タップできる目次
- ロック歌手出身の熱い俳優、吉川晃司
- 2:音楽活動でスカウトされる為に、渡辺プロダクションに自らスカウトを要請!
- 3:デビュー年にして、歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を獲得!
- 4:初期の学園祭コンサートで体育館の緞帳を破き、1000万の被害額を作る
- 5:尾崎豊の形見のギターが原因の喧嘩で、“芸能界ケンカ最強”と称される
- 6:NHK紅白歌合戦でのハプニングが伝説過ぎる
- 7:路上で熟睡、女子高生に説教される
- 8:三池崇史監督作品『漂流街』での13年ぶりの映画出演で、高評価を得る
- 9:無人島サバイバルでの逸話がすごすぎ
- 10:ビルの4階から飛び降りたことも
- 11:大河ドラマ『天地人』の織田信長役出演でNHKに問い合わせが殺到した
- 12:東日本大震災復興支援ライブでは10万人が駆けつける
- 13:B級映画風CMで真面目にふざける吉川晃司がみられる
ロック歌手出身の熱い俳優、吉川晃司
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吉川晃司は、府中町立府中小学校を卒業後、修道中学校に入学し、水球を始めます。修道高校に在学中に世界ジュニア水球選手権大会の日本代表、2年連続で全日本高校最優秀選手にも選ばれました。
最年少日本代表として、イタリア・エジプト遠征にも参加しています。
2:音楽活動でスカウトされる為に、渡辺プロダクションに自らスカウトを要請!
高校生になると、水球をしながら、同じ水泳部だった酒井麿に誘われて、バンド活動にも力を注ぐようになります。しばらくは水球とバンドを並行して続けていましたが、佐野元春のコンサートを見に行き、カルチャーショックを受けて、音楽活動一本に絞ることを決意しました。 スカウトされたいと考えた吉川晃司は、当時沢田研二、アン・ルイスなどが所属していた渡辺プロダクションに「すごい奴がいる、広島まで見に来ないと一生後悔する」という内容の手紙を送りつけます。すると実際にプロダクションの関係者が会いに来てくれ、数回のオーディションを経て、ナベプロ入りを果たしました。
3:デビュー年にして、歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を獲得!
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吉川晃司は、親や教師の反対を押し切り、高校を2年で中退し、上京します。1984年、そして19才の時に、主演映画『すかんぴんウォーク』とその主題歌『モニカ』でデビュー。
1984年の日本歌謡大賞最優秀新人賞、また主演映画『すかんぴんウォーク』で日本アカデミー賞新人賞、ブルーリボン賞、ゴールデンアロー賞など、合計で8つの新人賞を獲得しました。
4:初期の学園祭コンサートで体育館の緞帳を破き、1000万の被害額を作る
初期の頃に、とある学校の学園祭で、体育館の緞帳にぶら下がったところ、ビリビリに破いてしまい、その弁済額は1000万であった、とファンクラブの会報誌に記載されています。
5:尾崎豊の形見のギターが原因の喧嘩で、“芸能界ケンカ最強”と称される
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1998年に、酒に酔った友人が、吉川晃司が所有していた尾崎豊の形見のギターを蹴ったことでケンカになり、ボクシング経験があるもの同士での殴り合いに発展し、友人の鼻骨と肋骨を骨折させてしまいました。
示談は成立させたものの書類送検されています。この時の会見で、急所を殴り骨折させたと発言した吉川晃司を、吉田豪らが“芸能界ケンカ最強”と称しました。
6:NHK紅白歌合戦でのハプニングが伝説過ぎる
吉川晃司は、1985年に初めて出場したNHK紅白歌合戦で数多くの問題行動を起こし、紅白だけでなくNHKに十数年出入り禁止になった伝説があります。
まず、白組なのに真っ赤な衣装でシャンパンをまき散らしながら登場し、観客に向けてふき出します。さらに、予定になかったステージから観客席に降りるパフォーマンスでカメラと衝突し、出演時間を超過して、ギターをステージ上で燃やして叩き壊しました。
次に歌うはずだった河合奈保子の曲のイントロが流れても、吉川がはけなかったため、河合奈保子は曲の途中から歌うことになり、テレビに河合とバックダンサーたちの困惑顔が映し出されました。
7:路上で熟睡、女子高生に説教される
デビュー当時、友人だった尾崎豊と吉川晃司はお酒を飲み、二人して手のつけられないほど酔っ払った挙句、路上のゴミ置場に倒れ朝まで過ごしてしまいました。
朝になり女子高生が路上のゴミの上で寝てしまっている二人を見かけ、だらしないと叱ったそうです。女子高生に怒られる大人、ちょっと情けなくも面白いですね。
8:三池崇史監督作品『漂流街』での13年ぶりの映画出演で、高評価を得る
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渡辺プロダクション時代に『シャタラー』(1987年)に出演以来、三池崇史監督作品には13年ぶりに出演したのが、『漂流街』(2000年)でした。独特のオーラと存在感で高評価を得て、三池崇史監督と意気投合し、その後の三池崇史監督作品、プロモーションビデオ、ライブ撮影において、お互いに深い関係を築きました。
9:無人島サバイバルでの逸話がすごすぎ
2009年にデビュー25周年を迎え、何かしようと『中居正広の金曜日のスマたちへ』で企画されたフィリピン沖の無人島での10泊のサバイバルロケを行い、大変な反響を呼びました。
過酷な環境下にあった無人島の温度は40度前後で、湿度が70~80%もあり、毎日スコールが降っていました。吉川晃司は、懐中電灯の部品を使って仕掛けを作り、人食いザメを捕獲したり、3日かけて火をおこしたりするなどリアルなサバイバルを披露。この企画が好評を得たため、2011年4月15日の放送では、アフリカのケニアでツリー生活にも挑みました。
10:ビルの4階から飛び降りたことも
吉川晃司が2014年のニコ生特番に出演した際、巷でささやかれる吉川についての伝説を本人に検証するという企画がありました。
「六本木のビルの4階から飛び降りたことがある」という伝説について、本人はあっさりと事実を認め、しかも以下のようにコメントしています。
「4階までビルとビルの間をつたって登って行ったこともあるね」引用:barks.jp
他にも、酔って自宅のカギを紛失した際には、外からベランダによじのぼり窓を割って中に入ったとか。そんなことは何度かあり、7階までよじのぼったこともあるそうです。
11:大河ドラマ『天地人』の織田信長役出演でNHKに問い合わせが殺到した
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大河ドラマ『天地人』で織田信長役として出演した吉川晃司の姿を見て、多くの女性からNHKに問い合わせが殺到したことがあります。吉川は大河ドラマ初出演にして、織田信長という大役に抜擢されており、乗馬のシーンにスタッフも感嘆の声を上げていました。
12:東日本大震災復興支援ライブでは10万人が駆けつける
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吉川晃司は、1988年にギターリストの布袋寅泰 とCOMPLEXというユニットを結成しますが、意見の食い違いから1990年11月8日の東京ドームのライブをもって活動を停止していました。しかし、東邦大震災を受けて、2011年に21年ぶりに2日限りの復活で、東京ドームにて東日本大震災復興支援ライブを行い、なんと10万人のファンが駆けつけました。
13:B級映画風CMで真面目にふざける吉川晃司がみられる
2016年で発売40周年を迎える「日清焼きそばU.F.O.」。記念となる新しいキャッチフレーズ「エクストリーム」が発表され、それに伴い新CMも完成しました。
このB級SF映画風のCMで、吉川晃司は宇宙のヒーローのソース、水原希子は彼にに助けられるエクストリーム姫を演じています。普段は歌手としても俳優としても、ワイルドでクールなイメージの吉川ですが、今回はめずらしく真面目にふざけています。
そしてこのCM、実は1993年から95年まで放送された同商品のCM「UFO仮面ヤキソバン」の続編でもあり、あわせて話題になりそうです。