2017年7月6日更新

岡田茉莉子が美しすぎる!昔の画像とともに紹介!

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東宝映画の大スター、岡田茉莉子

岡田茉莉子は、1933年1月11日生まれ、東京都渋谷区出身です。父は戦前に二枚目俳優として人気を博した岡田時彦、母も宝塚歌劇団で活躍した田鶴園子という芸能一家に生まれました。 1946年から東宝が新人スター発掘のために行っていたニューフェイスのオーディションに合格した岡田茉莉子は、1951年に東宝演技研究所に入所します。まもなくして映画『舞姫』の準主役に抜擢され、映画デビューしました。その後は、数多くの東宝映画でメインキャストとして出演することになります。

女優を目指すことになったあるエピソードとは

岡田茉莉子が女優を目指すきっかけになったエピソードとしては、友達と一緒に映画『瀧の白糸』を観たことを告げた母が泣き出してしまった、という逸話があります。実はその映画で主演を務めていた俳優こそが、岡田茉莉子の実の父親・岡田時彦だったのです。

作家の谷崎潤一郎が名付け親

岡田茉莉子の本名は吉田鞠子ですが、芸名の名付け親は文豪・谷崎潤一郎なのです。父の岡田時彦という芸名を付けたのも谷崎。父の名前を付けたよしみで娘の芸名も付けてくれたのだそうです。 谷崎潤一郎と言えば耽美派小説の巨匠であり、代表作『痴人の愛』に代表されるように蠱惑的なヒロインを描く作家。ヒロイン・ナオミのように茉莉子という名も現代的な中に詩的な響きがありますね。

夫は映画監督の吉田喜重

映画『舞姫』でスクリーンデビューを飾ってから、岡田茉莉子は数々の名作に出演し、日本映画界になくてはならない大スターとなりました。女優として順風満帆だった岡田ですが、1964年には結婚を発表します。お相手は映画監督の吉田喜重で、ヨーロッパで挙式と新婚旅行を行い、当時大変話題となりました。 吉田喜重は、1960年公開の映画『ろくでなし』で初めて監督を務めます。以後、『血は乾いている』、1961年の『甘い夜の果て』、1962年『秋津温泉』と立て続けにヒット作を発表し、松竹を代表する人気監督となりました。1966年には松竹を退社し、妻の岡田茉莉子とともに映画製作会社「現代映画社」を設立します。1988年の『嵐が丘』はカンヌ映画祭に出品されるなど、世界的にも注目を集めました。

映画の中の岡田茉莉子の美しすぎる画像を紹介!

『秋津温泉』【1962年】

2016年現在83歳となっている岡田茉莉子がスクリーンデビューしたのは、18歳のころ。当時の画像を見ると美しさに圧倒されるほどです。 映画出演100本記念作品として、岡田自身がプロデュースした映画が『秋津温泉』です。監督を務めたのが、後に夫となる吉田喜重。映画は大ヒットしたばかりか、数々の映画賞に輝き名作として評価されました。 相手役を長門裕之が演じ、戦後の地方を舞台に、男と女のやるせない関係を描いた文芸作品です。岡田が演じた、純粋で男に翻弄される新子の美しさは必見です。

『女のみづうみ』【1966年】

1966年に公開された映画『女のみづうみ』で、岡田茉莉子は、不倫が原因で予期せぬ事件に巻き込まれてしまうヒロイン水木宮子を演じています。その映画のワンシーンがこちら。物憂げな瞳で横たわり、ミステリアスで官能的な美しさがあります。華やかな衣装やアクセサリーを付けているわけではないのに、とても艶っぽく引き込まれる魅力がありますね。

最近は、バラエティ番組での発言も話題!

最近ではたびたびバラエティ番組へ出演している岡田茉莉子。番組内で若手女優に対する意見を求められた時に、女優ではなくタレントであるとバッサリ。 これまでも思ったことをはっきりと口にする性格として知られていた岡田茉莉子ですが、数多くの映画に出演し、日本映画界を代表する大女優ならではの貫禄と自信が感じられる名言ですね。

永遠の大女優・岡田茉莉子

長年に渡り日本の映画界を支えてきた岡田茉莉子は、80歳を過ぎた現在でも映画、ドラマ、舞台と幅広く活動を続けています。今もなお昔と変わらぬ姿勢で演技に向き合う永遠の大女優ですね。