
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のあらすじ
かつてスーパーヒーロー映画『バードマン』で世界的な人気を博しながらも、現在は失意の日々を送る俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、復活をかけてブロードウェイの舞台に立とうとしていた。レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を自ら脚色し、演出と主演を務める舞台。しかし、出演俳優が大怪我を負い降板。共演者のレズリー(ナオミ・ワッツ)の紹介で、ブロードウェイの実力派俳優マイク・シャイナー(エドワード・ノートン)を迎えるが、その才能はしだいにリーガンの脅威となっていく。疎遠だった娘サム(エマ・ストーン)には愛情は伝わらず、彼は気づかないうちに舞台の役柄に自分自身を重ねていく。公私にわたり精神的に追い込まれるリーガンを、“バードマン”までが扇情し……
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のスタッフ・キャスト
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』の感想・評価・ネタバレ
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なにこれすごい。オープニングでもう取り込まれる。自分的にかっこいいオープニング賞ノミネート。 全編通して流れるドラム。不思議なワンカット。夢想と現実を行き来しつつ進むほどハマっていくストーリー。 ちょっと一回では消化しきれなかったかも知れない。是非もう一度観る。
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うーん、、造詣が深くないと理解できない映画なのかな?A級クオリティのB級映画って感じ。 マイケルキートンの怪演に魅せられてなんとか最後まで鑑賞できた。
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文字通り体を張らないと今の役者は生きていけないのだなあ、と思った。 しかし、はっきりいってアカデミー作品賞の評価に値しない。 舞台裏は過度に泥臭く、台詞回しは過剰で不快だ。 ワンカットの間で時間と空間をさりげなく横断する、というある種の醍醐味が希薄であるし、ワンカットで夜から朝への変化を見せてしまう、使い古された処理のせいで、長回しが生かされていない。 もっといえば、余分な描写が多く、冗長。キートン、あるいはナオミ・ワッツの自虐やら、60年代ゴダール的なタイトルなど、どうでもいい。 見どころであるキートンがパンツ1枚で街を歩き回るシーンはかなり面白かったが、その後にもさらに長く続くやりとりには辟易した。二回も死ぬ必要などない。 やはり、多いカットと自然かつ力強い画、少ない台詞回しで魅せるのがイニャリトゥなんだな、と思う。ルベツキなんかと組んでないで、以前のようにプリエトと組んで、また面白い映画作れや、と思った。 本作は観ていて面白いとは言えない。 まあ、一言でいうと、愛を感じなかった。 #ネタバレ
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