2017年7月6日更新

岡村隆史を大好きになる8のエピソード

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岡村隆史

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1.ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞して号泣

1992年第13回ABCお笑い新人グランプリは一発勝負の生放送でした。司会は桂文枝が務めています。 岡村隆史は当時22歳でまだまだ若く、世間の認知度がほとんど無い状況の中でテレビに出たいという一心で出場にいたりました。「世間の皆様に認知してもらえるには、まず結果を出すことが先決だ」と後に語っていただけあり、本グランプリで最優秀新人賞を獲得。 その際、受賞の喜びを噛み締めて堪えきれずに号泣してしまいました。

2.『めちゃ²イケてるッ!』では笑いに真面目

1996年から20年間続いているフジテレビ系列の人気お笑い番組です。司会はナインティナインの2人が務めています。『めちゃ²イケてるッ!』は子供に見せたくない番組の上位にランクインすることもありますが、20年間放送し続けられているのは番組が支持されている証でしょう。 岡村はこの番組で、全身寝袋に入ったままお湯に入り、落下するという企画を体を張って体現しています。 視聴者からの様々なクレームがある中、一見やりすぎのように見えてしまう演出を岡村隆史は「元気の無い人を目の前にして黙っていられない…どんなことをしてでも笑わせてあげたい」と熱く語っています。 どんな状況下でもリアルな笑いのためなら自ら体を張り続ける姿は、笑いに対して真っ直ぐな姿勢を感じさせます。

3.タモリに直談判して『いいとも』の不定期レギュラーを獲得

『笑っていいとも!』は1982年10月4日から放送が始まり2014年3月31日に放送を終了したお昼の大人気番組です。森田一義(タモリ)が放送当初から終了まで司会を務めていました。 岡村隆史は2014年2月にテレフォンショッキングに出演した際、タモリに直接レギュラー交渉を行い不定期レギュラーを獲得しました。アルタに古くから思い入れがあり、以前より裏でタモリに「いいともに出たい」と言っていた事を有言実行した形となりました。 とんねるずに続き、直接交渉をして成功した極めて稀な例と言えるでしょう。

4.小さいのに運動神経抜群

小学生の頃は有名な体操スクールに通っていた岡村隆史。中学校の頃は「ANGELDUSTBREKERS」というダンスチームに所属しており、ブレイクダンスを即興で踊っていたりしていました。 『めちゃ²イケてるッ!』の“岡村オファーがきました”という企画でEXILEとコラボしたことは有名ですが、ご存知の通り40代という年齢やブランクを考慮したとしても考えられないほどの圧倒的で見事なパフォーマンスを見せていました。 この後も不定期ですがオカザイルを使った企画が放送されています。オカザイルのための岡村隆史の禁煙の日々など感動のエピソードも記憶されている方も多いのではないでしょうか。 156センチという小柄な体系でありながらも誰よりも存在感を感じさせるキレのあるダンススタイルはダンス経験者はもちろんですがはじめて見る人にも絶大な影響を与え、見る人を圧倒し、笑いと感動の渦に引き込みます。

5.『めちゃイケ』の抜き打ちテストは岡村も受けている

『めちゃイケ』の中のコーナーでも人気があるのが「芸能人抜き打ちテスト」。芸能人が生徒となり学力テストをしてランク付けされ、成績発表されるというものです。 担任として出演している岡村隆史も生徒と同様にテストを事前に行っています。その際の成績は5教科全てで80点以上という成績を常にとっているんだとか。 立命館大学にに合格した経験があり、早稲田大学を受験するというテレビの企画を受けたこともあるほど、実は学力に定評があるようです。

6.少女時代が徹底的に大好き

2011年12月8日にナインティナインのオールナイトニッポンの放送中で岡村は「少女時代に会って全力で応援したい」と話していました。また、その際に「少女時代の圧倒的なパフォーマンスの凄さを皆さんに伝えたい」とも熱弁していました。 『めちゃ²イケてるッ!超豪華3時間SP』では、初めて少女時代との共演が実現。ライブに頻繁に出没しているというほどの熱狂的なファンで、少女時代がバラエティ番組に初出演した際は「毎日でも会いたい」と発言していました。

7.アナログ芸人からデジタル芸人に

以前は自身をアナログ芸人と自負するほどにネットや機械類には鈍かった岡村隆史でしたが、ノートパソコンを購入してからは自らをデジタル芸人と明言するようになりました。そして、のちにブログやインスタグラムを開設し、定期的に写真等を載せています。 「時代はデジタル」と相方の矢部浩之に自慢している姿がナインティナインのオールナイトニッポン内での発言で多々見られています。

8.病気復帰後は“ポンコツ芸人に”

岡村隆史は、2010年6月頃から体調不良が続き5ヶ月の休養をします。精神的な病気だったと推測されており、後に「1ヶ月間ほどほぼ眠れず、一時期は復帰をあきらめ引退という道を選ぼうとした」と語っていました。 5ヶ月の休養後『アメトーク』内ではダメトークと言われたり、ポンコツ芸人と言われたりと、いつもとは違った笑いを誘いました。 復帰後はポンコツ芸人と言われることが多くなりましたが「俺だけのせいじゃないと思い、精神的負担が減った」と『解決!ナイナイアンサー2時間SP』で話しています。自然体な口調で内容も共感できた人が多かったのではないでしょうか。