三船敏郎出演映画おすすめ15選

「世界のミフネ」と称された名優・三船敏郎。2016年にはハリウッド殿堂入りすることが決まりました。今回は、三船敏郎の出演作を15作紹介します。
目次
- 今更ですが三船敏郎とは
- 黒沢明監督作品初出演作『酔いどれ天使』 【1948年】
- 初主演作『静かなる決闘』 【1949年】
- 芥川龍之介の名作『羅生門』を原作とした作品にも出演 【1950年】
- ヴェネツィア映画祭銀獅子賞受賞作『七人の侍』に出演 【1954年】
- 『生きものの記録』で社会問題を訴える【1955年】
- マクシム・ゴーリキーの戯曲『どん底』を元に作った作品に出演 【1957年】
- 『隠し砦の三悪人』で侍大将を熱演 【1958年】
- 復讐劇『悪い奴ほどよく眠る』に出演 【1960年】
- 『用心棒』でヴェネツィア国際映画祭男優賞を受賞 【1961年】
- 『用心棒』の続編『椿三十郎』でも名演技を披露 【1962年】
- 会社の常務を熱演した『天国と地獄』 【1963年】
- ヴェネツィア映画祭主演男優賞受賞作『赤ひげ』 【1965年】
- 陸軍大臣を演じた『日本のいちばん長い日』 【1967年】
- 石原裕次郎と共演した『待ち伏せ』 【1970年】
- 明治天皇を演じた『二百三高地』 【1980年】
今更ですが三船敏郎とは
三船敏郎は、1920年4月1日に生まれた俳優・映画監督・映画プロデューサーです。1947年に映画『銀嶺の果て』でデビューしました。
『酔いどれ天使』や『隠し砦の三悪人』などの黒沢明監督作をはじめとする数多くの映画に出演。アメリカ映画『グラン・プリ』やフランス映画『レッド・サン』などの海外作品に出演したり、ヴェネツィア国際映画祭の男優賞を2回受賞したりすると日本では「世界のミフネ」と呼ばれるようになりました。海外では"The Wolf"、"The Shogun"と呼ばれています。
1997年、12月24日に全機能不全のため、77歳で亡くなりました。しかし、名優としての評価は死後も変わらず、2016年にはハリウッドの「ウォーク・オブ・フェイム」に名前が刻まれることになっています。
黒沢明監督作品初出演作『酔いどれ天使』 【1948年】

1948年に公開された『酔いどれ天使』は三船敏郎と黒澤明が初めてタッグを組んだ作品。中年の酔いどれ医師と闇市のやくざのぶつかり合いを描いた作品です。三船敏郎は、結核に冒され、医師から治療するように説得される闇市を支配するやくざの松永を演じました。
初主演作『静かなる決闘』 【1949年】

1949年の『静かなる決闘』は三船敏郎の初主演映画です。戦時中、軍医として働いていた時に梅毒に感染してしまった医者の苦しみを描いた作品において、主人公の藤崎恭二を演じました。
芥川龍之介の名作『羅生門』を原作とした作品にも出演 【1950年】

ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞や第24回アカデミー賞名誉賞など多くの賞を受賞した映画『羅生門』にも出演しました。本作は、羅生門にやってきた下人が杣売りと旅法師に出会い、とある殺人事件の顛末を聞くという物語。三船敏郎は、事件を起こした下手人として連行される盗賊の多襄丸を演じています。
ヴェネツィア映画祭銀獅子賞受賞作『七人の侍』に出演 【1954年】


『七人の侍』に菊千代役で出演しました。本作は、百姓に雇われた7人の侍が、村を襲う野武士と戦うという物語です。三船敏郎が演じた菊千代は百姓出身の侍です。
『生きものの記録』で社会問題を訴える【1955年】

1955年の『生きものの記録』は、原水爆の恐怖を題材とした作品です。冷戦中にアメリカとソ連が核軍備競争を行っていたことや第五福竜丸被爆事件などによって噴出した反核の世論に影響されて制作されました。三船敏郎は、原水爆を恐れるがために、ブラジルに移住しようとする中島喜一を演じました。
マクシム・ゴーリキーの戯曲『どん底』を元に作った作品に出演 【1957年】


1957年の『どん底』では、捨吉を演じました。本作は、江戸時代の棟割長屋を舞台にした物語。三船敏郎が演じた捨吉は、棟割長屋に住む泥棒です。
『隠し砦の三悪人』で侍大将を熱演 【1958年】
2015/11/29 シネマヴェーラ渋谷

1958年には『隠し砦の三悪人』に出演。敗軍の侍大将が姫と共に敵国を突破するという作品です。三船敏郎は、戦に負けた秋月家の侍大将である真壁六郎太を演じました。
復讐劇『悪い奴ほどよく眠る』に出演 【1960年】

1960年には『悪い奴ほどよく眠る』に出演しました。本作は、父親を自殺に追いやった土地開発公団の上司に復讐をする男の物語です。三船敏郎は、公団副総裁の秘書で、父親を死なせた人々に復讐を企む西幸一を演じています。
『用心棒』でヴェネツィア国際映画祭男優賞を受賞 【1961年】

1961年には『用心棒』に出演しています。とある浪人が、二人の親分が争いをしている宿波町にやってくるところから始まる本作品。三船敏郎は、桑畑三十郎と名乗り、自分を用心棒にと売り出す浪人を演じました。
『用心棒』の続編『椿三十郎』でも名演技を披露 【1962年】

1962年には『用心棒』の続編とも言われる『椿三十郎』に出演。浪人が9人の若侍たちと共に、家老の陰謀を転覆させるという内容です。三船敏郎は、「椿三十郎」と名乗る流れ者の浪人を演じました。
会社の常務を熱演した『天国と地獄』 【1963年】

1963年に出演した『天国と地獄』では主人公の権藤金吾を演じました。本作は、常務の子と間違えられて運転手の子供がさらわるという推理映画。三船敏郎が演じた権藤金吾は、製靴会社の常務で「子供をさらった」という電話を受ける人物です。
ヴェネツィア映画祭主演男優賞受賞作『赤ひげ』 【1965年】
3時間の長さを一切感じさせないほど、役者の演技のレベルが高い!!三船敏郎、加山雄三、昔の俳優はここまで演技がうまかった!!
日本人ならば、是非1度見てみて下さい!!

1965年の『赤ひげ』にも出演しました。留学から帰って来た保本登が小石川養生所で医師として成長していく様を描いた作品です。三船敏郎が演じたのは赤ひげと呼ばれる医者の新出去定。小石川養生所の所長として保本登の指導をするという役どころです。
陸軍大臣を演じた『日本のいちばん長い日』 【1967年】
実際の現場では、どれくらいの熱量だったのか…。

1967年の『日本のいちばん長い日』では陸軍大臣の阿南惟幾を演じています。本作では1945年8月14日の宮城事件から8月15日のポツダム宣言の受諾を知らせる玉音放送までの様子が描かれました。
石原裕次郎と共演した『待ち伏せ』 【1970年】

『待ち伏せ』にも出演。本作は、江戸時代、幕府の陰謀が横行している時に用心棒風の男が「からす」と呼ばれる謎の武士から密命を受けるという物語です。三船敏郎は、用心棒風の男・鎬刀三郎を演じました。
明治天皇を演じた『二百三高地』 【1980年】
1980年に公開された『二百三高地』では、明治天皇を演じました。本作の舞台は現在の中国・旅順にある丘陵地・203高地。1904年から1905年の日露戦争中に日本軍がロシア帝国の旅順要塞を陥落させた旅順攻囲戦を描いた作品です。