『暴力脱獄』のスタッフ・キャスト
『暴力脱獄』の感想・評価・ネタバレ
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レンタルにて鑑賞。 先日(2/28)、この映画でドラグライン役を演じアカデミー賞助演男優賞を受賞したジョージ・ケネディが91歳で亡くなった。今回は、彼の追悼もかねて、『暴力脱獄』を鑑賞した。 アメリカン・ニューシネマの代表作と言われる本作。この映画は、当時のアメリカのカルチャーを多少なりとも知っていないと理解できないかもしれない。しかし、当時この映画が作られ、大衆に受け入れられたのは大きな意味を持つ。 当時アメリカでは、ベトナム戦争をきっかけに反戦運動が激化、愛と平和を訴える「フラワー・ムーブメント」が若者の間で広まる一方、体制側への怒りはピークに達していた。この映画は、そんな当時の社会の縮図である。 ポール・ニューマン演じる主人公ルークは、酔った勢いで公共物を破損した罪で刑務所に送られるが、そこでは所長や看守らによる支配が待っていた。しかしルークは、体罰や労働といった支配に負けず、徹底的に対抗していく。ルークは、誰にも媚びない。所長にも、看守にも、囚人のリーダー、ドラグラインにも、神にも。そんな態度が、囚人たちの支持を集めていく。 ここで描かれているのは、反戦運動やフラワー・ムーブメント、それに伴うラブ&ピースとロックンロールの精神を押さえつけようとする大人たちや体制側と、れには反抗し、自らの道を自ら開拓しようとする当時の若者たち、という社会情勢と全く同じだ。また、当時はベトナム戦争と経済崩壊がダブルパンチでアメリカに押し寄せており、「神の不在」が叫ばれていた。体制も、神も、自分たちを守ってくれやしない。だったら、自分一人でやってやる。当時のアメリカの若者はこう思っていた。 この映画の有名な台詞、「What we've got here is failure to communicate(意思の疎通が欠けていたようだ)」は当時流行語となり、後の映画やテレビなどで引用やパロディが見られる。この映画が作られた当時、若者は体制とも神ともコミュニケーションがとれなかった。エンディングが意味するもの、それは当時のアメリカ社会に疑問を感じ、それを主張した若者の成り果てだ。そう考えると、なんともいえない無情感が漂う。
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2015/05/29 BS なんという乱暴な邦題とも思うが「暴力教室」という映画もあったので、その流れだったのかもしれない。いわゆる「アメリカン・ニューシネマ」の初期に当たる作品だが、作品全体を貫く、抑圧された閉塞感のある社会への反発を、非常にわかりやすく描いていると言えるだろう。また格好良さだけではなく、人間としてリアルに描かれた主人公の姿も心に強く響くものがあり、ポール・ニューマンの素晴らしい演技も堪能できる。ところで、序盤、牢名主役のジョージ・ケネディとポール・ニューマンのボクシング対決というシーンがあるのだが、少年院での矢吹丈とマンモス西に見えて仕方なかった(結果は逆だけど)。
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投獄されたカリスマが強制労働の中で囚人たちの心をグイグイ引っ張っていくお話。ポール・ニューマンのカリスマ性が映画の中で生き生きと発揮される名作だと言えます。こんなの見たらみんなポール・ニューマン好きになっちゃうよ。『大脱走』のスティーブ・マックイーンを彷彿とさせます。 随所にキリスト教への言及が見られます。神に祈る主人公や、明らかにキリストを意識したポーズなどです。有名な卵をバカスカ食べるシーンの後、倒れるポール・ニューマンは十字架に架けられているようでした。宗教的知識があればもう少し深読みした鑑賞ができたのかもしれません。