2017年7月6日更新

鈴木敏夫、スタジオジブリの立役者である敏腕映画プロデューサーに迫る7のこと

スタジオジブリになくてはならない存在である鈴木敏夫。鈴木敏夫なくして宮崎駿なし!とまで言われるほどの敏腕っぷりで、数々の大ヒット作を世に生み出してきました。今回は、スタジオジブリの立役者である敏腕映画プロデューサー、鈴木敏夫の7つの事実に迫ります!

1:過去に編集者として手塚治虫を担当していた

鈴木敏夫は過去に、手塚治虫の担当として、徳間書店コミックアンドコミック、アニメージュの編集をしていた時期があります。

編集者時代の鈴木敏夫が手塚と仕事をした際には、“原稿料は幾らでもいい、僕のは単行本になれば売れるから”と言われたそうです。さすが漫画の神、手塚治虫、実力があるからこそ言える言葉ですね。

2:アニメ雑誌『アニメージュ』で宮崎駿を初特集する

宮崎駿は今では日本の映画監督として名を馳せていますが、『ルパン三世 カリオストロの城』を手がけていた頃は、マニアには熱狂的なファンがいたものの、一般的認知度はまだまだ低く、世間には認められていませんでした。

そんな中1981年にアニメージュ8月号で、鈴木敏夫は宮崎駿特集を組みます。

1982年2月号のアニメージュでは、『風の谷のナウシカ』の連載がスタートし、始まって1年経たない間に映画化へと動きます。鈴木敏夫なくして、ナウシカは生まれなかったと言っても過言ではないでしょう。

3:『ハウルの動く城』のポスター、『ゲド戦記』の題字を担当した

1989年に鈴木敏夫はスタジオジブリに移籍した後は、その後のジブリ作品全てのプロデューサーを務めています。本業以外に、『ハウルの動く城』では公式ポスターの原画を担当しています。

また、『ゲド戦記』では題字を担当しています。

4:鈴木敏夫の名言が心に響く!

鈴木敏夫は、ラジオ、インタビュー記事、雑誌の対談などで数多くの心に響く名言を残しています。その中でも選りすぐりの名言を、いくつかご紹介していきます。

“やっぱりダメなものはダメ、イイものはイイと言いたくなる”

鈴木敏夫は好き嫌いが激しいことで有名です。仕事をしていく上で、曖昧な表現が必要なシチュエーションもありますが、映画の世界では通用しません。ダメなものはダメ、イイものはイイと、はっきり言い切るスタイルが、鈴木敏夫の人柄を表していると言えるでしょう。

“理屈じゃなく、相性のいい人に仕事で出会えたから幸せ。一日の大半を仕事に費やすのだから、そういう人がいなかったらやっていられないですよね”

これはごもっともな名言です。相性の悪い、嫌な人と1日過ごす仕事と、相性のいい人と1日過ごせる仕事、効率がよいのは後者に決まっています。一緒に仕事をする人を自分の目で選んだ結果、自分自身も幸せに仕事ができるという関係、人を見る目のある鈴木敏夫だからこそできる仕事のやり方かもしれません。

“どうにかなることは、どうにかなる どうにもならんことは、どうにもならん”
引用:www.nhk.or.jp

NHKのプロフェッショナル仕事の流儀で語られた名言。映画制作が始まると、大勢のスタッフが鈴木敏夫のもとで動くこととなります。その重い責任は、本人にしか感じられないプレッシャーとなるでしょう。そんな中窮地に立った時に役に立つ言葉だど、話しています。

さすが、度胸のある男、鈴木敏夫ならではの名言と言えますね。

“仕事は公私混同でやったほうがいい”

これはなかなかインパクトのある、鈴木敏夫節炸裂の名言と言えますね。日本ではその真逆で、仕事とプライベートのメリハリはしっかりつけるべき、という考え方の人の方が多いかもしれません。

仕事もプライベートも一緒にしてしまおう、という考え方は、それだけのめり込める世界を持つ鈴木敏夫ならではの言葉と言えます。公私混同して全力で仕事に打ち込める環境を持ったからこそ、素晴らしい作品を世に送り出すことができたのでしょう。

5:押井守監督作品に出演した経験を持つ!

鈴木敏夫はキャストとして、『攻殻機動隊』で有名な押井守監督の2003年公開オムニバス映画『KILLERS キラーズ』の『.50 WOMAN』で悪徳アニメプロデューサー役を演じています。

また、本人が懇願し2006年公開の『立喰師列伝』では、立喰師役の一人、冷やしタヌキの政をセリフ無しで演じています。

2016年には本業のプロデューサーとして、『ガルム・ウォーズ』の日本語版を制作することとなり、『イノセンス』依頼12年ぶりのタッグが実現しています。

『ガルム・ウォーズ』は2015年10月2日に北米公開されていて、日本公開は、2016年5月20日の予定となっています。

6:映画の作り方は高畑勲から学んだ

鈴木敏夫は映画の作り方の基本を、アニメーション監督の高畑勲から学んでいます。鈴木敏夫と高畑勲との出会いは、アニメージュの取材がきっかけです。

その後高畑が『風の谷のナウシカ』で初プロデューサーを務めた際、鈴木敏夫も制作に携わりました。手探りでプロデューサーの仕事をすすめる高畑を間近で見ることで、鈴木敏夫自身もアニメーション映画の作り方を学ぶことができました。

鈴木敏夫が高畑勲と出会っていたこらこそ、数々のジブリ作品を観ることができたと言えますね。

7:鈴木敏夫は大の中日ドラゴンズファン?

鈴木敏夫は、創刊時から東京中日スポーツを愛読しているほど、大の中日ドラゴンズファンとして有名です。1991年に、ファンの落合博満と竜をモデルにしたキャラクターを宮崎駿にデザインしてもらい、2006年にマスコットとして採用されました。

ジブリファン、中日ドラゴンズファンからしてみても、たまらないほど贅沢なマスコット、ガブリが誕生しました。