東ちづる、飲食経営者を夫に持つベテラン女優の意外と知らない6つのこと

2017年7月6日更新

はっきりした言動と、明るい笑顔が印象的な女優でタレントの東ちづるは1960年広島県因島市生まれです。多くのドラマ、司会、コメンテーターなどで活躍する一方であまり知られていない私生活や、ボランティア活動に尽力する姿など紹介します。

1:子供の頃は夢が多すぎた?

東ちづる 夢

東ちづるは、教育熱心な母親の元、英会話、オルガン、そろばん、書道、日本舞踊など幼い頃からたくさんの習い事をしていました。

小学生時代は、漫画家、デザイナー、イラストレーターになる夢を文集で語っていました。日本舞踊とイラスト描きは現在の趣味としても、プロフィールに掲げています。教師になる夢を抱いた中学生の頃には、生徒会で活動しながら、部活動でテニスするなど活発な学生時代だったようです。

2:アルバイトのつもりで芸能の世界へ

東ちづる プロデュース

短大卒業後、大手企業で4年間の会社員生活を送った後、本当にやりたいことを求めて退職します。

アルバイトをしながらスキー、テニス、ウインドサーフィンの指導者を目指していた頃、タレントオーディションを見学する機会がありました。その場でスタッフから飛び入り参加を勧められてそのまま芸能界入りのチャンスをつかみました。

最初は地方局のレポーターなどの仕事がメインでしたが、東京に進出したい希望をもって努力を重ねた結果、往年の名俳優で料理研究家だった金子信雄の料理番組「金子信雄の楽しい夕食」で、初代アシスタントの仕事を得ました。

ほろ酔い気分で料理する金子信雄に対して、的確な判断で場の雰囲気を和ませる対応力が認められ、その後も全国放送の仕事が増えていきました。

3:加納典明と17歳差交際をしていた!

東ちづる 写真展

出典: spysee.jp

1942年生まれの加納典明は本業の写真家の他に、コメンテーターやエッセイスト、俳優など幅広く活躍していました。当時「お嫁さんにしたい女性有名人No.1」に選ばれていた東ちづるにとっては、自由奔放な加納典明との交際報道はマイナスイメージとなったようです。

週刊誌にツーショットを撮影されたことや、1996年に加納典明自身が破局を公表したことから、交際は事実とされています。

その後ブログで加納典明が、2012年に東ちづるが自身の個展を訪れたこと、今後も活躍を遠くから見守りたいなどを書いており、別れた後も連絡を取り合っているようです。

4:2003年に飲食店経営者と結婚

東ちづる 二人三脚

2003年に和食店経営のキャスティングコーディネーターで2才年下の堀川恭資と結婚しました。9年以上の交際期間を経た入籍でした。

結婚に関して「結婚っていいですよ。自由とか喜びが倍で、つらさは半分になる。」と語っています。

2010年に夫が「ジストニア痙性斜頸」と診断され夫婦二人三脚の闘病生活が続きましたが、2014年時点で散歩や運転ができるほど回復したことを報告しています。

5:鉄板焼きのお店をプロデュース!

きっかけ東ちづる 

出典: slt.moo.jp

出身地広島の名物、広島焼がメインの鉄板焼きの店『鉄板・窯・お好み/焼き 東 AZUMA』をプロデュースしました。

2015年、東京の神宮外苑に開店したこの店は、たこ焼きや、鉄板焼き、またネパール出身の料理人が作るネパールのカレーなども食べられます。

東ちづる本人も、友人などと利用している様子をfacebookの『東AZUMA』で紹介しています。

6:骨髄バンクを支援し、ボランティア講演も行う東ちづる

東ちづるは白血病の少年と出会い、骨髄バンクの活動を始めて20年以上経過しました。骨髄バンクを多くの人に知って欲しいと願う少年の為に、啓発ポスターを作成したそうです。

しかし、すばらしい出来栄えのポスターだったにもかかわらず、貼ってくれる場所が見つからないという問題にぶつかりました。そのことから一番大切なことは理解してもらうことだとわかり、講演活動を始めています。

その他、あしなが育英会、障がい者アート、ドイツ平和村などの活動に関わり、弱者を守る活動を通して誰もが生きやすい世の中、“まぜこぜの社会”の実現を目指す「一般社団法人 Get in touch」を立ち上げ、今なお尽力しています。