20世紀後半のフランスを代表する映画音楽家ミシェル・ルグラン
20世紀後半といえば、フランス映画の黄金時代。今でも「一生に一度は見るべき名作」として語り継がれるような作品が数々生み出されました。
素晴らしい映画には、もちろん素晴らしい音楽が欠かせません。そんな20世紀後半のフランス映画を音楽面から支えた巨匠がいます。彼の名はミシェル・ルグラン。
『シェルブールの雨傘』に代表される名作の作曲を担当したルグランを詳しく紹介します。
ミシェル・ルグランの生い立ち【音楽一家の出身】
ミシェル・ルグランは1932年にフランスで生まれました。父親のレイモンド・ルグランは作曲家、また叔父のジャック・エリアンは著名な指揮者という音楽一家に育った彼は、自然と音楽の道へ進むこととなります。
10歳の時にパリ国立音楽院に入学し、当時世界最高の音楽教育者で会ったナディア・ブーランジェの元で指導を受けます。特にピアノと作曲に興味を見出したルグランは、同校を首席で卒業し、1950年代から活躍を始めることになります。
1954年、彼が22歳の時に発表したアルバム「I love Paris(原題)」は、なんとアメリカのアルバムチャートで1位を取るほどの大人気を記録。若い才能が世界に示されたのでした。
映画音楽の道へ:ヌーヴェルヴァーグ
ジャズやピアノなど多彩なシーンで活躍していたミシェル・ルグランに、大きな転機が訪れたのは1955年。アンリ・ヴェルヌイユ監督の『過去をもつ愛情』の映画音楽を担当したことでした。
その後1950年代末、フランス映画界では「ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる、若い監督たちによる映画運動が活発になります。彼もこの波に乗り、新しいフランス映画の時代を築いた立役者の一人となりました。
ジャン=ルック・ゴダール、アニエス・ヴェルダ、フランソワ・レシャンバックといった、時代を代表する多くの映画監督たちがルグランの音楽を採用したのです。
『シェルブールの雨傘』
そんな中でミシェル・ルグランはジャック・ドゥミ監督と出会い、1963年に『シェルブールの雨傘』の作曲を担当します。この映画はカンヌ国際映画祭のパルムドールを始め数々の賞を受賞し、世界中で大成功を収めました。
本作と言えば、全編全てが歌によるもので、他のセリフが全くないという完全なミュージカル作品です。画期的な手法で描かれたこの恋愛映画の成功は、彼の繊細で美しい音楽がなければ成し遂げられないものでした。
特に主題曲はスタンダード・ナンバーとして有名になっていますね。主演のカトリーヌ・ドヌーヴは歌においては素人であったため、歌はダニエル・リカーリが担当していています。
このテーマ曲はフランク・シナトラ、トニー・ベネット、ルイ・アームストロング、ライザ・ミネリといった歌手にもカバーされています。また、日本語では美川憲一や木之内みどりなどがカバーしていました。
ハリウッド時代:代表作『華麗なる賭け』
1968年にハリウッドに渡ったミシェル・ルグランは、フランスでの多彩な活動が評価されて、アメリカ映画にも多数起用されることとなります。
中でも代表作と呼べるのは、スティーヴ・マックイーンとフェイ・ダナウェイ主演のサスペンス映画『華麗なる賭け』でしょう。メインのテーマである「風のささやき」は、今でもしばしば耳にしますね。
この曲は1968年のアカデミー賞歌曲賞を受賞し、ルグランは以後アカデミー賞の常連となります。また1999年に『華麗なる賭け』のリメイク版が製作された時には、スティングによるカバーが主題歌となりました。
世界を股にかけて大活躍
1960年代以降は、フランスとハリウッドを行き来して、ヨーロッパ映画とハリウッドの両方に貢献するようになります。その中でミシェル・ルグランは、歴史に残る美しい音楽の数々を生み出していったのです。
再びジャック・ドゥミ監督と組んだミュージカル映画『ロシュフォールの恋人たち』は世界中で大成功を収めました。
また、1971年のアメリカ映画『栄光のル・マン』や巨匠オーソン・ウェルズと組んだ『オーソン・ウェルズのフェイク』などにも参加します。
「ジェームズ・ボンド」シリーズの作曲も!?
アート系映画の作曲に携わることの多いミシェル・ルグランですが、実はあの大人気スパイシリーズの音楽を担当していたこともあります。それが1983年の『ネバーセイ・ネバーアゲイン』です。
実はこの映画、1960年代から続いていた本家の007シリーズとは別の会社によって作られたもの。同年にはなんと「正規の」ボンド映画である『オクトパシー』が公開されています。
そのため『ネバーセイ・ネバーアゲイン』には、おなじみのオープニングも、あの有名なテーマソングもありません。逆に言えばルグランのオリジナリティが発揮された異色のボンド映画なのです。
アカデミー賞を幾度も受賞!
その中で、1971年『おもいでの夏』と1983年『愛のイエントル』ではアカデミー賞を受賞しました。これはもちろん偉大なことなのですが、ルグランはこのことが自分の作曲家としての良し悪しを決めることはないと言います。
確かにアカデミー賞はキラキラした星のようで、もらって嬉しいことには違いないけれど、自分の作曲家としての質を決めるものではないね。賞をもらってももらわなくても、自分の強みや弱みは、変わらず残るから。
この言葉からも読み取れるように、彼は自分の活動を「映画作曲家」としてのものに限定してはいないのです。
ミシェル・ルグランの人生哲学
どの観点から見ても「成功者」であるミシェル・ルグランですが、彼には彼なりの人生・仕事の哲学があります。彼は「キャリア」という考え方を一蹴しているのです。
僕はゴールとか、結果とか、限界といった言葉が大嫌いだ。僕はアーティストであって、政治家ではないのだから。僕のモチベーションは人生そのものであり、様々な種類の音楽の豊かさと多様性にある。
最も重要なのは、初心を忘れないことだ。学んでいる時、新しいことを発見しているこそが、人生で最も豊かな時期だからね。だから僕は「プロフェッショナル」だなんて人に呼ばれたくないんだ。僕はただ永遠の初心者であり続け、「キャリア」なんて考えで自分の人生を捉えたりしないで、音楽の楽しさを開拓していきたいだけだ。
ジャズ・ピアニストとして
ミシェル・ルグランはジャズの世界にも大きく貢献した人物です。1958年に渡米した際、マイルズ・デイヴィスやジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンズといったジャズ界の大物たちとコラボしたアルバム「ルグラン・ジャズ」を発表しています。
ルグランは作詞家のアランとマリリン・バーグマンと組んで多くのジャズナンバーを作曲し、その中でも「What Are You Doing the Rest of Your Life?(原題)」などは、今日でもしばしばカバーされる一曲となっています。
姉も息子も姪も…みんな音楽家!
ミシェル・ルグランが音楽一家に生まれたことは上記の通りですが、その伝統は今でも続いています。ルグランの姉クリスティアーヌは歌手として『シェルブールの雨傘』にも参加しています。
また息子のバンジャマン・ルグランも歌手として活動。最近では脚本家として『スノーピアサー』などの映画にも名を連ねています。
さらに姪のヴィクトリア・ルグラン(写真)は、バンド「ビーチ・ハウス」のボーカルとして活躍。ドリームポップと呼ばれる音楽ジャンルの第一人者です。
85歳のミシェル・ルグラン…まだまだ現役!
2016年でミシェル・ルグランは85歳。しかしまだまだ元気に活動しています。2016年11月からは「85歳記念ツアー」の名の下で、世界中を飛び回りコンサートを開く予定だそうです。
映画音楽ももちろん作っています。ルグランが出がけた最新の映画は2014年の『チャップリンからの贈り物』。アメリカの伝説的喜劇王チャップリンの遺体を盗み、家族から大金を巻き上げようとした男たちの物語です。
これからのさらなる活躍にも期待できそうですね。