2017年7月6日更新

山城新伍、出演映画から気になる晩年まで一気に紹介!

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不良番長

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マルチな才能を開花させた山城新伍

山城新伍は、1938年11月10日生まれで京都府出身です。時代劇スターに憧れて、エキストラを経験した後、1957年に東映ニューフェイス第4期として入社します。同期には、佐久間良子、室田日出男がおり、元妻の花園ひろみもうちの1人でした。 その才能は多岐にわたり、俳優、テレビ司会者、映画監督、映画評論家などでも活躍をしました。

花園ひろみとは2度の結婚・離婚!

山城新伍と花園ひろみとは、2度の結婚と離婚をしています。2人の間には娘が一人おり、南夕花として一時女優活動もしていました。2度目に離婚をした際、山城新伍は再婚の可能性について聞かれると、「50%だね」と冗談を交えて答えていたといいます。 離婚後、家族とは疎遠に。自由気ままに生きた山城新伍の人生観を、花園ひろみと南夕花は許すことはなかったのです。 山城新伍とは一体どのような俳優だったでしょうか?

山城新伍の当たり役となった時代劇『白馬童子』

山城新伍は、1958年に映画『台風』でデビュー。翌年1959年にはテレビ時代劇『風小僧』で初の主演を射止めました。 さらには1960年に、テレビ時代劇『白馬童子』の主役に抜擢され、子どもたちの人気者になります。そもそも子ども向けの時代劇でしたが、山城新伍の端整な顔立ちと白装束で白馬に跨るスマートさも相まって、幅広い世代から注目を浴びることとなりました。 当時は映画の全盛期。テレビドラマは二流俳優が出演するものだという認識から軽視されていました。山城新伍は、映画界の大スター以上の人気を集めたことで、他の俳優や映画スタッフから必要以上の誹謗中傷をうけたといいます。

「不良番長シリーズ」でイメージチェンジ!

1960年代、東映は時代劇から任侠映画やギャング映画に路線変更していきます。山城新伍は、梅宮辰夫の主演する「不良番長シリーズ」の第4作『不良番長 送り狼』に出演し、軟派でコミカルな脇役で魅力を発揮します。梅宮演じる主人公神坂弘が、仲間とともにデートクラブを始めたことで、同業者の紅バラ会と対立する物語です。 本作で、山城新伍は、イケメン俳優からアクの強い個性派にイメージチェンジを図りました。「不良番長シリーズ」の他にも東映ポルノなど、ジャンルを選ばぬ姿勢を貫き通し、「ミスター・プログラムピクチャー」と呼ばれる存在に成長。その軟派でコミカルな役柄は、東映映画に欠かせない存在となっていきます。

お色気映画「温泉芸者シリーズ」の山城新伍も忘れがたい!

1972年、山城新伍は「温泉芸者シリーズ」の第5作『温泉スッポン芸者』に出演します。 物語は、主人公浅井夏子が、温泉芸者をしていた姉の死をきっかけに、温泉町に駆けつけたところから始まります。夏子はひょんなことから町の観光ポスターのモデルになると、理事長の石橋に見初められ一夜を共にすることになり…。 山城新伍は、浅井夏子をスカウトする自称女体改造学者をコミカルに演じています。希薄で軟派な役柄を演じさせたら山城新伍の右に出るものはいない、そう思わせるほどの面白さを当時の映画ファンに印象付けました。

コミカルだけではない山城新伍の「仁義なき闘いシリーズ」

1973年には、「仁義なき戦いシリーズ」の第2作『仁義なき闘い 広島死闘篇』に出演し、ヤクザというまた違う役柄を演じてみせます。主演は菅原文太。 シリーズの前作では、主人公の広能昌三が抗争事件に疲れて山守に盃を返すまでの欲望に渦巻いた集団劇を描いたのに対して、この作品では、その中で生きる若者に焦点を当てています。 時代は1950年の広島、第1作のラストからさかのぼる朝鮮動乱期。服役を終え刑務所から出所した山中正治は、村岡組組長の姪の靖子のところへ身を寄せ村岡組の組員になります。やがて村岡組に盾つく大友長次との間で抗争が勃発し、山中はその争いに巻き込まれていきます。 山城新伍が演じた村岡組若衆の江田省三は、実在した原田昭三がモデルだと言われています。

映画監督にも挑戦!2作目はにっかつロマンポルノ!

1983年に公開された『女猫』は、にっかつロマンポルノのエロス大作。『ミスターどん兵衛』で初監督に挑戦した山城新伍の第2回監督作品となります。 物語の主人公、鏡美音子(通称ネコ)は、平塚産婦人科に勤務する女医。医大の女子学生だった頃、学長の息子・守と恋仲でしたが、嫉妬した守の愛人の神崎晶子に手術メスで刺されてしまいます。その事件をきっかけに、自暴自棄になってしまった鏡は、現在勤務する院長の平塚琴枝に救われます。 清純派だった早乙女愛の大胆な濡れ場が注目を集め、日活ロマンポルノの歴代第3位になるという大ヒットを飛ばします。また、早乙女愛は、山城新伍の愛人の1人ではないかと噂されました。二人は、映画公開と同年、テレビドラマの『新ハングマン』で共演もしています。

黒沢清のホラー映画『スウィートホーム』にも出演!

山城新伍は、1989年に公開された黒沢清監督のホラー映画『スウィートホーム』にプロデューサー星野和夫役で出演しています。 ある有名な画家の屋敷を舞台にした物語。30年以上前に亡くなった間宮画伯の家に、幻の壁画があるという噂をきいたテレビ取材チームが訪れて禍々しい騒動が起こります。当時監督として大人気だった伊丹十三が、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』を監督した黒沢清と再びタッグを組み、ハリウッド映画のSFXメイクアップの第一人者ディック・スミスがスタッフに参加したことで、本格的ホラー映画として話題となりました。 山城が扮した星野和夫は、明るくて陽気な人物な反面、優柔不断という山城新伍お得意のキャラクターでした。

80年代からは司会で人気を博す!

山城新伍は、80年代から90年代にかけて、バラエティ番組の司会で人気を博します。 大人気だったお色気クイズ番組『アイ・アイゲーム』では、アシスタントに青山学院の女子大生だった川島なお美を起用。川島は山城新伍の愛人であるという噂も流れました。ちなみに、『アイ・アイゲーム』のナレーションは小倉智昭が務め、その後の『独占!男の時間』ではレギュラー出演させるなど後進の育成にも大きく貢献しました。 他にも『新伍&紳助のあぶない話』など、東映俳優で活躍したイメージを活かした過激なトークと、お色気のある山城流のジョークは、テレビ視聴者に広く受け入れられました。

番組中には、爆弾発言も?!

バラエティ番組の放送中、山城新伍は、お色気過激トークで、東映俳優として子分だった安岡力也が、若い頃の女優のひし美ゆり子を楽屋で暴行したと爆弾発言、物議をかもします。 たちまち噂は週刊誌などで広まりましたが、その後、ひし美ゆり子は噂を一切否定。山城新伍の後輩をいじるジョークであったようです。

山城新伍の晩年は?

2009年8月12日、山城新伍は、東京都町田にある特別養護老人ホームにおいて肺炎で逝去、享年70歳でした。晩年を過ごした老人ホームには、かつての俳優仲間が訪問するのを一切断っていたようです。 葬儀の喪主は実弟が務め、遺骨は金閣寺と京都にある寺院に分骨して納骨。10月9日に、梅宮辰夫、松方弘樹らが発起人で「お別れの会」が催されると、菅原文太、渡瀬恒彦、小林稔侍、長門裕之、中村玉緒、地井武男、五月みどりら親交のあった136人が出席しました。 しかし、元妻の花園ひろみと娘の南夕花は会場に姿を現しませんでした。色気と笑いの名傍役として活躍した山城新伍。最後まで男の美学を通しましたが、家族との関係は寂しいものでした。