森光子、日本のお母さんと呼ばれた大女優について知りたい

2017年7月6日更新

森光子は主演を務めた舞台『放浪記』の上演が2017回を数え、2009年には国民栄誉賞を生前授与した初めての女優です。「日本のお母さん」と称され女優として別格の地位を築き上げた森光子について、知られざるエピソードをご紹介します!

「日本のお母さん」と呼ばれた森光子

森光子

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森光子(もりみつこ、1920年5月9日生)は、京都府出身の女優、歌手。本名は村上美津(むらかみみつ)で、時代劇の大スター“アラカン”こと嵐寛寿郎の従妹です。15歳の時『なりひら小僧・春霞八百八町』にて茶屋の娘役で出演し芸能界入りを果たしました。

1970年から放送されたドラマ『時間ですよ』シリーズに出演した他、ワイドショーの司会などでも活躍した森。代名詞ともいえる舞台『放浪記』は上演回数2000回を越え、2009年には国民栄誉賞を受賞しています。

しかし2010年、体力面を不安視する主治医の勧めから『放浪記』の出演を断念。

その後、都内の病院で闘病生活に専念したものの2012年11月10日18時37分、肺炎による心不全で亡くなりました。92歳で息を引き取った「日本のお母さん」、森光子の波乱万丈な生涯をご紹介します。

女優を一時引退、歌手活動していた!

森光子

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幼少期から歌と踊りが好きだったという森光子。祇園の芸妓だった母と紡績会社社長の御曹司の父が相次いで肺結核で死去してしまった事から、京都府立第一高等女学校を僅か数ヶ月で退学し歌劇の道を志していました。

従兄である嵐寛寿郎のプロダクション(第二次寛プロ)に所属し、映画デビューを果たすもその後寛プロが閉鎖。1938年、後の大映である新興キネマに移籍し娘役として他作品に出演していきますが、その活動に満足できなかった森光子は一時女優業を引退し、歌手活動を始めていきました。

空襲を受けたって本当?

森光子

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1941年、陸軍の満州慰問団に参加した森光子は戦時中、ボルネオ、ジャワなど外地の前線を前座歌手として慰問していました。そしてセレベス島滞在中のある日、空襲警報に遭遇。空襲の際は堅固な刑務所の防空壕に逃げるように指示されていましたが、買物帰りだった為やむなく近くのホテルの防空壕に避難しました。

しかし、刑務所の防空壕は空襲弾が直撃。森が逃げ込んだホテルの防空壕は被害を受けず、運よく難を逃れました。その後も船が魚雷を受けるなど九死に一生を得る体験をしましたがなんとか生き抜き、戦後は進駐軍を相手に歌うなどしてがむしゃらに働いたといいます。

肺結核を患い3年間の闘病生活

森光子

1948年、肺結核と診断され約3年間の闘病生活を余儀なくされた森光子。一度は「死んだ」とも噂され、長いブランクもあった為中々仕事を貰えず、1952年NHKラジオ大阪『エンタツちょびひげ漫遊記』でやっと復帰することができました。

その後、大阪にて専属契約を交わしラジオ番組やテレビ番組に出演。舞台にも出演するようになった森光子の演技を、偶然見た劇作家・菊田一夫に誘われ、『花のれん』や『がめつい奴』に出演し東京進出を果たしていきました。

国民栄誉賞を受賞!代表作『放浪記』との出会い

森光子 放浪記

1960年、舞台『がしんたれ』で森が演じた脇役の林芙美子が高評価を受けた事から、劇作家の菊田が林芙美子を主役とした舞台『放浪記』の脚本を執筆。この舞台が初演にして8カ月のロングランとなり、それまで脇役専門だった森光子が上演後ようやく脚光を浴び、本格舞台女優と称されるきっかけとなった作品です。

劇中森演じる林芙美子が喜びのあまりでんぐり返りをする場面は名物とも言われ、芸術祭文部大臣賞やテアトロン賞を受賞。生涯上演数が2017回を数え、彼女の主演代表作となりました。これにより2009年国民栄誉賞を受賞。俳優では長谷川一夫、渥美清に次いで3人目で、初の生前授与した女優となりました。

2度結婚していた森光子

森光子

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森は1947年27歳の時、ジャズ歌手として進駐軍キャンプに行った巡業先で日系アメリカ人2世の米軍リチャード・ウエムラに見初められ婚約しました。彼女の渡米を望んだウエムラでしたが、芸能界に未練があったため、日本に留まりたいとそれを拒否。約1週間という短い婚姻関係でした。

その後1959年、NHK大阪での仕事仲間だった、プロデューサーで演出家の岡本愛彦と2回目の結婚。関係は良好だったものの、『放浪記』がヒットしたことにより森光子は仕事にのめり込み仕事最優先となっていきました。徐々に2人の間には溝が出来始め、1963年に離婚することとなります。

別れても尚岡本のことを愛していた森はもう二度と結婚しないと決意し、この離婚以来生涯独身を貫きました。

遺作ドラマとなった『渡る世間は鬼ばかり』

渡る世間は鬼ばかり

森光子が主演を務めたドラマ『時間ですよ』は、1970年から1989年までTBS系列で放送された銭湯を舞台にしたホームドラマです。森は家族と従業員らに慕われる松の湯のおかみさん役を演じ、笑いと人情満載で視聴率30%以上を記録した人気ドラマとなりました。

1990年から2008年には同じくTBSの『渡る世間は鬼ばかり』にて、大吉の姉で5人の娘の伯母・森山珠子役で出演。当時88歳ながらも大吉や節子、5人姉妹の一番の味方である役を見事に好演しましたが、そのおよそ3年後に死去した事で今作がドラマ作品での遺作となりました。

なお、女優としての活動は舞台『人生革命』が最後となっています。

東山紀之と森光子が付き合っていた?!

森光子

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森はジャニーズ事務所の創立者・ジャニー喜多川と古くから交流があったことから、ジャニーズ所属タレントとの交流がたびたび注目を集めていました。2010年2月から『放浪記』の上演が中止され自宅療養しつつも、ジャニーズ関連の公演には足を運んでいた彼女。

特に少年隊の東山紀之とは公私にわたり親交を深めており、交際の噂を立てられたほどでした。40以上年が離れているにも関わらずそのような噂が飛び交ったのも、長きに渡り人気現役女優であり続けた別格の大女優たるゆえんといえるでしょう。