『怪物団 フリークス』の感想・評価・ネタバレ
-
「一人への侮辱は全員への屈辱」
-
カルトと謳われることの多い作品だが、ちゃんと観てみるとシンプルなストーリーから普遍的な道徳を教え込まれたような気がしました。
-
「これは人間に見せるべき映画ではない」とまで言われた映画です。サーカスを舞台とした映画なんですが、他と何が違うって、役者のほとんどが奇形者や障害者(この映画の言葉を借りるとフリークス)なんですね。正直また観たいとは思いませんでしたが、一度観といてよかったなあとは思いました。 「ひとつ間違えればあなたもこうなっていたかもしれません」 このセリフが頭から離れません。
-
先天性の障害を持った人たちを本当に出演させるフリークスを舞台にした映画。当時はヤバすぎて失神する方もいたそうです。単に登場させるだけではなくストーリーもしっかりと存在し、最後にはアッと驚くような展開も待っています。失神もやむなしかと。 シャム双生児に五体不満足の人や体だけ子どもの大人な人々が画面でいきいきと活躍しています。近年では日本のフリークス(見世物小屋)もその存続が危ぶまれています。確かに倫理的な問題もあり、万人が好むものではないのは理解できます。しかし、こういう映画を見ると考えさせられるものも多いです。活躍の場を奪っているとも言えるのです。人権について今一度考えるきっかけになります。
-
高校生の時に(うん10年前)に観た時は単にフリークスだったのに゛怪物団゛なる頭タイトルまで付けて益々見世物カルト映画を強調しようと 何処かの誰かが動きましたね(;O;)自分の子供の頃には小人プロレスなるジャンルがあり生で見た事もあるし、かなり流行ってました サーカスを見れば必ず小人とジャンル分けされた方々が笑いを取っていたし 特に疑問も持たず笑っていました、今から思えば悪かったかな?って気持ちも、差別無しで笑ってた子供時代、 今はそう言う人達の置かれている状況も知っているので腫れ物に触る感覚の同情心、、下手すれば単なる見世物映画な悪趣味作品だけどやはり色々考えさせられます 映画も出来は悪くないのに背徳感覚を持つのは自分が差別意識を持っている証拠なのかな?そんな人間ではないつもりだけど 、、
-
フリークスが多く集まるサーカス。大人だけど体の小さいハンスとフリーダは婚約していたのだけど、美女クレオパトラがハンスの遺産目当てでハンスに近寄り、結婚してしまう。しかし、命が狙われてるとわかったハンスとフリークスの仲間たちは…というサスペンス?めいたお話。 この映画はどうやら曰くつきらしい。 確かに私達はメディアを通してでも身体障害者のことを認識しているけれど、当時はそれこそ見世物としてでしか出回っていなかったのだろうから、いきなり映画を見た人は驚いて嫌悪したというのも無理はないのかな…イギリスでは30年も公開禁止になったそう。 だけど、トッド・ブラウニング自身が見世物屋出身なためか、『エレファントマン』みたいな「外見で人を判断する冷酷な自分に対する批判」というよりかは、「フリークスをなめんなよ!」みたいな心意気が感じられて励まされた。監督のフリークスに対するリスペクト面が表されているんだろうな…
-
ラストシーンが恐ろしい
-
1932年に作られたものとは思えないほど、新しい。 作った人すごい、これ。 フリークスっていうことが主題でありつつ、途中からもう背景になってる。 見世物でありつつも、その中の物語を描いて、結局包み込むっていう。 非日常の日常、みたいな。 映画自体はコミカルなんだけど、鑑賞後ざわざわ。
-
借りたあとに失神者がでた、とか上映禁止とか人間に見せるべきではないとかいう謳い文句を見て怖がりながら鑑賞しました。本当のフリークスは差別する心。地面を這って迫ってくる姿が忘れられない。
-
1932年アメリカ映画。劇中に見世物小屋で働く本物の奇形者たちが出演していることが問題視され、英国では30年間上映禁止になったそう。映画史上最も呪われた映画といわれている作品。ラストの復讐シーンがゾクッときて怖かった…><