2017年7月6日更新

草刈民代、元バレリーナの美しき女優の魅力に迫る

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草刈民代

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草刈民代のプロフィール

草刈民代は1965年5月10日生まれ、東京都の出身です。出版社の社長である父を持ち、3姉妹の長女として生まれた草刈は、1972年の札幌オリンピックで活躍したフィギュアスケート選手・ジャネット・リンに憧れてバレエを始めます。 1981年に牧阿佐美バレヱ団に参加し、主演クラスを務めるダンサーへと成長。輝かしい記録を残し続けました。1996年に映画『Shall we ダンス?』映画初主演を務め女優の道へ。2009年に惜しまれつつバレエを引退し、その後は女優業に専念しています。

草刈民代は輝かしい受賞歴を持つ元バレエダンサー

1984年に牧阿佐美バレエ団正団員となった草刈民代。1987年に『白鳥の湖』でオデット・オディール役を務めて以来主要バレリーナとして活躍し、その年に全国舞踊コンクール第一部第一位、文部大臣奨励賞を受賞しました。 その後1989年に橘秋子賞を受賞。1991年にはモスクワの劇場に招かれて世界各地でバレエダンサーとして活躍した、という輝かしい経歴の持ち主です。

初出演映画で最優秀主演女優賞受賞

1981年頃からCMなどに出演し注目を浴びていた草刈は、1996年に映画『Shall we ダンス?』に初出演し、初主演を務めました。社交ダンス教室を舞台にした、コメディタッチで心温まるヒューマンドラマを描いた作品で、草刈は岸川舞役を演じています。 この映画は社会現象となるほどの話題になり、草刈自身も最優秀主演女優賞受賞を受賞の他、キネマ旬報新人女優賞など数々の賞を受賞。一躍有名となりました。

更に映画監督、周防正行と結婚!

草刈は1996年に映画監督の周防正行と結婚しています。きっかけは周防が映画監督を務め、草刈が主演を務めた1996年の映画『Shall we ダンス?』。 この映画のプロモーション撮影で急激に距離が縮まり2、交際に発展していったのだそうです。現在はおしどり夫婦として有名な二人となりました。

バレエダンサーを引退し女優に転身

36年間バレエに人生を捧げた草刈民代は、2009年に自身がプロデュースした「Esprit〜ローラン・プティの世界」で全14公演を行いバレエダンサーとしての幕を閉じました。 彼女にとってこの選択は人生で一番の決断だったのだそうです。女優業に専念し、女優としての自分を表現したい、と語る草刈民代。今後の演技が楽しみですね。

夫、周防正行の監督作品にも出演!

交際のきっかけとなった1996年の映画『Shall we ダンス?』や2011年の映画『ダンシング・チャップリン』、2012年の映画『終の信託』にて、草刈民代は周防が監督を務める作品に出演しています。 特に『ダンシング・チャップリン』はバレエ作品となっており、元は周防夫妻と縁のある人物の為に作られた舞台だったそうです。それを周防が映像化し、草刈が踊ります。2人にとって思い入れのある作品となっています。

草刈民代のバレエに対する情熱がスゴかった

幼少の頃からバレエに触れてきた草刈民代は周囲が遊んでいる時間も全てをバレエに費やしていましたが、それは彼女にとっては苦痛ではなく、寧ろ誇らしいものだったようです。 バレエに対する姿勢はとにかくストイック。バレエ中心の生活を送ろうと子供は設けなかったそうですが、気がつけばそういう時期は過ぎていたんだとか。既に決断していたからこそ、そう思えたのかもしれません。

草刈民代と大人気漫画「ワンピース」の意外な関係!

草刈民代の父は中央精版印刷株式会社の社長を務めており、この会社では印刷や製本を請け負っているそうです。実は、週刊少年ジャンプの人気漫画「ワンピース」の印刷と製本を請け負っているのがここの会社。 「ワンピース」による収益は45億円とも言われており、かなりの金額のようです。思わぬところに縁があるものですね。

草刈民代は性格が男前!

実は料理と片づけが苦手な草刈民代。バレエを続けるために無理にやる事もない、と出来ないことはスパっと諦めたそうです。バレエに対するストイックさ、決断力は非常に男前です。 また、日常では服を出したらクローゼットがあきっぱなしなど、草刈の生活行動の痕がそこかしこに残っているんだとか。可憐な見た目からは想像できない、意外な一面かもしれません。