2017年7月6日更新

沢田研二の曲を一気に紹介!

このページにはプロモーションが含まれています
沢田研二

AD

沢田研二のプロフィール

沢田研二は、1948年6月25日生まれ、京都府出身の歌手です。愛称はジュリー。17歳の頃に、アルバイト先のダンス喫茶で、コーラスグループ「サンダース」から声をかけられたことをきっかけに音楽の道を選びます。そして1967年、「ザ・タイガース」というグループ名でデビュー。沢田研二はボーカルを担当し、人気を博しました。 やがて、「ザ・タイガース」は解散。新たなバンド「RYG」への参加を経て、1971年にソロ活動を開始します。シングル「君をのせて」でデビュー。デビュー曲は、オリコンチャート最高23位と結果は思わしくなかったものの、1972年に発売したシングル「許されない愛」より人気を集めていきます。 奇抜なスタイルと演出は当時、大きな反響を呼びます。元祖ビジュアル系として多くの女性から熱狂され、社会現象にもなりました。 それでは、さまざまな年代から10曲を順に紹介します。

「時の過ぎゆくままに」【1975年発売】

1975年に発売されたシングル「時の過ぎゆくままに」。沢田研二自身が主演を務めたドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年)の挿入歌にも使われたバラード曲であり、最大のヒット曲にもなった作品です。 5週連続オリコン1位を獲得し、第6回日本歌謡大賞では放送音楽賞を受賞しました。

「勝手にしやがれ」【1977年発売】

1977年に発売されたシングルが「勝手にしやがれ」です。クリーム色のスーツと、パナマ帽というスタイルが特徴で、歌の途中にはパナマ帽を客席に飛ばすといったパフォーマンスでも話題となりました。 「時の過ぎゆくままに」に次ぐヒットセールスを記録し、第19回日本レコード大賞を受賞した曲です。

「カサブランカ・ダンディ」【1979年発売】

1979年に発売されたシングル「カサブランカ・ダンディ」。化粧や衣装から奇抜なスタイルを色濃く演出するようになった沢田研二。この曲では、口に含んだウイスキーを霧のように噴き出すといったパフォーマンスも加えられました。 26枚目となった本作は、軽快なポップス調の曲となっています。

「TOKIO」【1980年発売】

1980年に発売されたシングル「TOKIO」。電飾を付けたスーツに、パラシュートを背負うというスタイルが衝撃を呼んだ曲で、最も奇抜ともいえる演出をみせました。 観客も一緒に盛り上がる曲調であり、アップテンポな爽快さで大ヒットしました。

「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」【1981年発売】

1981年に発売されたシングル「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」。これもまた派手なメイクと衣装が特徴で、これまでに発売された曲よりもロックの雰囲気が強くなった作品です。 この曲は、オリコンチャート最高6位を獲得し、第23回日本レコード大賞の金賞を受賞しました。

「女神」【1986年発売】

1986年に発売されたシングル「女神」。阿久悠が作詞を提供した作品で、46枚目のシングルとなった歌謡曲です。 この曲は、沢田研二自身が出演したJALのCMソングとしても話題となりました。また、歌詞には、いかにも沢田研二らしい「ジュテーム」という言葉が使われ、曲中に連呼することも特徴となっています。

「HELLO」【1994年発売】

1994年に発売されたシングル「HELLO」。秋元康(作詞)と後藤次利(作曲)が初めてコンビを組んで制作・提供した曲で、別れをテーマにした作品です。 第45回紅白歌合戦でも披露され、独特のパフォーマンスはさすが沢田研二の健在ぶりを証明しました。

「サーモスタットな夏」【1997年発売】

1997年に発売されたシングル「サーモスタットな夏」。同名アルバムからシングルカットされた曲であり、ロック調で盛り上がる作品となっています。 ライブでも盛り上がる曲のひとつとなっており、観客との掛け合いや振り付けが多いことも特徴です。

「まごころよりどころ」【2001年発売】

2001年に発売されたシングル「まごころよりどころ」。沢田研二と松坂慶子のデュエットソングであり、「研二と慶子」名義でリリースされました。 この曲は、2002年に2人が出演したミュージカル映画『カタクリ家の幸福』の劇中歌として使われたムード歌謡曲。企画物という形で作られた楽曲であり、沢田研二唯一のデュエットソングになりました。

「渚でシャララ」【2010年発売】

2010年に、グループ・サウンズの「ザ・ワイルドワンズ」と沢田研二とで結成されたユニット「JULIE with WILD ONES」。発売されたシングルが「渚でシャララ」です。長年、沢田をプロデュースしてきた加瀬邦彦が、自分達が慣れ親しみ、元気になれる曲を作ろうと提案し、発売に至りました。 還暦を過ぎた沢田研二にとっても、ファンにとってもたまらない楽曲のひとつとなっています。