観客を混乱させるために作られた不気味な映画8選

2017年7月6日更新

世の中にはいろんな映画があります。映画の世界は多様多彩で監督の考えによってなんでも描いて見せてくれます。そのなかでは観客を混乱させるために作られたような不気味な映画もあります。見る人を困惑させる不気味な映画をwhatculture.comを参考にご紹介します。

1.『午後の網目』(マヤ・デレン)

マヤ・デレンの『午後の網目』は前衛的な映画です。これはとても複雑で難しい映画で、この映画が作られてから約70年経った今でもゾッとするほど抽象的なままになっています。

シュールレアリズムとフロイトの著作に影響を受けたこの映画は内容は非常にシンプルで、花、鍵、海やマントを着た人影などの描写が何度も繰り返されてます。しかし、これらのものの間に明確なつながりを見つけることができません。

珍しいカメラアングル、極端なスローモーションは、ますます抽象的な感じで、何が言いたいのか理解しにくい映画です。

2.『ファミリーファインズ エンターテイメント』(ライアン・トラカートゥン)

アメリカのアーティストであるライアン・トラカートゥンが作り出すのは、奇抜な色彩、化粧、そして奇妙な映像と音声でわけのわからない映画です。その割にはとてもまとまりがよいのが不思議な、まさに今の時代に相応しいデジタルビデオディレクターです。

俳優は、一度に複数の役割を務め、彼らの声はスピードアップしたり、急に減速したりします。

サウンドトラックとビジュアルは、意識障害を引き起こすようにうるさく、しかし、意図的に無計画に編集されてます。

ライアン・トラカートゥンの映画は、本質的に"今の時代"を表しています。彼の描く物語と迅速な編集スタイルは、情報の膨大な量を日常的に浴びるインターネットユーザーに何かを投げかけているかもしれません。

3.『エージ ドール』(ルイス・ブニュエル/サルバドール・ダリ)

『エージ ドール』は最も重要な超現実主義映画のようですが、映画のほとんどはルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリのペアリングとアンダルシアの犬を話しているだけです。

二人の有名な芸術家によって書かれた本作は、ルイス・ブニュエル一人で監督してます。

この映画がフロイトに影響を与えたことは驚くべきことでもないでしょう。過激な性的な表現はローマカトリック教会の保守主義を激怒させる結果になりました。

4.『鏡』(アンドレイ・タルコフスキー)

『鏡』 (ロシア語:ЗЕРКАЛО [Zerkalo],英語:The Mirror) は、最も才能のある監督の一人、アンドレイ・タルコフスキーによるとても素晴らしい作品です。

映画の視覚的な美しさを融合する試みにおいて、『鏡』は息を呑むほど美しくて複雑な映画に完成されました。

作者の自伝的要素の強い映画でありますが、また同時にロシアの現代の歴史を独特の手法で描き出した作品でもあります。

アンドレイ・タルコフスキーにとって、過去は記憶のなかに存在する現在であり、現在も、過去の記憶のイマージュの一つの複合であります。このようにしてうつろい行く記憶のなかに「永遠」が存在しています。

アンドレイ・タルコフスキー自身は「永遠」という言葉は使いませんが、変わることのない何かが存在していることであり、それは「鏡」に映る像のなかにあります。

『鏡』のなかで、父アルセニーの詩を繰り返し朗読するのは、作者のアンドレイ・タルコフスキーですが、父と作者は鏡を通じて、互いに像となっていきます。

母マリアと妻ナタリア(同じ俳優が演じている)も鏡像関係にあり、更に作者と息子イグナート(少年時代の作者とイグナートは同じ俳優である)も互いに鏡像となります。

5.『ウィークエンド』(ジャン=リュック・ゴダール)

1960年代、ジャン=リュック・ゴダールは、年に2作のスピードで、印象的で革新的な傑作を作り出してきました。

この時代の集大成は1968年の『ウィークエンド』でしょう。

彼は観客が現実から逃げることのできないという"不愉快な"映画を作ってます。この映画の物語の最も悪名高い瞬間は、街を離れようとしている人々の交通渋滞の10分間の追跡ショットです。

6.『8 1/2』(フェデリコ・フェリーニ)

『8 1/2』は、フェデリコ・フェリーニの傑作のなかでも最も美しい作品であることは間違いありません。映画は、現在と監督が見ている夢、想像、過去回想などが自然に交差され、流れていきます。

作品は主人公の省察、告白的な雰囲気に溢れながらいくつかの面では、実際の監督の自伝的要素が反映されているかのように思われます。

7.『去年マリエンバートで』(アラン・レネ)

『午後の網目』と並んで、アラン・レネの『去年マリエンバートで』は、おそらく物語の抽象化に関する議論の中で、頻繁に持ち出される映画です。

バロック風の巨大な城を背景に、男女が互いに異なる過去の記憶を思い出します。

男性は女性に二人は昔お互いに愛しあって、彼女が定めた約束を守るために自分がいて、今、彼女を連れて行くと言います。しかし、女性は男性の主張を否定します。

ヌーヴォーロマンの作家であるアラン・ロブ=グリエのシナリオをもとに、レネは現実と幻想、現在と過去をもう区別することができない時間の迷宮へ私たちを案内します。

サーシャコルビエールニーの優れた撮影と、Aという女性として登場するレネのプルースト的な女優デルフィーヌ・セイリグの独特の魅力を感じることができます。

Xと呼ばれる謎の人物を演じたジョルジオアルベールタチ、そして慌てる夫Mをサシャピトエフという名優たちが演じてます。

8.『インランド・エンパイア』(デヴィッド・リンチ)

デヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』はバーグマン、フェリーニ、デレン、レネとゴダールの作品に出てくるテーマの集大成であり、それは今まで映画史の中で最も難しくて恐ろしい抽象映画です。

複数の役割、黒と白のポーランドシーケンス、悪不気味な派手なデジタル映画撮影、ヒューマノイドウサギについてのホームコメディ、映画の装置のショットや映画の歴史の中で最も長いモノローグの一部を再生する文字を組み合わせた3時間のモノリスは、不可解そのものです。

『インランド・エンパイア』は180分、なんと3時間も上映するすごく長い映画です。歴代のデヴィッド・リンチ作品の中で最も長いもので、登場する俳優たちもすごく多いです。それだけでなく、歴代映画の中でデビュー作である『イレイザーヘッド』と肩を並べる最も理解に苦しむ作品です。

3時間の映画なのにこれといってストーリーがないのです。『インランド・エンパイア』がストーリーを持って一般的な映画らしく進むのは、序盤の30分程度です。

映画が開始して約10分間はわけのわからない異様な場面が超現実的な感じに展開され、ヒロインのニッキー(ローラ・ダーン)の家に隣人が訪問して、会話をを開始し、はじめてストーリーが進みます。

そのあと、ニッキーが映画のオーディションに合格して監督に会い、映画の撮影を始めるまである程度ストーリーを持った映画として展開されますが、映画の撮影が始まってから、一体どこが映画撮影中の内容で、またどこが実際の状況かわからない夢幻的で非現実的なはっきりしない画面がm時間と空間を超越してごちゃ混ぜに展開されます。いつかは本筋戻ってくるだろうと期待しても、なんと2時間以上そのまま続きます。

そのうちに、次は、どのような神秘的でショッキングな映像が出てくるか、時間が経つにつれ退屈ではなく、期待感が高くなってくるのです。時にはホラー映画のように驚かせ、時にはミュージカルのようにリズムと音楽を見せ、時には真剣なドラマのように深刻な人々の会話が続いて、そのそれぞれの対話と行動は、原因と結果もなく、まるでいくつかの映画のワンシーンをはさみで取引切ってそこだけ味見をさせてくれるように続きます。

映画の途中で出てくるセリフである「昨日は実は明日である」という言葉に共感してしまうくらいです。