日本映画史を代表する映画監督・小津安二郎
小津安二郎は1903年12月12日、東京深川生まれの映画監督・脚本家です。小学生の時に父親の故郷、三重県松阪市に移りました。小学校を卒業後、伊勢市の宇治山田中学校へ進学し、この頃に映画と出会います。 特に1917年公開のハリウッド映画『シヴィリゼーション』(監督:トーマス・H・インス)に影響を受け、映画の道を志しました。中学校を卒業後は、尋常小学校の代用教員を1年間務めた後に、先に東京へ戻っていた家族の元に帰郷。1923年に撮影助手として松竹キネマ蒲田撮影所に入社、1927年に時代劇『懺悔の刃』で監督デビューを果たしました。 戦時中、1943年に軍報道部映画班として、南方へ従軍、この地でハリウッド映画を多数鑑賞し、終戦の翌年に帰国しました。戦後は脚本家・野田高梧と組み、茅ケ崎市にある旅館「茅ケ崎館」で脚本を執筆、『晩春』『東京物語』などの名作を次々に発表しました。
8位: 小津安二郎初のカラー作品【1958年】
長女・節子の縁談に思いを巡らせていた平山のもとに、節子との結婚を認めて欲しいと突然現れた谷口。自分に相談をせずに結婚相手を決めた娘の行動に動揺する平山を、妻や次女が間に入り、取りなそうとしますが、平山はますます頑なになっていきます。 有馬稲子、久我美子、山本富士子という人気女優に加え、佐田啓二も出演するなど、華やいだ初カラー作品となりました。 小津安二郎が好きな赤がよく映えるという理由で、発色の良いドイツのアグファカラーフィルムを採用。作品の中で、テーブル、座布団、ラジオなどの赤い調度品が見つけられ、独特な色彩感覚が楽しめるのも魅力です。
7位: 旅回り一座と一膳飯屋の母子らとの人間模様【1959年】
志摩半島の小さな漁村、旅回り一座の乗った船が港に着きます。座長の駒十郎は一膳飯屋のお芳を訪ね、その昔、2人の間に生まれた清が、今は郵便局に勤めていると知ります。お芳は清には駒十郎は伯父だと話しており、駒十郎は清と釣りに出かけたり、将棋を指したりとふれあっていきます。 その様子を見た一座の看板女優すみ子が、嫉妬から妹分の役者加代に清を誘惑するように頼み、すみ子の思惑通り、清と加代は恋仲になります。 一座は客の不入りや、座員が金を持ち逃げしたりと、もはや解散以外に手がなく、駒十郎は一座と別れ、お芳の店へ行きます。役者を辞め、お芳と清と暮らそうと考えていましたが、清と加代の仲は離せるものではなくなっていて・・・。 小津が唯一大映で撮ったこの映画は、小津映画では珍しいキスシーンや張り手などが見られる異色作です。
6位: 初老の父親と婚期を迎えた娘の心情を繊細に描いた小津安二郎の遺作【1962年】
妻に先立たれ、男手一つで娘・路子を育てた平山。路子は婚期を迎えていましたが、平山はまだ手放す気がありませんでした。ところが、あることがきっかけで、路子に結婚話を切り出しますが、突然のことに路子は戸惑います。 小津安二郎の遺作である本作は、豪華な顔ぶれが揃った小津の集大成ともいえる作品です。長年、小津作品で父親を演じてきた笠置衆の熟練した演技と、娘役に抜擢された岩下志麻の新鮮さも味わいを感じさせる作品です。
5位: 生まれ育ちの違う夫婦が分かり合えるまでを描く【1952年】
田舎出身の茂吉と上流階級で育った妙子は、結婚当初から互いにギャップを感じながら暮らしていました。妙子は一等車での旅行など遊び回り、茂吉は妙子の嫌いな煙草を吸い、三等車で出かけ、酔って帰ってはお茶漬けを食べていました。 妙子が神戸の友人のところへ遊びに行って留守の時に、茂吉は急に海外出張が決まり、妙子に連絡がつかないまま発ってしまいます。家に帰った妙子は茂吉のいない虚しさを初めて感じ・・・。
4位: 母と娘の愛情を繊細に描いた作品【1960年】
亡き友人三輪の7回忌で、未亡人秋子と娘アヤ子に再会した間宮、田口、平山の3人は、婚期を迎えたアヤ子の縁談の世話をやこうとしますが、アヤ子にはまだその気がないと言われます。ある日、アヤ子は間宮の部下、後藤と出会い、恋愛感情が芽生えます。 母への思いやりから結婚に踏み切れないのでは、と考えた3人は、秋子の再婚話を勝手に持ち出し、混乱を招くことに。
3位: 戦後の東京郊外を舞台に元気な子供達に振り回される大人達【1959年】
東京郊外の住宅地。様々な家族が住んでいますが、界隈で唯一テレビを持っている若夫婦は、万事派手好みで、近所のひんしゅくをかっています。子供達は相撲が始まると、若夫婦の家のテレビにかじりついて勉強をしないので、母親達が頭をかかえていました。 家でそれを問題にすると、子供達が「じゃあ、テレビを買って」と反撃し、親子で正面衝突に。要求が通るまで口を利かない、学校でも答えないと徹底的な沈黙戦術に出ます。果たしてその結果は・・・。 作品中で、子供達の間で登場する「オナラ遊び」。このオナラを使ったギャグは、小津安二郎がサイレント時代から温めていたアイデアだそうです。
2位: 結婚をめぐる父と娘を描いた感動作【1949年】
妻を早くに亡くした大学教授・曽宮は鎌倉で一人娘の紀子を暮らしていました。27歳になる紀子は父を気遣って嫁ごうとせず、そんな2人を見守る曽宮の妹・まさが何かと世話をやいていました。曽宮は再婚すると嘘をつき、紀子に結婚を決意させようとしますが、すんなりとはいかず・・・。 原節子が小津作品に初出演。杉村春子のコミカルな演技が評判になった作品です。
1位: 世界中の映画人に影響を与えた映画史に残る不滅の名作【1953年】
2012年、英国映画協会(BFI)が発表した「映画監督が選ぶ映画トップ100」で1位に輝いた、世界映画史に残る名作。 広島・尾道に暮らす夫婦、周吉、とみが、子供達を訪ねるために、久しぶりに上京します。しかし、長男も長女も歓待してくれるものの、仕事が忙しく、両親をかまうことができません。 そんな中、老夫婦を慰めたのは戦死した次男の妻、紀子。紀子は仕事を休んで、2人を東京の名所へ案内します。 尾道へ帰郷して間もなく、とみが危篤であると電報が届き、子供達が実家へ着いた翌日に、とみは亡くなります。紀子以外の子供達は、葬儀が終わると慌ただしく帰ってきいき、周吉はとみの形見の時計を紀子に贈ります。映画史上に残る名ラストシーンは必見です。