2017年7月6日更新

クリント・イーストウッドについてみんなが知らない21の事実

西部劇やアクション映画に次々出演して人気を博したクリント・イーストウッド。監督としても優れた手腕を発揮し、80代になっても話題作を世に送り出し続けています。政治家として活躍したり、音楽の才能を持つ一面も。海外の記事から厳選した、あなたの知らない21の事実をお届けします!

1.ジェームズ・ボンドになっていたかも

イアン・フレミング原作の007シリーズで初代ボンドを務めたショーン・コネリーが1967年公開の映画『007は二度死ぬ』でシリーズを去ったとき、次のボンド役としてクリント・イーストウッドを指名しました。しかしクリントはショーンに従う気はなく、またボンド役はイギリス人の俳優が演じるべきだとオファーを断りました。

2.スーパーマンにもなっていたかも

人気アメリカン・コミックを実写化し、伝説的な作品になっている1979年公開の映画『スーパーマン』の構想中、クリント・イーストウッドは主役の候補の一人になっていました。最終的にその当時は無名だったクリストファー・リーヴが選ばれました。

3.『ダーティハリー』シリーズの一部を監督

クリント・イーストウッドは1959年から1965年にアメリカで放映された人気西部劇『ローハイド』に出演した際、エピソードの一つを監督することを熱望していましたが、かないませんでした。

その後、主役の刑事ハリー・キャラハンを演じて人気を博した1972年公開のアクション映画『ダーティハリー』を収録中、監督のドン・シーゲルがセットで病に倒れたときに、クリントは二つのシーンを監督するチャンスをつかみました。

4.サルとの共演

トラック運転手が警察や暴走族との逃走劇を繰り広げる1978年公開の映画『ダーティファイター』で、クリント・イーストウッドはマニスというオランウータンと共演し、次のようにコメントしています。

(オランウータンのマニスは)共演したなかでも、もっとも自然な演技をする俳優の一人だよ!ただ彼はすぐに集中力が切れるので、ファーストテイクで決めなければならないんだ。

5.クリント・イーストウッドはフランス人にも愛されている

2009年に、クリントはフランスのレジオンドヌール勲章のコマンドゥールを授与されました。また1998年にはフランスのアカデミー賞とも言われるセザール賞の名誉賞を授与されています。

6.ストーカー被害に遭ったことも

クリント・イーストウッドは、1972年公開のサスペンス映画『恐怖のメロディ』で初めて監督を務めました。ストーカーの恐怖を描いた作品ですが、後に、現実でも似たような経験をしました。エリック・ジェームズ・チザムという男性がクリントの息子であると訴えて、カリフォルニアのクリントの邸宅に侵入したのです。

7.クリント・イーストウッドの複雑な私生活

物静かで控えめな、家庭生活を大切にする人というイメージとは裏腹に、クリント・イーストウッドの私生活はかなり複雑です。それは前ガールフレンドであるソンドラ・ロックとの公衆の面前での大げんかからも明らかです。

ロックは最終的にはクリントを様々な違反行為で訴えましたが、訴えは示談として決着したようです。

8.リアリティ・ショーに出演?!

2002年、E!チャンネルで『ミセズ・イーストウッド&カンパニー(原題)』というリアリティ・ショーが放映されました。クリントの当時の妻ディナが子供の面倒を見ながらオーバートーンという南アフリカのグループを経営する様子に注目した番組でした。

クリントは10エピソードのうちで3つのみに出演しました。ディナが2013年離婚の申請をしたことを考えれば無理もありません。

9.政治家として活躍するクリント・イーストウッド

クリント・イーストウッドは1986年にカリフォルニアのカーメル市の市長に選出され、1期2年間を務めました。企業利益優先の公約を掲げ、公共の場でアイスクリームを販売したり食べたりすることを禁じる法令を撤廃したことは、クリントの政治的な業績の一つとなっています。

10.現実でも人命を救助

2014年に開催されたゴルフ・トーナメントのパーティで、クリント・イーストウッドは男性がチーズのかけらを喉に詰まらせるのを目撃し、窒息のための応急措置であるハイムリッヒ法で命を救いました。

助けられた男性は次のように語っています。

息ができなくなったとき、僕はクリントの方を見ていた。彼はすぐに気づいて、僕の命を救ってくれたんだ。

11.本当はクリント・イーストウッド二世

クリントの父親もクリントと呼ばれていました。つまりこのスターの名前は正式にはクリント・イーストウッド二世ということですね。

12.一時はアメリカ一大きな木を所有

クリント・イーストウッドは、北カリフォルニアの所有地に広葉樹の林を持っています。そのうちの一本であるユーカリプタス・グロブルスの大木は2000年アメリカの最も大きな木に選ばれました。

栄光は長くは続かず、2002年に西海岸にある他の木にタイトルを奪われました。クリントがどのような反応を示したかは不明です。

13.音楽の才能もあるクリント・イーストウッド

ヒラリー・スワンクが主演し第77回アカデミー賞作品賞を受賞した2005年公開の映画『ミリオン・ダラー・ベイビー』や、アンジェリーナ・ジョリーがアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた2008年公開の映画『チェンジリング』ほか、たくさんの作品で音楽を担当しています。

ジャズを愛しピアノを独学で身につけた彼は、1996年にカーネギー・ホールでも演奏したことがあるほどの腕前です。

14.ポップスター??

クリントの音楽の才能はそれだけではとどまりません。歌手としても何枚かのアルバムを発表しています。中年歌手の旅を描いた1983年公開の映画『センチメンタル・アドベンチャー』の主題歌「ノー・スウィーター・チーター・ザン・ユー」もその一つ。

ただこの曲は不運なことに第3回ラジー賞の最低主題歌賞を受賞しています。

15.椅子に語りかけるクリント・イーストウッド

2012年の米大統領選で共和党の党大会にサプライズゲストとして参加したクリント・イーストウッドは、ゴールデンアワーに12分間のスピーチをしましたが、その内容はオバマ大統領が座っているという名目で誰も座っていない椅子に話しかけるというものでした。

多くの報道によればスピーチはとりとめのないもので、後にクリントは盛大にからかわれることになりました。ツイッターでは空っぽの椅子に向ってポーズを取る”イーストウッディング”が大流行し、拡散されました。

16.歴史的な建築物に目がない

イーストウッドは1986年、カーメル市にある農園ミッション・ランチを購入し、コンドミニアム建設のために開発される危機から地所を救いました。農園の改装のために最高の職人を探し求め、オリジナルの建物の様式にあう装飾やドアわく、ドアノブなどの建具金物を再現させたと言われています。

今日ではこの農園はホテルやレストランとして人気を博しています。

17.クリント・イーストウッドは銃規制を支持

イーストウッドは1965年公開の映画『荒野の用心棒』などで演じた名無しのガンマンや、『ダーティハリー』で演じたハリー・キャラハンのような、ピストルを手にした役で有名になりましたが、現実でも銃擁護派であるチャールトン・ヘストンとは立場が違うようです。

CNNのインタビューで、次のように語っています。

私はずっと、一定の銃規制を支持しているよ。カリフォルニアでは銃を購入する際、待ち時間を課される義務があるからあまり考えなくて済むが、まったく規制のない州もある。・・・銃を持つべきでない者の手に渡らないようにすることが大変重要なことなんだ。

18.博士号を持っている

イーストウッドのような経歴を築くには、かなり賢くなくてはならないでしょう。学会も、同意見のようです。

2007年にバークリー音楽大学と南カリフォルニア大学の映画芸術学部から名誉博士号を授与されました。2年後アメリカ映画協会も名誉博士号を授与しています。

19.筋金入りのゴルファー

ハリウッドスターはよくゴルフをプレイしますが、クリント・イーストウッドはカリフォルニア州ペブル・ビーチで催される全米プロゴルフ協会のセレブトーナメントに1962年から2002年まで毎年出場しました。

それどころか、カリフォルニアのテハマ・ゴルフクラブも所有しています。

20.超越瞑想を実践

クリント・イーストウッドはほとんど40年間毎日超越瞑想と呼ばれる瞑想を行っています。2011年にはディヴィッド・リンチ財団の元で、軍人が心的外傷後ストレス障害とたたかうための方法として瞑想を紹介するビデオを制作しました。

21.まだまだ現役俳優のクリント・イーストウッド!!

クリント・イーストウッドは80代になってからもアカデミー賞で6部門にノミネートされた2015年公開の映画『アメリカン・スナイパー』などの話題作を世に送り出し続けています。

アメリカでの飛行機不時着事故を題材にした監督作『ハドソン川の奇跡』が、トム・ハンクス主演で2016年9月に劇場公開予定です。