2017年7月21日更新

映画『あの頃ペニー・レインと』70年代の青春にはまる!とっておきの18の事実

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あの頃ペニーレインと

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知ればきっと『あの頃ペニー・レインと』がもっと面白くなる!

エルトン・ジョンの「タイニー・ダンサー」を聞くたびに思い出すのは、やっぱりキャメロン・クロウの青春映画、『あの頃ペニー・レインと』ですよね。 15年前に公開されたこの映画ですが、若冠16歳にして音楽雑誌ローリング・ストーン誌のライターとなり、ロックバンドのツアーに同行することになったクロウの実体験をもとにした少年の淡い恋物語は、今でも根強く映画ファンをつかんで離しません。今回は知ればそんな作品がもっと面白くなる、18の事実をご紹介!

1. ペニーには忠実なモデルが実在した?

物語のヒロイン、ペニー・レインですが、同名のペニー・トランブルというクロウ自身の友人がモデル。彼女はオレゴン州ポートランドに住み、音楽業界に携わっているそう。 そんなペニーに加え、リヴ・タイラーの母親であるファッション・モデルであったベべ・ビュエルもペニー・レインを作り上げる上での重要なモデルだったんだとか。

2. 実はクロウの母親がカメオ出演していた

ディレクターであるキャメロン・クロウのお母さんが劇中でカメオ出演しているという事実は、あまり知られていないのではないでしょうか。クロウの母親は、ウィリアムの通う高校で卒業証書を渡す先生として、ちょい役でカメオ出演をしているのでチェックしてみてください。

3. 膨大な脚本を取り扱ってくれたのはドリーム・ワークスのみ?

クロウによると、彼はハリウッドのあらゆる制作会社に脚本を送って、どこが彼の脚本に対応できるかどうかを調べたそう。 その中でスティーブン・スピルバーグは、クロウの172ページにもわたる脚本を週末に全て読んで、次の月曜日に「すべて指示する」と答えたそう。こうしてスピルバーグ率いるドリーム・ワークス・ピクチャーズの協力を得たそうです。

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4. ラッセルの有名なセリフは実際にあったもの

劇中でラッセルがLDSを摂取してハイになり、「私は黄金の神だ!」と叫んで屋上から吼えるシーンは本作の有名なシーンの一つ。実はこの部分は、レッド・ツェッペリンのメンバーであるロバート・プラントが実際に引き起こした事件の一部なんです。

5. ミステイクがロマンティックなシーンに一変

ペニーがウィリアムに、「私と一緒にモロッコに行きたい?」と尋ねるシーンがあります。それに対してウィリアムの反応は、「はい、もう一度尋いて」というもの。 実はこれ、撮影中に別テイクのため「もう一回やりなおして」とパトリック・フュジットがケイト・ハドソンに聞いたのを、監督であるクロウが気に入ってアドリブ採用したものなんだとか。

6. レスターは撮影中ずっとインフルエンザだった

レスター役を演じたフィリップ・シーモア・ホフマンは、撮影期間中ずっとインフルエンザにかかっていたのだとか!しかし隠しきれないインフルエンザで弱った様子が、おかしなばかげた、不眠症の編集者を演じるのには完璧にハマっていたので結果オーライですね。

7. 劇中歌は監督のハネムーン中に作られた

この作品はクロウの実体験がもとになっています。クロウと妻であるナンシー・ウィルソンは、ハネムーン中に多くの劇中歌を作り上げています。それは1986年でしたが、すでに映画を作る機満々だった二人は意欲的に曲を製作。実際15年後そのほとんどが使用されることになったのだとか。

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8. オリジナルのエンディングはニール・ヤングだった?

クロウは昨年インタビューでニール・ヤングの『オン・ザ・ウェイ・ホーム』で映画を終わらせようと意図していたことを告白しました。結局、その曲やその話を聞かないことに決めたと語るクロウ。 代わりにスティルウォーターのツアーバスはレッド・ツェッペリンの『タンジェリン』の音に追いやられるように終盤を迎えることになりました。

9. ケイト・ハドソンはグルーピーばりにロックを研究した

ペニー・レイン役を好演したケイト・ハドソンは、役になりきるためロック・グループとその妻たちを研究しました。2000年のインタビューで、彼女は古典的なロック・ミュージックをたくさん聞いて、『アイム・ウィズ・ザ・バンド』を読んで熱心に勉強したそう。

10. クロウ自身生死をさまよう飛行機事故に遭っていた

クロウは実は2つの致命的な飛行機の衝突事故に遭っていたとローリング・ストーン誌に語りました。ひとつはザ・フーと搭乗していたとき。そしてもうひとつは、劇中バンド、スティルウォーターのモデルともなったハートとの搭乗。 どのときはひどい嵐に見舞われたそうで、結局テュペロに不時着したとか。これがテュペロが映画の中に登場している所以なんだそうです。

11. 少年ウィリアムの強烈な家族もクロウ自身のもの

映画のダイナミックな家族も、クロウと彼のお母さんとの関係からインスパイアされました。 劇中でウィリアムの母役を演じたフランシス・マクドナルドと姉役のズーイ・デシャネルがハグをしたシーンでは、クロウも思わず感動してしまったと言います。

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12. 通常の映画の2倍以上の予算がかけられた

ほとんどの映画の平均予算が150万ドル以下にもかかわらず、50曲を超える音楽とフィーチャーした『あの頃ペニー・レインと』には平均の倍以上である350万ドルの予算が当てられました。

13. だけどそんな予算をひっくり返すくらいの大ヒット

ドリーム・ワークスがゆっくりと展開を決めたため、作品は2000年9月15日の週末に131劇場でデビュー、その時点で230万ドルの収入が。さらに1週間後に、1000スクリーンでリリースされたときには700万ドル、アメリカ全体にして3250万ドル、外国の投資額1480万ドルと、大ヒットを飛ばしました。 結果4つ部門でオスカーにノミネート、そしてスクリーン・プレイ部門で受賞をするといった輝かしい栄光を手にしたんですね。

14. ケイト・ハドソンはウィリアムの姉役でキャスティングされていた

他の映画の出演とかぶり叶いませんでしたが、ペニー役にはサラ・ポーリーが当初想定されており、驚くべきことにケイト・ハドソンはもともとウィリアムの姉役としてキャスティングされていたそう。結局ウィリアムの姉役はズーイー・デシャネルになりました。

15. ラッセル・ハモンド役はブラピが演じる予定だった

さらに劇中のバンドであるスティルウォーターのギタリストであるラッセル・ハモンド役には、クロウは当初ブラッド・ピットをと考えていたよう。 しかしオーディションの後、ピットの当時の出世作である『ファイト・クラブ』の役のイメージがまだ残っており、世間に受け入れられにくいと考え変更しました。

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16. ウィリアム役のパトリックは音楽知識ゼロだった

主人公であるウィリアム役を演じたパトリック・フュジットは当時本当に16歳。映画や音楽ジャーナリズムのことなんて全く知らず、チュンバワンバのCDを1枚持ってだけで、実際レッド・ツェッペリンは人の名前だと思っていたそう!

17. のちのテレビスターのデビュー作だった

Here I am doing some modeling backstage in Los Angeles before I go on @bravowwhl with @bethennyfrankel and @bravoandy.

Eric Stonestreetさん(@ericstonestreet)がシェアした投稿 -

『あの頃ペニー・レインと』は、のちに大ヒットTVシリーズ『モダン・ファミリー』のアイコンとなるエリック・ストーンストリートにとって初出演の作品。 そちらのファンにとっても、初々しいころのストーンストリートが観れるので、本作品は楽しめるはず!

18. 本作品は史実で、すべて監督の経験談!

この映画は監督であるクロウのローリングストーン誌時代の体験を一つの話に融合させたもの。 実際にグレッグ・オールマンはツアーでクロウを信用せず彼を「ナルク」と呼んだし、やっと飛行機に乗ってバンドと旅ができたと思ったら墜落してしまうなど、すべて実話なんです! 当時のロック・カルチャーを疑似体験できるとっておきの作品、もう一度この機会に観直してみては?