ダニエル・デイ・ルイスのプロフィール
1957年ロンドンに生まれたダニエル・デイ・ルイス。 詩人・作家の父セシル・デイ・ルイスとユダヤ系女優の母ジル・バルコンを持ち、母方の祖父は映画スタジオの代表を務めたマイケル・バルコンというアーティスト一家です。妹のタマシン・デイ・ルイスもドキュメンタリー映画の監督をしています。
『日曜日は別れの時』で映画デビュー
そんなダニエル・デイ・ルイスの映画デビューは1971年公開の『日曜日は別れの時』。主演にピーター・フィンチ、グレンダ・ジャクソンを迎え、この年の英国アカデミー賞の主要部門(作品賞、主演男優賞、主演女優賞、監督賞など)を総なめにした作品です。 互いに家庭を持ちながら不倫関係を続ける医師ダニエルとキャリアウーマンのアレックス。しかし彼らには共通の恋人ボブがおり、3人の奇妙な三角関係が展開されます。ダニエル・デイ・ルイスはクレジット表記のない子役としての出演でしたが、これが記念すべきデビュー作となりました。
ダニエル・デイ・ルイスは舞台で活躍するシェイクスピア俳優だった
『日曜日は別れの時』以降、1982年にスクリーンへ戻ってくるまで舞台を中心に活動しました。自身が在籍していたブリストル・オールド・ヴィック演劇学校やロイヤル・シェイクスピア・カンパニーでの舞台が中心だったようです。 ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーはイギリスを拠点にする劇団で、シェイクスピア作品を多く上演しています。 1982年、『ガンジー』で映画界にカムバックしてからは『バウンティ/愛と反乱の航海』(1984年)、『マイ・ビューティフル・ランドレット』(1985年)(写真)、『眺めのいい部屋』(1986年)と立て続けに映画へ出演していきます。 そのうち『マイ・ビューティフル・ランドレット』と『眺めのいい部屋』ではその演技が高く評価され、ニューヨーク映画批評家協会賞助演男優賞を受賞しました。
主演を務めた『マイ・レフトフット』では障害者を演じる
ダニエル・デイ・ルイスが演技派俳優と呼ばれるきっかけになったのが主演を務めた『マイ・レフトフット』。 小児麻痺が原因で肢体のうち左足しか動かすことのできないクリスティ・ブラウンが、その左足を使って絵を描き文字を書いていく様子を描いた作品です。 この映画で語り継がれるのは役になりきったダニエル・デイ・ルイスの徹底ぶり。クリスティ・ブラウンになりきるために撮影の期間は車椅子で生活。常に極端な猫背だったため、あばらを2本骨折してしまいます。また撮影以外でも左足以外は使わないようにし、食事をとるのにも誰かに食べさせてもらっていたのだそう。 この役作りが功を奏して彼の演技は大絶賛され、オスカー始め多くの賞を受賞しました。
アカデミー賞主演賞をはじめとする数多くの賞を受賞
ダニエル・デイ・ルイスはこれまでアカデミー賞主演男優賞を3度受賞したただ1人の俳優です。 1度目は前述の『マイ・レフトフット』、2度目は2007年の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』、そして3度目は2012年の『リンカーン』。また、英国アカデミー賞主演男優賞、ゴールデングローブ賞も何度も受賞経験があります。
レオナルド・ディカプリオの主演に取って代わった?
2002年に公開された『ギャング・オブ・ニューヨーク』ではギャングのドン、ビルを演じたダニエル。 この映画での主演はレオナルド・ディカプリオだったのですが、なぜかダニエル・デイ・ルイスがアカデミー賞主演男優賞にノミネートされてしまいます。しかし、ディカプリオも彼を尊敬しており、ダニエルが受賞するのは当然のことだと認めたのだとか。
受賞歴の割に出演作は少ない
華々しいキャリアを持つダニエル・デイ・ルイスですが、彼は作品を選ぶことで有名。 度々俳優休業宣言もしており、『ギャング・オブ・ニューヨーク』もマーティン・スコセッシ監督が何度もオファーをしたことでようやく承諾したのだそうです。
ナイトの称号を持つダニエル・デイ・ルイス
これまでの功績が讃えられ、2014年にはウィリアム王子によってナイトに叙任されたダニエル・デイ・ルイス。叙勲者のリストに自分の名前を見つけた時は喜びでいっぱいだったのだとか。 また、2010年にはブリストル大学から、2015年にはロンドン大学のゴールドスミス・カレッジから名誉博士号を授与されています。
ダニエル・デイ・ルイス近年の最新出演作は2012年の『リンカーン』
誰もが認める俳優、ダニエル・デイ・ルイスの最新作はアカデミー賞主演男優賞を受賞した『リンカーン』。奴隷解放宣言後のリンカーンを描いたスティーブン・スピルバーグ監督の作品で、未だに解放されない奴隷のために憲法の修正に奔走する様子が描かれています。 この作品のオファーを受けた時、彼は一度オファーを断っています。というのも、誰もが知る英雄を演じられる自信がなかったから。 しかし、断られたスピルバーグはディカプリオを使って再び説得。そこでようやく役を引き受けるに至ったのだそう。
2012年以降は俳優を休業
1998年から2002年まで俳優を休業していたダニエル・デイ・ルイス。その時はイタリアの靴職人の元で修行をしていました。そして、『リンカーン』以降再び俳優の休業を発表。今度はアイルランドの自宅で靴作りに没頭していました。
2018年公開の映画『ファントム・スレッド』にて俳優業を引退!
2012年『リンカーン』以降、初参加となる映画『ファントム・スレッド』で俳優業復活と同時に引退することが決まりました。本作でダニエル・デイ・ルイスがアカデミーを受賞することはありませんでしたが、アカデミー主演男優賞にノミネートされる快挙を成し遂げています。 彼のラスト作品となる『ファントム・スレッド』は2018年5月26日に日本公開です。見納めに行きましょう!