2017年7月6日更新

片岡鶴太郎、役者の他に画家やプロボクサーまでこなすマルチなベテラン俳優に迫る7のこと

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片岡鶴太郎

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1:マルチにこなすベテラン俳優片岡鶴太郎

片岡鶴太郎は、1954年に東京の西日暮里で生まれました。幼い頃から将来の夢は役者になることだったそうです。高校卒業後に声帯模写の片岡鶴八に弟子入りし、独り立ち。その後バラエティ番組『オレたちひょうきん族』で近藤真彦のものまねを披露したことが注目を集め、お笑いタレントとして本格的にテレビデビューを果たします。 テレビデビューをきっかけにバラエティやMCなど幅広く活躍していた片岡鶴太郎は1989年、映画『異人たちとの夏』で第12回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。NHK大河ドラマ『太平記』で自らが演じた北条高時がはまり役だったことも相まって、俳優として本格的に活動を始めました。その後も数多くの賞を受賞し、今やベテラン俳優としての地位を確固たるものにしています。

2:『片岡鶴太郎の金田一耕助シリーズ』で主演を務める

『片岡鶴太郎の金田一耕助シリーズ』は、横溝正史の推理小説を原作としたテレビドラマです。1990年から放送されたこのドラマの主人公金田一耕助を、片岡は9シリーズに渡って演じました。 『片岡鶴太郎の金田一耕助シリーズ』第1作目となった『獄門島』は、終戦1年後を舞台とした作品。片岡演じる金田一は「獄門島の現当主が死ぬと、その妹たちが殺される」という不吉なことを聞きつつも、獄門島を訪れます。島に来て三日目、妹の一人が殺されているのを発見したのをきっかけに、金田一は島を取り巻く恐ろしい因縁に巻き込まれていきます。

3:数多くのものまねレパートリーの持ち主!

ベテラン俳優としてのイメージが強い片岡鶴太郎ですが、声帯模写とお笑いタレントの経験により数多くのものまねの持ち主です。そのレパートリーの多さとクオリティの高さは流石!と唸りたくなるほど。 片岡鶴太郎はものまねが上手い人として学校でも人気者でした。10歳の時には『しろうと寄席』という番組に動物の物真似で出演したこともあり、幼い頃からものまねに興味がある少年だったようです。売れる前は郷ひろみのものまねをしていたずら電話をかけていたという、おちゃめな一面もあります。

4:昔は太っていた?ボクシングと食事を改善してダイエット

「これが最後。芸人は売れなければ一文なしだ。人様にごちそうになることもあるだろう。そのときには、一番安いものを頼むのがたしなみだ」
片岡鶴八に弟子入りする際にカツ丼をおごってもらい、芸人としての「粋」を教わった片岡鶴太郎。いつか売れた時にカツ丼を食べよう!と決意して、売れるまで毎日自分の芸を磨くことに励みました。 そのため、テレビで売れっ子になった後はカロリーの高いものを摂取しがちになり、必然的に体重が増えてしまったそうです。その頃に放送された懐かしいCMがこちらです。 「今の自分のままではダメだ!」と思い直し、33歳の時にボクシングのプロライセンスを取得。プロボクサーの受験資格は29歳まででしたが頼みこんで受験させてもらい、見事合格しました。 受験のために1年間食事制限をして、スリムな体型になりました。今でも魚や野菜中心のヘルシーな食生活を送っているそうです。

5:胃液吐くまで?!衝撃的な楽曲を発表

1986年、片岡鶴太郎は衝撃的な楽曲を発表しました。そのタイトルはズバリ、『IEKI吐くまで』。バラエティ番組『オレたちひょうきん族』の中で歌われていた楽曲です。インパクト抜群のタイトルですね。 マルチに活躍する片岡鶴太郎は、他にも10枚以上のシングルと2枚のアルバムを出しています。最近ではNHK『みんなのうた』でその歌声を披露したりもしています。

6:タモリに影響されて芸術家の才能が目覚める

片岡鶴太郎は40歳の時に、タモリに影響されて挿絵を描くことを始めます。そして1989年、ドラマ『志功の青春記 おらあゴッホだ』で棟方志功を演じたことで水墨画や陶芸を持ち、創作活動を本格化させていきました。 1995年には個展「とんぼのように」を開催。2015年には書の芥川賞と呼ばれる第十回手島右卿賞を受賞し、芸術家としてもその存在を確かなものにしています。

7:草津温泉に片岡鶴太郎美術館をオープン

片岡鶴太郎美術館は、1998年に開館した片岡の作品が展示された美術館です。草津ホテルの隣というロケーションも相まって多くの観光客が訪れる場所となっています。 約130点もの作品が展示された美術館では、片岡鶴太郎の作品である絵葉書やハンカチなどが販売されています。自然豊かな場所でゆったりとした時間が流れるこの美術館に、一度足を運んでみてください。 いかがでしたか?ドラマやバラエティ、創作活動などさまざまなジャンルで活躍する片岡鶴太郎。次はどんなことにチャレンジしていくのか、これからも目が離せません。