2017年7月6日更新

映画『ブレイブハート』の知られざる事実15選

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メル・ギブソンの代表作『ブレイブハート』

1995年の映画『ブレイブハート』は、スコットランド独立のために戦った実在の英雄ウィリアム・ウォレスの生き様を、メル・ギブソン監督兼主演で描いた超大作です。この作品はアカデミー賞で作品賞を始めとする5つの部門で受賞を果たし、監督としてのメル・ギブソンの力量を証明しました。 また、この映画公開後にはスコットランドへの旅行者が格段に増加したそうです。 そんな本作にはあなたの知らない意外な事実が満載!この記事ではあっと驚くようなトリビアを15紹介します。

1.ギブソンは主演をやらざるをえなかった

1995年当時、メル・ギブソンは『マッド・マックス』や『リーサル・ウェポン』への出演によって俳優としてはとても有名だったのですが、監督としては小規模な映画を1本作ったことがあったのみ。そのため、彼が本作の企画を提示した時、映画製作会社ワーナー・ブラザーズは資金提供を渋っていました。 結局、メル・ギブソンが主演を務めるならば、という条件で製作を許可されることになります。有名な俳優である彼が主演であれば、映画が売れて元が取れるだろう、と考えたのでしょう。 彼自身は、自分はウォレス役には年を取りすぎていると考えていたため、俳優のジェイソン・パトリックにウォレス役を依頼したかったようです。

2.テリー・ギリアムが監督していたかも?

メル・ギブソンは自分が監督を担当することも始めから決めていたわけではありません。実は「モンティ・パイソン」シリーズや『未来世紀ブラジル』で有名なテリー・ギリアムに、監督を打診していたそうです。 しかしこれは断られ、ギリアムは1996年にブルース・ウィリス主演の『12モンキーズ』を発表しました。

3.歴史的調査は脚本が書かれた後になされた?

『ブレイブハート』の脚本家であるランダル・ウォレスは、休暇でエディンバラを訪れた際にツアーガイドからウィリアム・ウォレスの話を聞きます。彼はすぐに「これは良い映画の脚本になりそうだ」と考え、執筆を開始しました。 しかし驚くべきことに、ランダル・ウォレスは脚本を書く際に詳細な歴史の調査を行わなかったのです!ウォレスは、まずは英雄の物語のドラマ性を捉えた上で、そこに歴史的なディティールを追加する、という方針で本作の脚本を書き上げました。 本作はしばしば歴史的に不正確だとの批判を受けますが、ウォレスは自分の書いた脚本は、英雄の生き様をめぐるドラマを解釈したものに過ぎないと、はっきり述べています。

4.あの印象的な顔のペイントは歴史的に不正確!

『ブレイブハート』と言えば、戦闘シーンでの顔の青いペイントが有名ですよね。これは「ウォード(woad)」と呼ばれる、藍から作られる染料で顔を塗る古代ケルト人の風習で、スコットランド人の風習ではりません。 また、ウォードが実際に使われたのはローマ帝国がブリテン島を攻略しようとしていた時、つまり3〜4世紀頃です。6世紀までにはその使用はすでに廃れていたことがわかっています。 つまり、映画の舞台である13世紀末に、スコットランドの兵士たちがあのようなペイントをしていたというのは、歴史的に不正確なのです。

5.エドワード3世がウォレスの息子ということも有り得ない!

映画のラストにおいて、王妃イザベラの息子(後の国王エドワード3世)が、実はウィリアム・ウォレスの息子かもしれない…ということがほのめかされていますが、これは映画のために作られた設定。実際の歴史と照らし合わせると正しくありません。 実際のエドワード3世は、ウォレスが処刑された7年後に生まれているため、ウォレスが父親であることは有り得ないのです。そもそも、ウォレスが処刑された頃イザベラはまだ10歳なので、2人の間にロマンスがあったということも、完全な作り話です。

6.撮影はアイルランドで行われた

『ブレイブハート』の見どころの一つといえば、その美しく荘厳な景色でしょう。スコットランドの無垢で険しい山々、青い野の数々の美しさは言葉に表せません。風景を見事に切り取ったこの映画はアカデミー撮影賞を受賞しました。 しかし、映画のほとんどが撮影されたのは、スコットランドではなくアイルランドでした。映画の中で、アイルランドのウィックロー山地やトリム城などを確認することができます。

7.スターリング・ブリッジの戦いのシーンのテープは90時間にも及んだ

3時間近くに及ぶ映画の中で、なんと約半分を占めているのはスターリング・ブリッジの戦いの戦闘シーンです。これも実際は橋の上で行われた戦いなのですが、映画では予算の関係上、舞台が草原になっています。 この迫力のあるシーンの撮影には約6週間が費やされ、撮影されたテープはなんと90時間分にも及んだそうです。

8.戦闘シーンのエキストラ事情

この大掛かりの戦闘シーンで気になるのは、こんなに多くものエキストラをどうやって集めたのか、ということでしょう。実は、エキストラの多くがアイルランド軍の兵士なのです。実際の兵士が演じているからこそ、あれだけの迫力があるのですね。 さらにメル・ギブソンは費用を節約するため、同じエキストラにスコットランド軍とイングランド軍の両方を演じさせました。シーンによって単に衣装とメイクアップを変えていただけなのです。

9.実際のウォレス氏族もエキストラとして参加した

スコットランドには現在も続く氏族制度がありますが、その中でもウィリアム・ウォレスの出身である「ウォレス氏族」の現在の子孫が『ブレイブハート』にエキストラとして参加しています。彼らは戦闘が始まる前のシーンにおいてメル・ギブソンの周りに立っていることが確認できます。 またギブソンは映画撮影期間中は、ウォレス氏族とともに時間を過ごし、スコットランドの歴史について学んだそうです。

10.危険な戦闘シーンの馬はニセモノ

『ブレイブハート』の戦闘シーンが公開された時、傷つき殺された馬の描写があまりにもリアルなので、動物愛護団体からは撮影時に実際に馬が傷つけられたのではないかと、メル・ギブソンに対して苦情が寄せられました。 しかしご安心ください、危険なシーンでは生物を模したロボットを用いて撮影する技術「アニマトロニクス」が使われているのです。ギブソンは動物愛護団体を説得するために、編集前のテープを公開しなければならなかったそう。 また監督は「どの馬がニセモノか見分けられた人には5ドルやる」とも言ったそうですが、未だその5ドルを受け取った人はいないようです。

11.戦闘シーンのモデルは『スパルタカス』と『マッドマックス』

監督経験の浅いメル・ギブソンが映画の肝ともなる豪壮な戦闘シーンを撮影した際に、影響を受けた映画が2つあります。それがスタンリー・キューブリック監督の1960年『スパルタカス』と、ジョージ・ミラー監督でギブソン自身が主演した1979年『マッドマックス』です。 暴力的なシーンを撮影する際、ほとんどの場面において『マッドマックス』のテクニックを借りているのは、彼自身も認めるところ。異なるスピードで撮影された映像を組み合わせたり、同様のカットを時間の経過を飛ばして繋ぎ合わせる「ジャンプカット」と呼ばれる手法を取り入れたりしています。 そのため残虐性が際立つ演出になっていたのです。

12.ウィリアム・ウォレスの妻の名前はミューロンではなかった

『ブレイブハート』前半のヒロインである、ミューロンがイングランド軍に殺害されたことがウォレスの復讐心に火をつけ、イングランドに対するスコットランドの大きな抵抗運動へと繋がっていきます。 実は、史実を見るとウォレスの妻(恋人)の名は「マリオン」となっています。しかしこれは同じ時期にイングランドで活躍した伝説上の英雄「ロビン・フッド」の恋人と同じ名前なのです。混同を避けるために本作においては名前がよりスコットランド風のミューロンに変更されました。 ちなみに、ミューロン役を演じたキャサリン・マコーマックは、本作が映画初出演の新星でした。

13.大したヒットではなかった

オスカー最高の賞を獲得したにもかかわらず、製作国アメリカにおいて『ブレイブハート』はそんなに大きなヒットではありませんでした。全米の興行収入は7500万ドル。制作費が7200万ドルあったのと比べると、いかに少ないかがわかります。 全世界的に見ても、アカデミー作品賞受賞作であるにもかかわらず、1995年の興行収入ランキングにおいて本作は比較的下位に位置しています。

14.撮影は映画の順番通りになされた

『ブレイブハート』は3時間超の大作ですが、その撮影は基本的に物語の順番通りになされたそうです。つまり、映画冒頭のシーンが最初に撮影されたというわけです。 映画の大半はセットではなくロケーションで撮影されました。メル・ギブソンは自然の中で過ごすことを楽しんだようですが、身体的には
「リーサル・ウェポン」シリーズを3つ続けて撮影するよりも辛かった
引用:www.imdb.com
と語っています。

15.『ブレイブ・ハート』はメル・ギブソン流のキャスティングがなされた

『ブレイブハート』においてメル・ギブソンは、製作・監督・主演を務めただけでなく、キャスティングも自ら担当しました。その際通常通り俳優にセリフを読んでもらうということは一切せずに、単にお茶を飲みながら会話をしただけだったそうです。 さらに、ウィリアム・ウォレスの少年時代の役には、これまで全く演技経験のなかったジェームズ・ロビンソンを採用しています。