海街diary

2015年 日本 126分
rating 3.8 3.8
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「海街diary」のあらすじ

両親を許せない長女と、自分を許せない四女。 それぞれの想いを抱えながら、四人が本当の家族になっていく一年間の物語。 まぶしい光に包まれた夏の朝、鎌倉に住む三姉妹のもとに届いた父の訃報。十五年前、父は家族を捨て、その後、母(大竹しのぶ)も再婚して家を去った。父の葬儀で、三姉妹は腹違いの妹すずと出会う。三姉妹の父を奪ったすずの母は既に他界し、頼りない義母を支え気丈に振る舞う中学生のすずに、長女の幸は思わず声をかける。「鎌倉で一緒に暮らさない?」 しっかり者の幸と自由奔放な次女の佳乃は何かとぶつかり合い、三女の千佳はマイペース、そんな三姉妹の生活に、すずが加わった。季節の食卓を囲み、それぞれの悩みや喜びを分かち合っていく。しかし、祖母の七回忌に音信不通だった母が現れたことで、一見穏やかだった四姉妹の日常に、秘められていた心のトゲが見え始める―。

「海街diary」のスタッフ・キャスト

「海街diary」の感想・評価・ネタバレ

  • yryotay
    yryotay 3.5 10日前

    リアルなやり取りが心地よくて綺麗な映画だった。

  • Dora
    Dora 4 9月6日

    こんな死と隣合わせの(死ぬかもしれない、ではなく死を生きながらに抱えていく)生き方をしていないから不思議な感覚を覚えた。俺にとって、死は遠い所に引っ越すのと変わらない感覚で。友達がどこかに転校しちゃってもう会えなくなるのも自分にとっては死同然だった。だから悲しみのカテゴリーとしては死も転居も別れとして同じだと思った。これはきっと死後の世界があると信じているからなのかもしれない。あっちで元気にやってるといいな、なんて想いを馳せる様子はその<あっち>が海の向こうでも空の向こうでも変わらない。 でもこれって、他人の人生を受け入れる程のキャパシティの無さから来る考えなのかもしれない。死、というのはこの映画を見ても分かるように、人々の中で「関係を持った存在」から「思い出・記憶」へと昇華する儀式だ。でも俺が思い出や、過去を重要視出来ていないから、死を特別に考えられていなかったのかな。 俺は<ある人>は自分にとっての<ある人>であって、それは見る人によって変わるから普遍的存在ではないと思っている。つまり<ある人>はその人の周りの人間の数だけ存在するし、そのようにしてこの世界自体が生命の数だけ存在している。パラレルワールドの絨毯のようになっていると考える。だから何かを知った時、それは元々あったものを知ったというよりも、新しいものが自分の世界に取り入れられた、と感じるほうが理に適う。このような考え方は傲慢で自分だけが全てという価値観に陥りがちという気もするが、<無知の知>も自分の世界に取り入れれば良いだけの話。こうした世界では出会いも別れもその理由が死別であれ転居であれ喧嘩であれ、自分の世界から出ていくという行為と変わりない。どっかで元気にやってればいいな、という感覚で思い出せる(これは死後の世界があると信じる、の話と繋がる)。このように考えると自分の場合、思い出に昇華するタイミングや、この映画のように過去を赦すタイミングは自分で決めないといけない。このようなきっかけは外的要因では得られないということになる。でもいつかきっと、笑って送り出す飲み会のような「送別会」と、堅苦しい「葬式」とを別に理解しないといけなくなるのかな。じゃないとその後の「◯回忌」やお参りとか俺する意味ないもん。

  • Mako_Adaniya
    Mako_Adaniya 5 5月28日

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