなりもので、妻から「病気レベル」と言われているそうです。常にカメラを携帯しており、毎日、妻の姿を写真に収めて記録している程なのだとか。 視聴者からは「仲が良さそうで素敵」「理想の夫婦」と好印象。映画の撮影現場で共演する時は「夫婦の熱々ぶりが凄い」「素敵な夫婦」という共演者からの声も上がっています。

周防正行は大の野球好き! 

幼少期から野球少年だった周防でしたが、中学校2年生の時に肘を傷めて野球をやめてしまっています。しかし、野球自体への情熱は冷める事なく、今も野球が大好きで特にヤクルトの熱狂的なファンである周防。50年来のファンでもあり、2014年にはヤクルト広島戦で始球式をしています。

周防正行のデビュー作はなんとピンク映画!

名作に携わっている周防ですが、そのデビューは1984年。実はピンク映画がデビュー作でした。 当時携わったタイトルは『変態家族 兄貴の嫁さん』という作品で周防自身が監督・脚本を手掛けています。周防は同じく、脚本家であり映画監督の小津安二郎が大好きで彼へのオマージュを含んでこの映画に挑んだのだそうです。