浅丘ルリ子のプロフィール
浅丘ルリ子は、満州国新京子市出身、1940年7月2日生まれの女優。日活株式会社(日活)や石原プロモーション(石原プロ)を経た後、芸能事務所「舞プロモーション」に所属しています。
1955年に銀幕デビューを果たし、小林旭の三大アクション・シリーズや『夜霧よ今夜も有難う』を始めとする石原裕次郎のムード・アクション・シリーズなど、日活映画の看板女優として活躍するほか、主題歌などを中心に多くの曲を発表し、歌手としても有名になりました。
ドラマの出演作も、NHK大河ドラマ『竜馬がゆく』や『冬物語』など多数あります。1980年代は活動の場を舞台に移すも、2000年に入ると再び映画に戻り、『博士の愛した数式』といった話題作に出演しました。
2017年のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』にも出演!
2017年には、今川義元の母・寿桂尼役で出演するNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』も放送予定。76歳を迎えた現在も、常に第一線で活躍を続けているベテラン女優です。
1955年に映画『緑はるかに』で銀幕デビュー
浅丘ルリ子は、1955年の映画『緑はるかに』のヒロイン、ルリコ役で銀幕デビューしました。
中学校在学中、14歳だった1954年の夏。北条誠の小説『緑はるかに』が映画化されるに当たって、ヒロイン役を募集していることを知り、両親の賛成を得て応募したそうです。約3000人の中から、挿絵を担当していた中原淳一による強い推薦で選ばれ、見事にヒロイン・ルリコ役を獲得しました。
また、芸名・浅丘ルリ子の”ルリ子”も、中原が名付け親だと明かしています。当時は役柄のヘアスタイルが”ルリコカット”として流行し、一躍美少女として脚光を浴びることになりました。
歌手として『愛の化石』でオリコン2位を獲得
歌手としても知られており、1960年代を中心に多数のシングルを発売。日活時代から多くの出演映画で主題歌を担当し、石原裕次郎とのデュエット曲『夕陽の丘』はミリオンセラーになりました。
その後、自身にとって久々のヒット曲となったのが、1969年のシングル『愛の化石』です。浅丘のナレーションに始まり、語りと歌を組み合わせた形のバラード曲だそう。B面曲には『お願い帰って』が収録され、オリコンチャート最高順位2位を記録するなど大きな話題を呼びました。
翌年の1970年には、浅丘ルリ子と田宮二郎主演で映画化されました。公開後は門外不出、幻の映画と呼ばれていましたが、2016年に石原プロで原版フィルムが見つかりDVD化されています。
浅丘ルリ子の若いころがきれい!美しさの秘訣は?
芸能生活は60周年を迎え、現在は円熟した魅力を放っていますが、若いころがとてもきれいなんです!
目が大きくぱっちりとしていて、非常に美しい顔立ちの女性という印象ですね。銀幕デビュー後は、美少女だと注目を浴び、日活映画の看板女優として人気を博した浅丘。日本映画全盛期、一時代を築いた日活アクション映画において、代表的なヒロインとして知られるようになります。
出演作の中でも、渥美清主演の映画『男はつらいよ』シリーズのクラブ歌手、リリー役は大好評でした。シリーズとして最多の4回、最終作「寅次郎紅の花」で、マドンナを務めたことも有名です。
多くの恋の噂も流してきた浅丘曰はく、現役を続けられる秘密は”恋愛をする”こと!ボーイフレンドは途切れたことが無く、ときめく存在がいることが、大きな張り合いになっているそうです。そして何よりも、「きれいでいたい!」という強い思いこそ、美しさの秘訣だと明かしました。
1971年に俳優・石坂浩二と結婚するも離婚
浅丘ルリ子は、1971年にドラマ『2丁目3番地』での共演後に、俳優・石坂浩二と結婚しました。
実はそれ以前に、友人の加賀まりこから「(石坂が)大ファンで、一度デートしたいと言っている」と言われ、彼の思いを知っていたのだとか。30歳になり結婚も考える時期で、「あなたは女優だ。結婚しても仕事を選んで女優を続けてください」という言葉から、一緒になろうと決意したと言います。
しかし博識かつ多趣味だった石坂は、5~6年が経った頃に「絵を描くためのアトリエを持ちたい」と言い、自宅とは別に借りた部屋で寝泊りを始めました。浅丘は”別の女性”の存在に気付き、つらく腹が立つ思いでしたが、熱が冷めるまで放っておこうと考えたそうです。
2000年12月27日の会見で石坂浩二との離婚を発表
別居状態が続いていたある日。石坂から「いつも家にいてくれる人と一緒になって、子供も欲しい。母も引き取って一緒に暮らしたい」と告げられ、最初は動揺したものの、受け入れることにしました。
浅丘は双方の食い違いを避けるため、離婚会見は2人揃って開くことを相談し、石坂も了解したそうです。それから3日後の2000年12月27日に会見を行い、石坂はその5日後に現在の妻と入籍。それでも浅丘は、石坂が最後まで女性の存在を否定したのは、「思いやりであり優しさだと思う」と語りました。
離婚後も関係は良好のようで、石坂も浅丘のことは役者の師匠のように思っているとのこと。現在も仕事のことなどで連絡を取り合っており、芝居の手本としていたことなどを明かしています。
林真理子の小説『RURIKO』のモデルになった
ドラマ化もされた『不機嫌な果実』などで知られる、直木賞作家・林真理子の『RURIKO』のモデルとなり、その半生が描かれたことも話題になりました。
この小説内では、本名の”浅井信子”として登場する浅丘が、終戦後間もない日活撮影所で少女スターとして脚光を浴びていく過程、名優・石原裕次郎への憧れや小林旭との恋、後に小林と結婚・離婚した昭和の歌姫・美空ひばりとの友情といったことを、フィクション作品として描いています。
浅丘本人の話などを基に構想が練られていますが、台詞は全て林の創作だそう。基本は実話に沿っているので、昭和のスターによるスキャンダラスな内容に、ドキドキすること間違いなしです。
浅丘ルリ子に子どもはいるの?
石坂浩二とは約30年連れ添ったため、2人の間に子どもはいるの?と気になる方も多い様子。実際のところは、石坂だけでなく他の恋人たちとの間にも、子どもはもうけていないようです。
浅丘自身は、「飛んでいって抱きしめちゃいたくなる」程の子ども好きだそうですが、結婚しても自分が母親になることは考えもしなかったのだとか。石坂には絵や料理のことから、”女優と家事の両立がいかに大変か”まで教わり、多くのものを与えてくれたことに感謝していると明かしました。
また、当時は母親になるよりも、”女優”の仕事に没頭していたとも語っています。もし石坂と離婚することなく、家庭と仕事の両立を図ることが出来れば、子どもを授かっていたかもしれませんね。
ドラマ『やすらぎの郷』で石坂浩二と31年ぶりに共演
テレビ朝日は2017年より、中高齢の視聴者に向けた”シニアドラマ枠”の新設を発表しました。第1弾として、『北の国から』の倉本聰脚本、石坂浩二主演のドラマ『やすらぎの郷』が放送されます。
舞台となるのは、テレビで活躍した著名人専用の老人ホーム。かつての大女優役として、浅丘ルリ子・有馬稲子・五月みどりを始めとする、ベテラン女優らの豪華共演も実現しました。ホームで起こる悲喜交々の出来事、それらに翻弄される主人公、菊池の姿がユーモラスに描かれるそうです。
浅丘と石坂は離婚後初にして、1986年の映画『鹿鳴館』以来、31年ぶりの共演に!石坂と恋の噂もあり、夫婦のキューピット役だった加賀まりこも名を連ね、”縁の深い”顔ぶれになりました。
具体的な時期は未定ですが、2017年春から2クール(半年)での放送が予定されています。