ビビアン・スー、いくつになっても美しい台湾人女優の意外と知らない事実8選

2017年7月6日更新

日本でも数多くのテレビ番組に出演、ブラックビスケッツとして大ブレイクし、一躍人気者となった台湾人女優のビビアン・スー。そんなビビアン・スーのあまり知られていない波乱万丈な人生を紹介します。

1:『ビビアン・スーの恋しくて…』で映画デビュー

ビビアン・スー

出典: jonny.tokyo

ビビアン・スーは1990年に台湾で行なわれた「台湾美少女芸能コンテスト」でグランプリを獲得し芸能デビューを果たしました。1994年4月には映画『ビビアン・スーの恋しくて』で女優デビューを果たし、ここから快進撃が始まっていきます。

自分の名前がついてる映画ってすごく珍しいですよね。しかも処女作で。「主人公が憧れている人物=ビビアン・スー」という設定だったようです。

2:写真集「Angel」を発売し、一躍話題に

ビビアン・スー

1995年にビビアン・スーが出した写真集『Angel』は、台湾で発売した『天使心』という写真集の日本用のリメイク版です。ヘアヌードもあり、過激で話題になりました。

当時18歳だったビビアン・スーはこの「ヌード写真集」を撮ることに強い難色を示していたそう。しかし、宮沢りえの伝説ともいえるヌード写真集を見せられ、「キレイに写るだけ」と説得されたそうです。

結果として大ヒットしたもののこの写真集のヒットから「脱ぐ人」、「ヌードの女」という不本意な看板をもらい、当時はかなり傷ついたとのこと。

今でこそそんな看板やイメージは薄れてきたそうですが、「振り返りたくもない暗い影」であり、「人生の汚点」となってしまったと語っているようです。

3:バラエティ番組から生まれたバンド「ブラックビスケッツ」を結成

BLACK BISCUITS

そんなビビアン・スーの日本での人気を不動なものにしたのがブラックビスケッツの結成です。『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)という番組の企画で結成されたユニットでした。

1997年1月10日に当時、番組内で結成されていたポケットビスケッツ敵対(ライバル)するユニットとして作られました。メンバーはビビアン・スー(ビビアン)、南原清隆(南々見)、天野ひろゆき(天山)の3人。2ndシングルである『タイミング〜Timing〜時機』は、200万枚を超える大ヒットとなりました。

当初はあくまでポケットビスケッツの引き立て役の予定でしたが、人気があまりにも高くなったことで、悪役ではなくなりました。最終的には、ブラックビスケッツのほうが人気が高かったと言われています。1998年には二組混合で第49回NHK紅白歌合戦への出場を果たしました。

ビビアン・スーは、あくまでグループでの曲ということで、解散以来、人前でブラックビスケッツの曲を歌ったことは一度も無いという話を聞きました。

4:顔面麻痺で撮影を中断したことも

ビビアン・スー

出典: jonny.tokyo

ブラックビスケッツの解散以来、台湾での活動が忙しくなり、加えて台湾で大震災が起きたこともあって日本での活動を事実上停止にしていました。(たくさんの国からオファーが来ている中で日本語は完璧ではなかったからではとも言われています。)

しかし、日本での活動のおかげで中国語圏で不動の人気を獲得したビビアン・スーは連日メディアに引っ張りだことなりました。

そんな中、2007年8月13日には、あまりに多忙すぎて『恋愛兵法』というドラマの撮影中に首を怪我してしまいます。その痛みをきっかけに最終的には「顔面神経失調症」になり、「顔面麻痺」状態に陥るという事態に。

母親にリンパマッサージをしてもらった結果、顔面麻痺が治ったとのことです。

5:2014年にはシンガポールの実業家と結婚

ビビアン・スー

波乱万丈あったビビアン・スーですが、2014年2月にはなんとシンガポール在住のショーン・リーという2歳年下の青年実業家の男性と結婚することになりました。主に鉄鉱石などの輸送業をしている会社を経営している方のようで年商は約100億にものぼると言われています。

玉の輿婚と呼ばれたこの結婚は、ビビアン・スーが出演したある映画のスポンサーをショーン・リーが勤めていたようで、それが縁で意気投合し交際をすることになりました。

ビビアン・スーは初婚ですが、ショーン・リーは再婚で、前の奥さんとの間に子供がいるようです。

6:壮絶な日々を乗り越え第一子を出産

ビビアン・スー

出典: irorio.jp

ビビアン・スーは結婚を経て40歳にして妊娠をしました。壮絶な人生を経験してきたビビアン・スーでしたが、出産もまた壮絶なものになってしまったようです。

まず、妊娠してから3ヶ月目のこと。「胃腸炎(しかもウィルス性)」になってしまい、緊急入院をすることになりました。それが尾を引いたらしく、以来体調がずっと優れず、約140日以上もの間寝たきりで、お風呂にも一切いけないという状態だったとか。

さらには、胎児のために逆立ちみたいな体勢で寝ていたようで、そのことで食事が逆流してきてしまうということも。

それらのことがあったためにほぼ毎日注射を打って治療しながら出産に備えており、お尻中がアザで溢れてしまったようです。

結果として帝王切開での出産となりました。元気な男の子を出産することができ、ひと安心のビビアン・スー。苦労の数だけ喜びと愛情がとめどなく溢れてきたようです。

7:保田圭と仲がいい

ビビアン・スー&保田圭

保田圭とビビアン・スーは芸能界でかなり長い期間の親友であるとのこと。ペアルックで出かけたり、お互いの結婚式に出席したりもしています。

1998年に当時、モーニング娘。のメンバーとして上海の音楽祭に出演した際にビビアン・スーとたまたま隣の席になり、初対面だったにも下変わらず意気投合し、一気に仲良くなったそうです。

8:いくつになっても美しい美容の秘訣

ビビアン・スー

40歳になっても年齢を一切かんじさせないその美しさに日本中の人たちも舌を巻いています。「奇跡の40歳」と呼ばれ男性からも女性からも絶大な支持を受けているようです。

その秘訣は「いままでの努力のたまもの」とされています。日頃からひたすら努力に努力を重ねた結果と言えるでしょう。

ビビアン・スー自身は「美容(ケア)は気付いたらひたすらすぐ実行すること!」と語っています。酸いも甘いも人生を経験してきたからこそ、「日々の努力が結果につながる」ということをきっと身をもって知っているのではないでしょうか。

『ジュリエット』で小児まひの役、『セデックバレー』という映画では妊婦役をそれぞれ勤め、役のために5キロ太ってしまったこともあったのです。

ですが、「ひたすらよく噛んで食べること」「運動」を積み重ね、気づけば7キロ痩せていました。

現在、日本での活躍はあまり無い状態ではありますが、いつまでもその美しい美貌と美しい心で子育ても芸能活動も頑張って欲しいですね。