日活ロマンポルノとはなんだったのか。知っておくべき12の秘話

2017年8月22日更新

先頃、再始動が発表された日活ロマンポルノ。70年代から80年代に発表された一連の作品は、ピンク映画やAVとは全く異なり、映画作品として高い評価を受けたものも少なくありません。多数の人材も輩出した日活ロマンポルノについて詳しくまとめます。

1:AV.ピンク映画とは一線を画すロマンポルノ

1971年から1988年にかけて日活で製作された成人映画のことを指して「日活ロマンポルノ」と言います。

ピンク映画はもちろん、その後のアダルトビデオ(AV)とは、性と官能をテーマにしているというだけで、根本的に別物です。まず、ロマンポルノの製作予算がピンク映画に比べてはるかに潤沢だったということ。また、日活所有のスタジオや日活専属スタッフなど環境においても歴然の差がありました。その結果、大幅に完成度とカラーの異なる映画が出来上がったのです。

キネマ旬報のベストテンにランキングする作品や、権威ある賞を受賞した作品や役者も少なくありません。

無名の監督や脚本家などにとって、自身のオリジナリティや作家性を制約なく発揮できる場となり、日本映画界にとって、新しい才能を育成する重要な場となったことは確かです。

ちなみに、「日活」は1978年に社名変更し、「にっかつ」とひらがなになっています。

2:実は女性ファンが多い!?

充実した環境で製作されたロマンポルノの魅力は、なんと言っても豊穣なストーリー展開、大胆な演出、一般映画では難しい過激でダークなテーマなどにあります。

そして、何より女性ファンが多いのは、女性の大胆かつ美しいヌードや性描写にあると言われています。あられもない姿で演技した美しい女優たちが、のちに一般映画やテレビの世界に進出していくのは、女性に好かれたことの表れです。

若手人気女優やタレントにはファンを公言する人も多く、例えば、『あまちゃん』のユイ役でも知られる女優の橋本愛は次のようにコメントしています。

「抜群に好きな女優さんは宮下順子さんと芹明香さんです。それから隣の新橋文化劇場にも通うようになり、ぽつ、ぽつと座っているおじさま方と一緒に映画を観るのが大好きでした」「生活から文化もロマンも無くなったらもうテレビのニュースしか残らないよ、守っていかなきゃ~」

臼田あさ美も、自身のInstagramに載せた好きなロマンポルノのポスターを載せたことがありました。

3:低予算で大量生産され日活を支える

日活はもともと、50年代を中心にたくさんのヒット映画を量産し、邦画の黄金時代を支えてきた映画会社でした。ところが、60年代後半から映画界全体の観客数減と経営体質からくる問題から経営難に陥ります。そこで考えだされたのが、一般映画より低予算で、しかも採算面で利益が上がりやすいジャンルとしての、ロマンポルノでした。

以後、80年代にかけて一大ブームを巻き起こし、日活は17年間で約1,100本もの作品を量産し、その名を知らしめました。

記念すべき第一作は『団地妻 昼下りの情事』

1971年11月に公開された記念すべき第一作は、白川和子主演の『団地妻 昼下りの情事』でした。団地に暮らす平凡な主婦が浮気に走り、やがて売春婦まで堕ちていく姿を描いています。2010年にはリメイクが製作されるほど伝説的作品となりました。

4:ロマンポルノで咲いたスター女優たち

白川和子

1947年9月30日生まれで、長崎県佐世保市出身です。東京の跡見学園女子大学在学中、劇団「赤と黒」に入団。1967年にピンク映画『女子寮』に出演し、映画デビューしました。その後、1971年に日活にスカウトされて移籍し、記念すべき第一作『『団地妻 昼下りの情事』に主演します。「団地妻」シリーズを中心に人気を博し、日活ロマンポルノ初期のトップ女優になりました。

その後は一般映画やテレビドラマにおいても数々の話題作品に出演するようになり、2015年6月からはワハハ本舗に所属しています。

谷ナオミ

1948年10月20日生まれで、福岡県福岡市出身です。幼くして両親が離婚し、親戚の家をたらい回しにされて育ちました。上京し、1967年にピンク映画『スペシャル』で女優デビューを果たします。芸名は谷崎潤一郎の「谷」と『痴人の愛』のヒロイン「ナオミ」を組み合わせたものでした。

やがて日活に移籍し、1974年に団鬼六原作の『花と蛇』に主演し話題を呼びます。その後も団原作のSM映画に多数出演。日活ロマンポルノを代表する女優となり、「初代SMの女王」と称されました。1978年の『薔薇の肉体』では、第2回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞しています。結婚を機に引退し、2013年まで熊本でスナックを経営していました。

宮下順子

1949年1月29日生まれで、東京都世田谷区出身です。1971年、『私はこうして失った』で女優デビューし、10年近く日活ロマンポルノの看板女優として活躍しました。

演技力と存在感は、他の追随を許さず、また色気と強さ、知性を兼ね添えた女優として高く評価されました。代表作は「団地妻」シリーズの他、1979年の『赫い髪の女』などです。日活以外にも、多数の一般映画や時代劇、テレビドラマに出演し、今も現役で活躍しています。

美保純

1960年8月4日生まれ、静岡県静岡市出身です。1980年に「ディスコ・クィーン・コンテスト」へ出場して優勝。その後上京し、広告代理店でアルバイトしていたときスカウトされ、1981年、映画『制服処女のいたみ』で主演デビューしました。1982年に出演した『ピンクのカーテン』で一躍ブレイク、アイドル的存在として今までにないポルノ女優の地位を築きます。この作品では、ブルーリボン新人賞を獲得しています。

それ以後、『男はつらいよ』への抜擢など、一般映画やドラマに出演し、着実に演技派女優としての歩みを続けます。今や、名バイプレイヤーとしてなくてはならない女優の一人であることは周知の事実です。最近は、テレビのコメンテーターなどでも活躍しています。

5:落ち目な女優もスキャンダル扱いで復活!

関根恵子

80年代の日活ロマンポルノには、美保純に代表されるアイドル風な女優が登場した一方、人気が落ちたかつてスターが話題作りのために出演するケースや、スキャンダルからの復帰作品として出演するケースなどが出てきます。後者で有名なのが関根恵子(のちの高橋恵子)です。

1977年に自殺未遂、1979年には、舞台をすっぽかしタイのバンコクに逃亡などするスキャンダルにまみれていた関根恵子。一時は引退もささやかれるなか、再起を期してにっかつロマンポルノ10周年記念の大作『ラブレター』に出演します。同作品は、ロマンポルノ史上最高の興行収入を記録しました。

天地真理

新藤恵美、黛ジュン、大信田礼子、畑中葉子、天地真理ら、話題づくりのためロマンポルノに出演した女優やタレントは複数います。例えば、70年代に国民的アイドルとして一世を風靡した天地真理は、人気の陰りからアダルト路線に変更し、1985年には、にっかつロマンポルノ『魔性の香り』に出演しました。

6:ロマンポルノは男優も輝いた

蟹江敬三

新劇やアングラ劇団などに所属する、実力がありながらまだ名の知られていなかった男優が、日活ロマンポルノに出演し、キャリアを重ねてきた例は複数存在します。

惜しむらくも2014年に亡くなった名俳優・蟹江敬三もその一人です。若い頃から演劇活動を中心に、映画やテレビの脇役として数多くの作品に出演する一方、日活ロマンポルノ作品にも複数出演しました。代表作は、1979年の『天使のはらわた 赤い教室』の 村木哲郎役で、ファンの間では伝説的と称されるほど高く評価されています。

蟹江の野性的な魅力は、日活ロマンポルノにおいては「強姦の美学」と称えられるほど、存在感のあるものでした。

風間杜夫

風間杜夫は、かつて別名の人気子役として活動していましたが、13歳のとき劇団を退団してからは低迷。そして、1972年、日活ロマンポルノ作品で新しく「風間杜夫」の芸名で再デビューを果たします。一般映画への出演も兼ねながら、数々の作品に登場しますが、中でも代表作は、1973年の『昼下りの情事 古都曼陀羅』と『女教師 私生活』、1975年の『実録・元祖マナ板ショー』などです。

端整なマスクと確かな演技力は評価され、その後、『蒲田行進曲』(1982年)の 銀四郎役、テレビドラマの『スチュワーデス物語』(1983年)で大ブレイクするなど、大物俳優へと上り詰めていきました。

内藤剛志

内藤剛志は、文学座研究所を経て、1980年に『ヒポクラテスたち』で映画デビューのかたわら、20代にはたくさんのロマンポルノ作品に出演しています。

その当時を思い出し、次のように語ってします。

中でも、日活ロマンポルノはすごく愛しています。デビューした頃から、随分日活に出ました。そこでいろんなことを教えられました。当時、「新人は日活行け、そこで根性つけてこい」というのがあって、武者修行の場としてみんな出ていた。

7:新進気鋭の監督たちの実験場だった

石井隆

キャリアの浅い新鋭の映画人にとって、日活ロマンポルノは、自らの個性や才能を遺憾なく発揮できる場でした。その結果、多くの名監督がここから輩出されます。

石井隆も、代表的な一人です。もともと劇画漫画家でしたが、1977年、自身の作品『天使のはらわた』が、日活ロマンポルノで映画化され大ヒットします。シリーズ2作目においては脚本を手がけ、1988年の『天使のはらわた 赤い眩暈』ではついに監督をつとめました。本作は日活ロマンポルノを代表する傑作のひとつとして高く評価されています。

その後一般映画でも、1992年『死んでもいい』、1993年『ヌードの夜』、1995年『GONIN』など、世界的評価の高い、名監督になったことは周知の事実です。

相米慎二

『セーラー服と機関銃』『お引越し』など、日本映画界に数々の名作を残し、2001年に亡くなった相米慎二監督も、日活ロマンポルノにも確かな足跡を残しています。

元々、契約助監督として日活撮影所に入所し、ロマンポルノ作品の助監督を務めていました。自身が監督した1985年の『ラブホテル』は、ロマンポルノ後期の傑作に数えらています。

8:団地妻、大奥などのモチーフを生み出した

団地妻シリーズ

「団地妻」という言葉そのものを、初めて公に使用したのが、日活ロマンポルノでした。1971年の記念すべき第1作『団地妻 昼下りの情事』は、映画界に衝撃を与え、以後、団地妻シリーズは1979年まで計20作品が公開されることになります。

高度経済成長期であって、都市部の人口増による団地の増加と、猛烈に働く夫に代わり家を守る専業主婦という社会的環境が背景にあります。

物語の展開は、夫がいない昼下がり、鬱屈した専業主婦が欲望のはけ口として不倫に走るというパターンが基本でした。

大奥シリーズ

江戸時代、江戸城にあった女だけの居場所「大奥」も、好んで製作された題材です。男子禁制で、女たちの欲望や駆け引きが渦巻く大奥は、当然のことながら日本人が想像をかきたてられる格好の題材であり、日活ロマンポルノだけでなく、一般映画やテレビドラマでも頻繁に描かれてきたことは周知の通りです。

日活でも70年代を中心に、『色暦大奥秘話』などたくさんの大奥ものがシリーズで製作され、団地妻シリーズと並ぶヒットを記録しています。

9:団鬼六、宇能鴻一郎作品が大好き

団鬼六

2011年5月に亡くなったSM官能小説の大家、団鬼六。作家活動の他、ピンク映画の脚本を手掛けたのをきっかけに「鬼プロ」を立ち上げ、製作に関わります。70年代から80年代にかけては、日活ロマンポルノの中でも抜群の人気を誇ったSM映画の原作者として活躍し、「SM映画の巨匠」と称されるほど、莫大な影響力を持っていました。

代表作はなんといっても『花と蛇』。SM女優・谷ナオミとの交流もよく知られています。

宇能鴻一郎

団鬼六と並ぶ、日活ロマンポルノを支えた作家と言えば、宇能鴻一郎です。1962年に『鯨神』で第46回芥川賞受賞しただけでなく、多くの官能小説を発表し、映画の原作に選ばれてきました。

その名を冠した、『宇能鴻一郎の濡れて打つ』(1984年)など、これまで数十本が映画化されています。

10:映倫とのスレスレの攻防

日活ロマンポルノ裁判とは

1971年に日活ロマンポルノがスタートすると、翌年に公開された4作品、『愛のぬくもり』『恋の狩人・ラブハンター』『OL日記・牝猫の匂い』『女高生芸者』がいきなり警視庁に摘発され、裁判に発展しました。

映画本部長、製作・配給責任者ら6人がわいせつ図画公然陳列罪で、映倫の審査員3人が同ほう助罪で起訴された事件は、日活ロマンポルノ事件とも呼ばれ、世間の注目を浴びます。

1980年7月、二審の東京高裁も無罪判決を下して無罪が確定しましたが、ポルノ表現を巡って、製作側と映倫も絡んだ、様々な問題を提起することになりました。

11:海外に与えた影響

単なるピンク映画ではない日活ロマンポルノは、日本のみならず、海外でも多くのファンを持っています。その一例がアメリカの監督、クエンティン・タランティーノです。

1994年に『パルプ・フィクション』でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞し、その後も話題作を送り続けているタランティーノが、日本映画通であることは有名です。

70年代80年代の作品を偏愛し、もちろん日活ロマンポルノもその中に含まれています。特に、『女教師 汚れた放課後』『美姉妹 犯す』など数々の作品で主演を務めていた風祭ゆきのファンを公言。風祭は、タランティーノたってのリクエストで、2003年の『キル・ビル』に出演を果たしています。

12:28年振りに復活!?

これまでも、2010年の数作品のリメイク、2012年日活の創立100周年記念企画「生きつづけるロマンポルノ」開催など、その伝説は継承されてきましたが、いよいよ、本格的な再始動が発表されました。

2015年5月1日、1988年から28年ぶりの完全オリジナル新作を製作するという、日活ロマンポルノ製作45周年記念『日活ロマンポルノリブートプロジェクト』が発表されました。

予定している監督陣として、園子温、中田秀夫、行定勲、白石和彌、塩田明彦ら、現在の日本映画界を代表するそうそうたる顔ぶれも発表されています。

発注内容は、10分に1度の絡みシーンがあるという昔からの定番ルールを踏んだ、製作費1000万円前後、上映時間約80分のオリジナル作品だということです。

どんな作品が出来上がるのか、公開が待ちきれません。