市川雷蔵、早すぎる死が悼まれた昭和の名優を紹介!

2017年7月6日更新

映画ファンから二枚目スターとして愛されていた市川雷蔵。女性ファンからは「雷さま」と親しみを込めて呼ばれていました。今なお、愛され続ける名俳優の市川雷蔵とは、どようなスターだったのでしょうか?美しすぎる大スター、市川雷蔵を映画とともにご紹介いたします。

美しいイケメン俳優で知られる市川雷蔵とは?

映画ファンから、大映の二枚目スターとして愛されている市川雷蔵。女性たちは彼を「雷さま」と親しみを込めて呼び、大映撮影所のスタッフからは「雷ちゃん」と呼ばれて人望を集めていました。今なお、多くの映画ファンから愛され続けています。彼はどのような俳優だったのでしょうか。

現代のイケメン俳優たちに決して負けることのない、今なお私たちを魅了し続ける大スター市川雷蔵を映画とともにご紹介します。

市川雷蔵の生い立ち

三代目市川壽海と養子縁組した市川雷蔵

市川雷蔵は、1931年8月29日に京都で生まれます。生活に苦労した実母は、僅か生後6か月の幼子を伯父の歌舞伎役者の三代目市川九團次と養子縁組をします。

雷蔵自身が養子であることを知ったのは16歳。それから実母との対面を果たしたのは、30歳を過ぎてからのことだったそうです。

その後1969年9月17日に直腸癌で、僅か37年の生涯を閉じます。俳優として人気絶頂の中で、人生の幕を下ろしました。

歌舞伎役者を見切って映画俳優の主役に転身!

『花の白虎隊』で主役デビューする市川雷蔵

市川雷蔵は、市川九團次と養子縁組したのですが、1951年、20歳の時に、歌舞伎役者の三代目市川壽海の養子となります。しかし、市川壽海は、若いうちに苦労をさせた方が良いという考え方のもと、雷蔵には良い配役を与えず大部屋付きにします。それに不満を抱いていた市川雷蔵は、1954年に大映所属の映画俳優に転身を決意。同年公開の『花の白虎隊』で映画俳優として主役デビューをします。

大映の経営陣にとっては、関西歌舞伎の重鎮であった市川壽海の養子の市川雷蔵が、映画界入りしたことを歓迎しました。大スターの長谷川一夫に続くスターとして申し分のない逸材だったようです。

この作品は、明治元年に会津藩に連合軍が攻め入る中、藩校の日新館にいた若者たちが白虎隊を結成する物語です。出陣を迎えた白虎隊のリーダー格篠原は、同じ白虎隊の池上の妹と婚約の間柄でした。2人は仮祝言を執り行うと、篠原は出陣していきます。若くして自決した白虎隊16人の悲劇を描いた物語です。

また、この作品で同じく映画デビューを果たした俳優には、長く盟友でいた勝新太郎でした。

勝新太郎と市川雷蔵で「カツライス」

勝新太郎は『こち亀』の両津勘吉のモデルと言われています!

市川雷蔵とともに大映の二枚看板と言われた俳優に勝新太郎がいます。

大映の同期入社で同じく『花の白虎隊』デビュー。2人の仲の良さは、勝新太郎の妻で同じく大映所属の女優の中村玉緒が述べています。

勝新太郎は、市川と同様に伝統芸能界で活躍。長唄の二代目杵屋勝丸を襲名していました。大映の経営陣は二枚看板として、勝新太郎の「カツ」と、市川雷蔵の「ライ」を合わせて、愛称を「カツライス」と呼び、2人をスターとして売り出していきます。

しかし、2人は性格だけは全く違っていたようです。市川は真面目なサラリーマンのような俳優、一方で勝は数々の豪快伝説のある俳優として有名ですね。

『初春狸御殿』で共演した市川雷蔵(左)と勝新太郎(右)中央は若尾文子

この作品でも二人は共演しました。内容は夢物語を狸の世界に置き換えて、歌と踊りのミュージカル映画となっています。2人に次いで大映で人気のあった清純派女優の若尾文子、中村玉緒も出演。他にも水谷良重、松尾和子、トニー谷など豪華スター総出演の時代劇娯楽超大作として人気を集めました。

共演した若尾文子は、市川雷蔵の印象をスクリーンでは颯爽とした人でしたが、日常は関西弁でどこか飄々としたところのある人であったと述べています。

若尾文子の踊りを見て「デンマーク体操みたい」と冗談ながらに揶揄われた思い出があるそうです。

殺陣の美しさなら日本一番!「眠狂四郎シリーズ」

日本で一般的に1番殺陣が巧いと言われていた俳優は、勝新太郎の兄で俳優の若山富三郎。しかし、殺陣の美しさと佇まいでは、市川雷蔵ではないかとも言われています。

美しい殺陣が見られることで人気だった作品が、大人気の「眠狂四郎シリーズ」です。主人公の役柄は、自身の暗い生い立ちと相まってか、当たり役となります。

転びバテレン(キリシタン宣教師)と日本人の混血という宿命を背負い、向かい来る敵を平然と斬り捨てる様子は、虚無感と残忍性を持ち、必殺の剣術「円月殺法」を用いて無敵な活躍する時代劇です。

また、映画評論家の佐藤忠男は、伝統の歌舞伎では男役の二枚目は恋愛しない点を、騎士道との違いとして挙げています。しかし、狂四郎は恋愛する主人公として登場し、明らかに日本伝統を破った作品だと述べています。

盟友の勝新太郎は、「眠狂四郎シリーズ」の殺陣について、市川雷蔵の眠狂四郎は、殺陣や台詞ではなく、死相が見える顔で斬ってと評価しています。

市川雷蔵のヒット作「若親分シリーズ」

東映を筆頭にした任侠映画ブームの中で、大映も初の任侠映画が製作します。もちろん、主演を張り人気を集めていました。舞台のような早変わりではないですが魅力を充分に魅せた「若親分シリーズ」です。

日露戦争の頃、父親の死から南条組の2代目を襲名する元海軍士官の南条武。人物設定がエリートの元軍人という点や、市川雷蔵のヤクザ風ではない端正な顔立ちが相まって、東映の任侠映画とはまったく違った魅力を引き出した、大映独特のスタイルが注目を集めます。

映画評論家としても知られる快楽亭ブラックが、「若親分シリーズ」を、元海軍士官の容姿と着流しのヤクザ姿が見られるとファンにとっては、一粒で二度美味しいグリコのような映画だと評しています。

また、他の映画会社が制作した任侠映画とは異なり、市川が演じた登場人物は、父親を殺された運命を背負う以上に、宿命のような暗さを感じているファンが多いようです。若くして亡くなる晩年期の作品ということもあり、「若親分シリーズ」の主人公の終曲が破滅的で仲間からも裏切られて、寂しくどこかに消えていきます…。

そんな主人公の姿が、任侠映画を好きな男性だけでなく、女性ファンも心情も掻き立てられたのではないでしょか。

市川雷蔵が大切にした家族と映画

市川雷蔵の素顔と家庭生活の様子が妻の手記で明らかに

2009年に発売された、月刊「文藝春秋」の中で、「夫・市川雷蔵へ四十年目の恋文」で妻の太田雅子が手記を寄せています。

1969年に37歳でこの世を去った市川に、残された28歳の雅子夫人は、市川雷蔵が築いた世界に自身が踏み込んではならない、という思いがあったそうです。それは彼が「万人の恋人」としてファンに愛されていたことを理解していたからです。

しかし、雅子夫人は40年という節目を迎えたときファンのためにと思い、手記を書いたそうです。

市川は、結婚後撮影所入りするのが朝8時半、帰宅は午後6時半と、お勤めしている人たちと同じく規則正しい生活だったそうです。朝と夜の食事は家族ですることや、子どもとも良く遊んだ父親像にも手記にふれられています。

市川雷蔵もお気に入りだった作品『陸軍中野学校』

雅子夫人の手記の中でこんなエピソードがあります。ある日市川雷蔵は、雅子夫人に子どもの世話は自分がするから劇場に『陸軍中野学校』を観に行ってほしいと懇願したそうです。実はこの映画、公には自身が好んでいないと言われていた映画でした。

この作品の日本のスパイ育成を描いた映画として画期的な映画です。世界情勢が緊迫を増てきた昭和13年、陸軍少尉の椎名次郎は、草薙中佐と名乗る人物から奇妙な口頭試問を受けます。それから1週間後、次郎のほかに17名の陸軍少尉が靖国神社の近くにあったバラックに集合させられます。そこは諜報部員を養成するスパイ機関の陸軍中野学校だった、というもの。

インテリで奇才で呼ばれた増村保造監督が、ドキュメントタッチで中野学校の実態をクールに描き、主人公をヒーローとせず、時代や組織にのみ込まれた犠牲者として描いています。スター俳優が群像劇に特別な思い入れたがあったことを示すエピソードですね。

恋の噂があった女優の中村玉緒

バラエティで「中村玉緒でございます」のあいさつでも知られてますね

中村玉緒は、大映社長の永田雅一から直々に、市川雷蔵の相手にと指名されたという噂があります。

天下の大スターとなっていた市川に相応しいのは、梨園という名門の中村鴈治郎の愛娘の中村玉緒ということなのですが、真実はどうだったのでしょうか。

中村玉緒の兄の三代目中村鴈治郎と友人であったことから、2人は幼い頃からの付き合いがあり、中村玉緒は妹のように可愛がられていたようです。

兄のような存在の市川雷蔵と、SF映画好きであった中村玉緒は、一緒に映画を観に行くことも頻繁だったのだとか。二人の仲が良かったのは事実、結婚するのではと噂があったのも本当ですが、中村珠緒が好きになったのは勝新太郎だったと中村本人は幾度となく話しています。

中村玉緒が市川雷蔵と共演した『大菩薩峠』

中村珠緒とは映画で43作品で共演。ちなみに夫であった勝新太郎との共演作品は30本だそうです。中村珠緒は、市川雷蔵の共演作品の中でも『大菩薩峠』(1960年)という作品に強い思いがあるそうです。

それまで多くの作品に中村玉緒は出演してきましたが、女優人生もなかなか上手くいかず、そろそろ潮時かと思っていた時に撮影された作品だったそうです。中村玉緒が何回もリテイクを出してしまった時にも、最後まで一緒に付き合ってくれたのが市川雷蔵だったそうです。

また彼の魅力を、中村玉緒は「色気」だとも言っています。芝居も上手だが何より男の色気立つ声が素敵だとも話しています。

その「色気」を知るには、1960年に2人が出演した三隅研二監督の『大菩薩峠』(1960)と、他の監督が「大菩薩峠」を映画化した、1957年の内田吐夢監督版や、1966年の岡本喜八監督版などと比較すると、市川雷蔵の魅力は一目瞭然だと一般的に言われています。

もう一人の恋の噂?女優の若尾文子

携帯電話CM「白戸家」のおばあちゃんでも健在な若尾文子

市川雷蔵は、事あるごとに清潔な感じがする若尾文子が好きだと言っていた噂があります。1960年に、島耕二監督作品の『安珍と清姫』で、若尾文子と共演したことでもそのようなことが言われています。

大映の経営陣は、恋の執念にもだえる清姫役に清純派の若尾文子を起用するのはミスキャストだ、としていましたが、この配役は市川雷蔵からたっての希望で実現したといわれています。

有名な安珍と清姫の伝説を映画化するなら美しい2人しかいない

若尾文子は、自分が一人で黙っていると取っ付きにくいのか、初めは彼からあまり話してもらえなかったと述べています。また、市川雷蔵は演技に関しても頭の良い人であり、歌舞伎出身ということで畑違いの若尾文子は、付いていくことでいっぱいいっぱいだったそうです。

それでもある日、京都の祇園のうどん屋「権兵衛」に皆を食事に連れて行ったそうです。

若尾文子は店の片隅で黙々とうどんを食べた後、市川雷蔵にこんなに美味しいうどんは初めて頂いたと礼をいうと、もっと早く誘えば良かったと笑顔を返してくれたようです。

それ以降、2人の親交が深まっていったといいます。市川が正月の休暇でハワイ旅行に行く度に、絹で織られたムームーなどの土産をプレゼントされたと言います。大映きっての大スター同士の二人。お互い親交があったのは事実のようです。

山崎豊子原作、市川崑監督の『ぼんち』に2人で共演

二人の共演作品は、1961年に『好色一代男』、1967年に『朱雀門』『華岡青洲の妻』など多数ありますが、中でも若尾文子のお気に入り作品は、1960年の『ぼんち』だそうです。

この作品で、市川が演じたのは、河内の足袋問屋の若旦那役。若尾文子を筆頭に草笛美津子、越路吹雪と誰もが華やかなキャスティングな女優陣、それぞれ個性的で面白さと、魅力のある女性たちとの恋の物語が描かれています。市川雷蔵が持つ大人の魅力や余裕が、人物を通して感じられる作品として知られています。

また市川は亡くなる以前に、鏑矢(かぶらや)という劇団の結成を進めていて、若尾文子に2人で舞台をやらないかと出演のオファーを掛けていたようです。残念ながら病気になって実現への夢は叶わなかったようです。

市川雷蔵の子供たち

市川雷蔵には、雅子夫人との間に3人の子どもたちがいます。しかし全員芸能活動には携わってはいないようです。その中で息子の1人は、近年まで銀座でカフェを経営されていたのではないかという噂が囁かれています。

市川雷蔵の一文字「雷」を譲り受け、フランス語で「tonnerre」を名乗っていたそうです。現在はもう閉店されたようです。

市川雷蔵没後40年特別企画 大雷蔵祭の予告篇、美しい雷さま!

最近では、“雷蔵映画”はデジタルリマスター版として、新たに劇場で上映されることも多くなりました。市川雷蔵が、子どもと同じように愛して世に残した作品たち。何年経っても美しい雷さまが観られる映画を、これからもファンとして愛し続けていきたいですね。