1:学生時代は知らない人はいないほどのヤンキーだった
ガッチリした体つきながらも、柔和で包容力を感じさせる頼もしいキャラクターが特徴の赤井英和、学生時代は地元では知らない人がいないくらいのヤンキーだったそうです。
ゴリゴリのヤンキーファッション
ガッツリと剃りこみの入ったパンチパーマに、中ラン(丈を長めに改造した学生服。襟も高めであることが多い)、ボンタン(鳶服に見られるような、膝下あたりが大きく膨らみ、ダボついたズボン。程度によっては袴のように見える。)という、ヤンキーファッションに身を包み、ひげを蓄えていたそうです。
しかし、まだ若かったこともありヒゲの濃さに満足が行かないこともあったようで、そんなときはお母さんの眉墨を使って一生懸命描き足していたという微笑ましいエピソードも!硬派だけど、なかなかのお洒落さんだったようですね。
列車内をパトロール!
通学途中、電車の中で足を組んだりふんぞり返っている「ワルそうな学生」を見ると、片っ端から蹴りを入れて”風紀を正す”のが日課だったとか。当然喧嘩が絶えなかったわけですが…。
しかし、それも「ヤンキーとしての赤井」を広めるための戦略だったと赤井自らが語っています。確かに、電車や駅は人出が多く、いろいろな地域の学生が集まりますから、効果は抜群でしょう。また、当時のヤンキーたちにとって、喧嘩はコミュニケーションの一つだったようで、喧嘩が成立すること自体を楽しんでいたとも語っています。
情に厚いのも当時のヤンキーの特徴。自身の言動を「魅せるセンス」は俳優業には無くてはならないもの。「ヤンキーの赤井」は現在の赤井英和にもしっかりと引き継がれているようです。
2:ボクシングを始めたのは高校時代
そんな赤井英和に転機が訪れたのは、高校2年の頃。ボクシングで国体に出場した赤井は、当時全くの無名であったにも関わらず、有名選手を倒してしまったのです!
そのことが雑誌に大々的に取り上げられたことに感銘を受け、本格的にボクサーを目指すことを決意しました。記事を見た次の日には髪をスポーツ刈りにして、朝夕のトレーニングにジム通いと、とにかく「決めたらとことんやる」タイプだったようです。
3:「浪速のロッキー」という通り名を持つ
プロボクサーとしての」赤井英和は約4年間活躍。その間21戦中19勝という好成績を残し、12連続KOという快挙を成し遂げたことから「浪速のロッキー」の通り名で知られ、人気を博しました。
「公園のジャングルジムにサンドバッグを吊るしてトレーニング」という、通り名に恥じない熱いエピソードも!
4:世界タイトルに挑戦するも、敗退
そんな絶好調の赤井にも限界が見え始めます。
1983年に行われたWBCのスーパーライト級でタイトルマッチにまで上り詰めた赤井。アメリカ人ボクサー、ブルース・カリーとの対戦前には「7月7日だから7回目にしてパチンコのフィーバーにしたる!」と意気込みを語りました。
しかし逆に自身が7回目で倒されてしまうという、悔しい結果に終わり、世界タイトルを獲得するには至りませんでした。
あまりのショックに数日間失踪してしまったとのこと。
5:再び世界タイトルに挑戦、そして引退
失踪を経てショックから立ち直った赤井は、1985年2月、再び世界タイトルを目指して大和田正春との対戦に望みます。
しかし、この試合でも第7ラウンドでKO負け。更には脳の損傷により意識不明で救急搬送され、生死をさまよいます。
開頭手術の最中に意識を取り戻した赤井は「タオル越しに自身の脳に触れ、そのたびに刺激で吐き気を催す」という強烈な体験を語っています。
「リングに上がったところまでしか記憶がないんですわ。気がついたら病院のベッドの上でした。開頭手術をした直後で、皮一枚になった脳みそを触っては強烈な吐き気を催すことを繰り返していました」
この怪我により、現役を引退。「ボクサーとしての赤井英和」としての人生には幕を下ろします。
6:自伝映画『どついたるねん』で映画初主演を飾る
しかし、それで終わらないのが赤井英和。自身のボクシング生活を描いた1989年の映画『どついたるねん』で主演を飾ります。
リングの上で魅せるかっこよさだけではなく、等身大の悩みや欲望、葛藤といった、「等身大の生き様」を描いた本作は、単なる「本人出演」だけにはとどまらない魅力を備えており、見応えもたっぷり。ボクシングファンだけではなく、映画ファンからも高い評価を得ています。
7:主演を務めたドラマが軒並みヒット
自伝映画で俳優としての才能を認められた赤井は、様々なドラマで主演を努めます。
『人間・失格〜たとえば僕が死んだら』(1994年)
ドラマ初主演の『人間・失格〜たとえば僕が死んだら』では息子をイジメで無くし、復讐に奔走する父親を演じます。「被害者の父親」だけではなく、策略によって自らも息子を追い詰めていたという後悔を胸に、葛藤するという難しい役どころです。
放送開始時にはセンセーショナルな内容で視聴者からの反感を買い、視聴率が低迷していたものの、鋭い視点と説得力の有る演技が好評を得て後半は20%前後、最終回に至っては28%を達成しました。
『セカンド・チャンス』(1995年)
母子家庭、父子家庭の心温まる交流を描いた『セカンド・チャンス』ではシングルファザーの野田役として活躍。主題歌の『TOMORROW』とともに大ヒットを記録します。
『略奪愛・アブない女』(1998年)
本作では妻の妹「鈴」に迫られ、関係を持ってしまったことから泥沼にハマってゆく主人公を演じました。「鈴」のキャラクター性から近年定番の一つとなりつつある「ヤンデレもの」の先駆けとも言えそうな本作は、テンポの良さとスリリングな展開から人気を集めます。
また、「鈴」役の鈴木紗理奈とともに、普段話している関西弁を封印しての役作りが思わぬ効果を生み、現在でも再放送のたびに話題となります。その中でも「やめるんだ鈴ちゃん!」のセリフは有名です。
8:NHK連続テレビ小説、大河ドラマにも多数出演
シリアスな役からコミカルな役まで演じる赤井英和は、その実力を買われNHKのドラマでも活躍をしました。
大河ドラマでは『太平記』(楠木正季役)、『秀吉』(石川五右衛門役)、朝の連続テレビ小説では『春よ、来い』、『まんてん』、『だんだん』、『てっぱん』など、柔和で暖かく、時に熱く、男性的な力強さと素朴さを感じさせるキャラクターは様々なシーンで愛されています。
9:トミーズ雅との関係
高校受験での縁、そして、ボクサーから芸能界への転身という境遇から、トミーズ雅とは古くから交流が有るようです。
受験会場で赤井を目撃した雅は、赤井のあまりのヤンキーぶりに目を見張ったと言います。あいにく赤井は不合格だったようですが、後に赤井とスパーリングをした雅は、左ジャブの強烈さを目の当たりにし「こいつにはかなわない」と思ったと語っています。
10:子供たちもボクシング界で活躍
赤井沙希
赤井英和がプロボクサーであり、当時の奥さんもボクシングジムのトレーナーという環境で育ち、格闘技好きを公言している赤井沙希。彼女自身もボクシングやプロレスの世界で活躍するほか、芸能人としても活躍しています。
アスリートらしい引き締まった肉体美と、気風の良いキャラクターが人気を集める一方、かなりの妄想好きという乙女チックで文学的な一面も。妄想に対しては彼女なりの哲学が徹底されており、詳細を書き溜めたノートを読んだ千原ジュニアがその内容を絶賛し、書籍化をすすめるほどのクオリティだといいます。
赤井英五郎
幼いころから洋画が大好きで、映画や英語でのやり取りに魅力を感じていたという英五郎。6歳でハワイに留学し、大学では物理学を専攻。ラグビーやアメフトとスポーツとの縁も深く、文武両道。ボクシングについては父親と比較されるということで、長年避けてきたと言います。
しかし、父親の影響を気にすること自体がプライドに反していると感じたことからボクサーとしてのデビューを決意。2015年11月19日のアマチュア全国選手権に出場、判定勝ちを勝ち取りました。
11:ライザップでは結果にコミットし、現役時代の体に
ボクシングを引退してからはお腹周りが緩むなど、「中年男性らしい」体型になってしまっていた赤井ですが、奥さんに現役時代の肉体を見せたいと、2ヶ月で7キロ近い減量に成功。ライザップのCMで「結果にコミット」した姿を公開するなど、再び注目を集めています。