怒って引き出す演出家、蜷川幸雄
2016年5月12日に亡くなられた蜷川幸雄の葬式、告別式には、幾人もの若い女優俳優たちが弔問に訪れました。その一月後、蜷川は偉大な演出家として文化勲章、従三位に叙され、日本の歴史に名を連ねることになりました。 蜷川幸雄の"知られるべき"ところは演出の鮮やかさだけではなく、人柄にもあります。もちろん、演出の手腕はすばらしく、舞台に鮮烈なイメージを描き出し、その種類は井上ひさしなどの現代劇からギリシャ悲劇やシェイクスピアなどの古典などにまでバラエティに富んでいます。実力は海外でも有名で、「世界のニナガワ」という二つ名もあります。 ですがそれだけでなく、演出家として舞台を造り上げる人柄にも定評が。一般的に「稽古中に灰皿を投げつける」など厳しい演出家として知られていますが、厳しさの裏にある、若い役者たちを鍛えて磨く腕も有名です。数々の著名な役者たちのルーツに“蜷川幸雄あり”ということです。その数人を紹介しましょう。
藤原竜也
藤原竜也は、数々の舞台・ドラマ・映画の主演を演じてきた演技派俳優です。代表作には、『ST 赤と白の捜査ファイル』や『ムサシ』などがあります。 藤原のデビューは、蜷川幸雄の舞台『身毒丸』の主役でした。藤原は15歳にして演技の存在感を見せつけ「天才新人」と呼ばれていました。蜷川自身、藤原のことを「集中力があって、真面目で努力家。ストイックで、役の事しか考えられない」と評していたそうです。 蜷川幸雄の葬式で最後の弔辞を務めた藤原は、「1997年。あなたは僕を生みました」と、初めて会った『身毒丸』のことを話し、「最高の演劇人生をありがとうございました」と感謝の言葉で締めくくりました。
小栗旬
小栗旬も藤原竜也同様、数々のドラマ・舞台・映画の主役を演じてきた俳優です。 2014年公開の『ルパン三世』で実写版のルパン三世を演じることになった際は、十ヶ月かけてアクショントレーニングと8キロの減量をこなしてみせた、仕事にはとてもストイックな俳優でもあります。 小栗旬が初めて蜷川幸雄と仕事をしたのは2003年、『ハムレット』の舞台。以来、いくつもの蜷川作品に出演していました。 実は「また出たい」と小栗旬に直談判され、2016年10月に、小栗旬主演の最後の『ハムレット』の舞台を演出しようと蜷川幸雄は決めていたそうです。惜しくもそのプランは実現しませんでしたが、蜷川の葬式で小栗は「道を照らし続けてくれて本当にありがとうございました」と、感謝していました。
吉高由里子
女優、吉高由里子が蜷川幸雄と初めて一緒に仕事をしたのは、蜷川が監督を務めた2008年の映画『蛇にピアス』。なんと吉高は、「世界のニナガワ」をタダで見られるからという理由でオーディションを受けたそうです。 まだ女優として無名だったにも関わらず、見事主役を獲得。そんな吉高は撮影時「ほとんど裸の映画なのに、裸を見ないで撮れるんですか?」と言い放ち、更衣室で裸を蜷川に見せ、蜷川の方を照れさせたという逸話があります。 『蛇にピアス』の吉高について、蜷川は「撮影現場では傷つくことも言った、しかしそれには少しも動じない」と豪胆ぶりを褒めています。吉高は、蜷川について、「ガチガチに固めず、泳がしてくれた」と、蜷川の厳しさのみでなく磨く腕も評価しています。
西島隆弘
「僕にとってとても大切な方です。言葉は届かないかもしれないですけど、まだまだ僕も頑張るので上から見ていてほしい」引用:mdpr.jp
勝村政信
勝村政信は今となっては数多くのドラマ、舞台に出演している役者ですが、一番最初のルーツには蜷川幸雄がいます。昔、勝村はファッションモデルを目指していましたが低身長のため役者へ転向。その際、最初の二年を鍛えたのは、蜷川幸雄のニナガワスタジオでした。 実は勝村はニナガワスタジオでは役をもらえず、第三舞台というもっと大きな劇団に移ったそうです。そのときから六、七年、蜷川とは仲が悪く、目も合わさず口もきかずという状態が続いた末、数年たって蜷川のほうから「いい役者になった」、と声をかけられたそうです。そのあと、勝村は蜷川には、「僕が本を読むようになったのは蜷川さんの話していることを理解するためでした」と、人生に影響をあたえた人物であるとコメントしています。
成宮寛貴
「お芝居だけでなく、人生の先輩として沢山の事を学べた事は感謝してもしきれません」
松重豊
松重豊は、舞台を中心にテレビドラマや映画にも数多く出演している、身長188cmの俳優です。代表作の『孤独のグルメ』では、主人公の体型維持のために毎日6キロの散歩や30往復の腹筋ローラー、食事の節制などを行い、本番前には一定期間絶食までするというストイックっぷりを見せる俳優です。 実は松重豊の大元には、勝村政信と同じくルーツに蜷川幸雄がいます。大学卒業後、どうしても役者を続けたかった松重が入ったのが、安く入れるニナガワスタジオでした。入ったあと、一度稽古中に逃げ出してしまい、プールに泳ぎに行って、もう終わったなと思ったのですが、そのあとも蜷川は何も言わず、しばらくしてから、おまえ出るか?と誘われたそうです。そのことに松重は深く感謝し「師匠と呼べるのはこの人しかいないです」と評しています。 蜷川が亡くなったあと、ドラマ『重版出来!』の舞台挨拶では、「灰皿と罵声が無数に飛んできたが、お芝居の方程式に使える罵声だったから役立ってます」と蜷川の舞台を振り返りました。