2017年7月6日更新

ヴィクター・ヤング、『八十日間世界一周』で死後にアカデミー賞の作曲賞を受賞した不運な作曲家を紹介!

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ヴィクター・ヤング

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偉大な作曲家ヴィクター・ヤングについて大紹介!

皆さんはヴィクター・ヤングという作曲家をご存知でしょうか? もし彼の名前を知らなくても、彼が手掛けた音楽は聞いたことがあるはずです。なんと彼は20年のキャリアで300以上もの音楽を製作。もちろん彼が手掛けた音楽は映画にたくさん使用されています。 今回は映画史を語る上では絶対に欠かせない謎の作曲家ヴィクター・ヤングについて大紹介!

アカデミー賞に22回ノミネート!

ヴィクター・ヤングが映画のために手掛けた映画は数知れず。なんと彼はアカデミー賞の作曲賞、音楽賞、歌曲賞等の部門に22回もノミネートされています。映画界のために働いた年数が約20年ということを考慮すると、ほぼ毎年アカデミー賞にノミネートされているということですね。 彼が初めてアカデミー賞にノミネートされたのは1938年公開の映画『Army Girl』のサウンドトラック。それ以来1951年までは毎年アカデミー賞にノミネートされていました。

悲願のアカデミー賞受賞を成し遂げたのは死後

アカデミー賞に22回もノミネートされ続けてきたヴィクター・ヤングですが、なんと生前に受賞する喜びを味わうことはできませんでした。 彼が悲願のアカデミー賞受賞を遂げたのは死後のことです。1956年の映画『八十日間世界一周』でヴィクターはついにアカデミー賞作曲賞を受賞するのでした。 本作公開直後の1956年、彼は脳出血のため57歳という若さでこの世を去っていたのです。おそらく彼にとってもアカデミー賞受賞は夢の1つだったはず。そのため死後に夢をかなえることとなった不運の作家としても知られています。

刑務所に入った経歴がある!?

偉大な作曲家として知られるヴィクター・ヤングですが、なんと彼は刑務所に入っていた経験もある人物だったのです。 彼は幼少期から天性の音楽の才能で周囲の人間を驚かせてきました。10代のヴィクターはワルシャワ交響楽団で華々しいデビューを飾るなど順風満帆な人生を送っていたのです。しかし第一次世界大戦の勃発により彼の音楽家としての人生は狂うことに。 第一次世界大戦勃発後、数か月間ロシアの刑務所内で生活を送る羽目になります。幸運なことに何とか刑務所から脱出。1920年までにアメリカに戻りバイオリニストとして音楽家としてのキャリアを再開することになりました。

同じ年に4つの映画でアカデミー賞にノミネート

前述のようにヴィクター・ヤングは映画音楽家としてのキャリアで22回もアカデミー賞にノミネートされています。 それだけでも十分にすごいのですが、さらに驚くことに、1940年『ゴールデン・ボーイ』、『ガリヴァー旅行記』、『Man of Conquest』で作曲賞にノミネート、そして『Way Down South』で音楽賞にノミネートされたヴィクターは同じ年に4つの異なった作品でアカデミー賞にノミネートされるという快挙を成し遂げました。 1941年も同様に『アリゾナ』、『暗黒の命令』、『北西騎馬警官隊』で作曲賞にノミネート、『囁きの木陰』で音楽賞にノミネート。この快挙を達成しているのヴィクターとアルフレッド・ニューマンだけです。

代表曲はジャズのスタンダード

ヴィクター・ヤングの代表曲といえば「星影のステラ」。これは1944年の映画『呪いの家』のために彼が作曲した曲です。 作中にレイ・ミランド演じるロッドがステラ(ゲイル・ラッセル)のためにセレナーデを演奏するという重要なシーンでこの曲が流れます。 「星影のステラ」はもっとも有名なジャズ・スタンダードの1つ。ジャズ・スタンダードとは多くのアーティストにカバーされることとなった楽曲のことです。つまり世代を超えて多くのアーティストに愛される人気曲のことですね。

ヴィクター・ヤングが手掛けた名作映画音楽は数知れず

ヴィクター・ヤングが手掛けた音楽は名作と呼ばれる映画にたくさん使われています。『八十日間世界一周』で使用された主題テーマ曲「Around the World」は「世界旅行」を見事に表現しているという点から、映画だけではなく多くの旅行番組やラジオで使用されています。 また1943年公開の『誰が為に鐘は鳴る』、1952年の『静かなる男』、1953年の『シェーン』など彼が名作映画に提供した楽曲は数知れません。