2018年6月25日更新

ドラマ『傷だらけの天使』の魅力と知られざる秘密に迫る!【原点はハリウッド映画?!】

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『傷だらけの天使』

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日本のテレビドラマ史上、屈指の名作『傷だらけの天使』

『傷だらけの天使』は1974年10月5日から1975年3月29日まで日本テレビ系列にて、2クールの全26話で放送された連続ドラマです。第1クールは苦戦したものの第2クールになって安定した視聴率を確保し、最終回は19.9%を記録しました。 さらに放送が終わっても人気が衰えないばかりか、主人公2人の破天荒な生き様と役者たちの名演技、豪華なスタッフ陣など、時間とともに評価を増して伝説のドラマと化していきます。再放送が繰り返されてときには20%を超える視聴率を記録、最近でも2017年冬にBS12トゥエルビで放送されて話題をよびました。 ここでは日本のテレビドラマが誇る名作『傷だらけの天使』について、ストーリーやメインキャスト・スタッフの紹介、さらに長らく愛される魅力と知られざる秘密に迫りたいと思います。

非情な人間関係、反抗と挫折!『傷だらけの天使』のストーリーは?

欲望渦巻く大都会・東京。「エンジェルビル」いう名の雑居ビルの屋上に住む木暮修(こぐれおさむ)とその弟分・乾亨(いぬいあきら)は、探偵事務所「綾部情報社」から仕事をもらって調査員として働くチンピラ風の若者2人です。 足元を見られていつも面倒で危険な汚れ仕事ばかり……。文句を言いながら嫌々調査を続けるうち、次第に込み入った人間関係や人情沙汰にのめり込んでしまい、しばしば指示に逆らって暴走してしまう姿を毎回一話完結スタイルで描きました。 「母のない子に浜千鳥を」「リングサイドに花一輪を」など各話のドラマチックなサブタイトルからわかる通り、子供の親探しから暴力団抗争まで幅広いテーマを取り上げます。ワケあり事情ありのさまざまな人々との出会いと別れ、そしてときにハッピーエンドとは言えない非情な展開から、どうしようもない人間模様が切なく浮かび上がります。

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『傷だらけの天使』の伝説的メインキャスト

木暮修/萩原健一

「エンジェルビル」の屋上にある掘っ立て小屋に住む24歳の木暮修を当時同年齢だった萩原健一が演じました。粗暴にして粗雑な性格ながら義理人情に厚く、また若くして結婚した妻と死別したため実家に一人息子・健太をあずけているという設定でした。 萩原健一は17歳のときからザ・テンプターズのヴォーカルとして数々のヒット曲を飛ばしたのち、グループ解散を機に役者業に乗り出します。ドラマ『太陽にほえろ!』のマカロニ役で一躍人気俳優となり、その後はドラマ『前略おふくろ様』、映画『恋文』や『居酒屋ゆうれい』など数々の作品で唯一無二の存在感と演技派ぶりを発揮してきました。 2018年6月現在67歳です。今も渋く苦み走った色気で男女を問わず絶大なる人気を誇りますが、無軌道な若さを存分に発揮した初期の代表作が『傷だらけの天使』なのです。 ちなみに萩原本人はインタビューの中で最も思い出深い回として、第6話「草原に黒い十字架を」をあげています。

乾亨/水谷豊

修のことを「アニキ~」と慕う22歳の弟分・亨を水谷豊が演じました。リーゼントのハードな外見とは裏腹に純で気弱、面倒見のいい性格です。孤児で育った生い立ちから修と健太と3人で暮らすのが夢という繊細で健気な一面を持っています。 子役としてデビューした水谷豊が数年のブランクを経て、本格的に役者業を再開し始めた頃の作品が『傷だらけの天使』です。その後は映画『青春の殺人者』における高い評価、さらにドラマ『熱中時代』で大ブレイクを果たし、実力と人気を兼ね備えた不動の地位を築きました。 「相棒」シリーズの杉下右京役についてはあえて説明するまでもないでしょう。伊藤蘭との間にもうけた娘の趣里も女優として活動するなど良き家庭人のイメージも強く、幅広い層から愛される突出して好感度の高い俳優の一人です。

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綾部貴子/岸田今日子

「綾部情報社」のミステリアスな女社長を岸田今日子が演じました。ときに悪事や非合法も厭わず、怪しげなカリスマ性と冷酷さを合わせもつ謎の女性です。 岸田今日子は劇作家・岸田國士の娘として文学座に所属し、数々の名舞台を踏んでキャリアを積みつつ、1964年の映画『砂の女』では国際的にも注目されました。異色の存在感を放つ名バイプレーヤーとして活躍したほか、『ムーミン』など声優やナレーターなど多才ぶりを発揮していましたが2006年に76歳で他界しています。 ちなみに「綾部情報社」で貴子の側近である辰巳五郎を演じた岸田森は、岸田今日子の実の従弟です。岸田森も性格派俳優として高く評価されていましたが、1982年に43歳の若さで死去しています。

名監督たちが演出を手掛けた!『傷だらけの天使』の豪華過ぎるスタッフ陣

全26話は固定したスタッフではなく、各回で異なる監督や脚本家が抜擢され、それぞれの個性を発揮した完成度の高いエピソードを作り上げていました。 監督陣の中には、当時「仁義なき戦い」シリーズでまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった深作欣二、日活ロマンポルノを代表する巨匠・神代辰巳、「必殺」シリーズで知られる工藤栄一、『太陽にほえろ!』などの重鎮演出家・児玉進らがいます。 一方脚本面では、その後数々の名作を送り出して大御所となる市川森一をメインに、『金曜日の妻たちへ』や『男女7人夏物語』で社会現象を巻き起こす鎌田敏夫、刑事ドラマでヒット作を連発する柏原寛司らが名を連ねていました。

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強烈なインパクトを残したオープニング・タイトル

『傷だらけの天使』といえば、なんと言っても強烈な印象を残したオープニングでしょう。ヘッドフォンとゴーグルを身につけた修が目を覚まし、その後は新聞紙をナプキン代わりにトマト、コンビーフ缶、ソーセージ、牛乳、クラッカーをひたすら貪欲に食べ続ける姿を手持ちカメラで撮ったものです。 当初はオープニング・タイトルはなしの方向で進んでいたものの、急きょ必要に迫られて即興的に撮影したようです。 かつて萩原健一とバンドを組んでいた井上堯之が音楽を担当。撮影場所は修の住居である「エンジェルビル」屋上のペントハウスですが、ロケ地となった建物は現在も東京の代々木に「代々木会館」の名で現存しています。

原点は映画『スケアクロウ』?!若者に多大な影響を与えた2人のスタイル

企画の段階からたずさわっていた萩原健一は、ジーン・ハックマンとアル・パチーノが主演した男2人のロードムービー『スケアクロウ』に刺激されたことがきっかけになったことをインタビューで告白しています。 そして『スケアクロウ』で見せた主演2人のアウトローぶりが世界中の若者たちに大きな影響を与えたのと同様、『傷だらけの天使』における萩原健一と水谷豊のスタイルにも多くの若者が憧れ、こぞって真似をしました。 修の衣装をBIGIの人気デザイナーだった菊池武夫が手掛け、また亨のリーゼントに革ジャン・スカジャンをあわせるという当時ですらレトロなスタイルが、再びブームを巻き起こしたりもしました。

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語り継がれる伝説の最終回とある隠された秘密<ネタバレ注意!>

最終話「祭りのあとにさすらいの日々を」において、亨は孤独過ぎる死を迎えます。 探偵業のかたわら働いていた自動車修理工を辞め、クラブのボーイをしていた亨は、チップのために真冬の噴水で水浸しになってしまいます。そのことで肺炎にかかり、誰もいないペントハウスで一人息絶えるのです。 戻った修は、好きだった女性ヌードの切り取り写真に囲まれて冷たくなった亨を発見します。泣きながらドラム缶の風呂に入れてやり、翌朝、リアカーに乗せて遺体を夢の島まで運ぶのでした。亨の壮絶な死に様と修の哀しみが胸を打つ伝説の結末です。 公に描かれてはいないものの、当初2人は在日韓国人の設定だったことを萩原健一がインタビューで明らかにしています。韓流ドラマやK-POPが人気を博す今日とは違う当時の社会的背景を考慮してベールに覆われましたが、そんな生い立ちを想定した強い熱量は、それでも確かに2人の背景に息づいています。

単なる連続ドラマの枠を超え70年代そのものだった『傷だらけの天使』

『傷だらけの天使』が日本のテレビドラマ史に残る傑作たりえたのは、単なるドラマ以上の、日本の70年代の空気そのものを凝縮していたからだとも言えます。 無軌道ともいえる破天荒なエネルギーや怒り、あふれる夢とどうすることもできない挫折など当時の時代が持っていた濃密さが、そのときどきの若者たちを魅了するのかもしれません。 ちなみに、派生作品としてはドラマ『傷だらけの天使』の30年後の修を描いた矢作俊彦の小説『魔都に天使のハンマーを』、やまだないとと西田俊也による漫画版などもあります。 なお、西郷輝彦が主演した1966年の同名映画、また豊川悦司と真木蔵人が主演した1997年の同名映画は着想こそ同じものの、ともに内容的にはテレビドラマ版とは無関係です。

ドラマ『傷だらけの天使』はBlu-ray-BOXが発売中。ぜひ、日本ドラマ史に輝く傑作を手にとってみてください。