日活ロマンポルノで活躍した女優たちの現在
45周年を迎えた日活ロマンポルノとは?
日活ロマンポルノとは、1971年から1988年にかけて映画会社・日活が制作した成人映画レーベルのことで、計1100本もの作品が世に送り出されました。 1960年代後半から経営難に陥った日活は、低予算で利益が上がる”お色気”路線のジャンルを打ち出し、成人映画としての「日活ロマンポルノ」が誕生。制作時には様々な縛りがありましたが、谷ナオミら多くのスター女優が生まれ、芸能界へのステップとなることも多かったようです。 近年は復活の動きが見られ、45周年を迎えた2016年にリブートプロジェクトが発表されました。園子温など現代の5人の監督による完全オリジナル作品が、11月から2017年2月まで順次公開中です。 そこで今回は、日活ロマンポルノでかつて活躍していた女優たちのその後、現在についてまとめました。
飛鳥裕子
飛鳥裕子は、1995年7月6日生まれ、京都府京都市出身。本名の黒崎裕子名義で東映映画に出演後、日活ロマンポルノの大作『夢野久作の少女地獄』で、飛鳥裕子として主演デビューしました。 デビュー2年半後の24歳の時、『団鬼六・少女縛り絵図』ですでに高校生の息子がいる母親役を演じるなど、クールな美貌と大人の雰囲気が魅力の女優です。テレビドラマにも多数出演しており、『超電子バイオマン』で共演した俳優・黒崎輝と交際に発展し結婚しました。 1992年に芸能界を引退し、その後は沖縄県本部町のスキューバダイビングショップ「マザーアース沖縄」を夫婦で経営していました。しかし2012年2月、黒崎と親交の深い柴原孝典のブログで、2011年12月に飛鳥が死去していたと明かされました。死因は公表されていないようです。
東てる美
東てる美は、1956年8月12日生まれ、東京都板橋区出身。父の友人が、女優・谷ナオミのマネージャーだった縁で芸能界入り、ピンク映画を経て1974年の『生贄夫人』で日活初出演を果たしました。 谷とのコンビでSMものに出演後、次第にアイドル的存在へシフトしていき、1976年の『禁断 制服の悶え』でトップ女優の地位を確立することに。21歳という若さにして、『闇に白き獣たちの感触』で監督デビューを果たし、舞台やテレビドラマにも進出していきます。 1980年代以降は、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の小島邦子役で有名になりました。『特命係長只野仁』やNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』に出演するなど、現在も第一線で活躍する女優の一人。ポルノ映画引退後から、東京都内に漫画の古本店舗を開店し、実業家としても成功を収めています。
泉じゅん
泉じゅんは、1956年9月6日生まれ、東京都江戸川区出身。1976年、日活ロマンポルノ『感じるんです』の主役でデビューすると同時に、恵まれた美貌とプロポーションで人気を集めました。 一時は親に咎められ一般作品に出演するも、映画『犬神の悪霊』などで演技経験を積んだ後、1980年の『百恵の唇 愛獣』でロマンポルノに復帰します。美しいヌードを惜しげもなく披露することから、ポルノ女優の中でも一世を風靡した存在となり、主演作は軒並みヒットを記録しました。 テレビドラマにも多数出演しましたが、料理家・結城貢と結婚し芸能界を引退しました。現在は夫婦で、東京・新宿の会員制割烹料理「結城」を営み、結城の妻としてテレビ出演することがあります。
岡本麗
岡本麗は、1951年12月19日生まれ、長崎県佐世保市出身。役者を目指して上京後、劇団の養成所を経て日活に所属するも、映画界の斜陽化でロマンポルノに出演することになりました。 豊満な肉体と体当りの演技でデビュー作はヒットし、すぐに続編の制作が決定しました。岡本はポルノ女優としての道を歩み始め、『団地妻』シリーズや『むちむちネオン街 私たべごろ』などに出演。ロマンポルノの初期から終焉まで看板女優として日活を支え続け、やがて一般の映画やドラマに出演する女優へと転身し、成功しました。 一般作品では、映画『蒲田行進曲』やドラマ『はぐれ刑事純情派』シリーズが有名です。刑事ものやサスペンスを中心に、ドラマ・映画・舞台など幅広く出演し、現在も第一線で活躍しています。
小川美那子
小川美那子は、1962年3月4日生まれ、宮城県出身。高校在学中に、CMモデルとして活動をスタートし、1985年の日活ロマンポルノ『女子大寮・SEX覗きショック』で女優デビューしました。 SMものを演じられる存在として、団鬼六原作の『花と蛇 飼育篇』や『団鬼六 生贄姉妹』などに出演し、日活ロマンポルノの後期を支える女優の一人に。テレビドラマやVシネマにも出演し、女優業の傍ら作家デビューして以降は、官能とサスペンスが融合した作品を発表しています。 まさに”妖艶な”キャリアを築いた小川ですが、現在は新ビジネスとして結婚相談所「エンジェル・ハート」を開設、自らの経験を活かしたアドバイスを行っているようです。
風祭ゆき
風祭ゆきは、1953年8月15日生まれ、東京都出身。本名の吉田さより名義で女優デビュー後、日活からポルノ映画の出演依頼を受けるも一度は拒否し、1980年に風祭ゆき名義で『赤い通り雨』に主演しました。 知的な美貌とスレンダーな肢体を存分に活かして、主演作の『女教師 汚れた放課後』や『恥辱の部屋』を始め、数多くの名作や佳作に出演。『セーラー服と機関銃』など一般映画への出演も多く、ロマンポルノ終焉期の『ラスト・キャバレー』を最後に、一般映画やドラマ・舞台に活動の場を移しました。 現在も演技派女優として、映画・舞台・ミュージカルなどを中心に活躍しており、2016年9月から放送中のドラマ『忠臣蔵の恋~四十八人目の中心~』にもゲスト出演しています。
鹿沼絵里(えり)
鹿沼絵里(旧芸名はえり)は、1952年12月1日生まれ、東京都出身。特撮番組『秘密戦隊ゴレンジャー』のヒロイン役で注目された後、”演技の幅を広げるため”と、日活ロマンポルノ『時には娼婦のように』に出演しました。 妖艶な肉体と美貌で人気を集め、『修道女 黒衣の中のうずき』など多数の作品に出演、1970年代から80年代初めの日活を代表するポルノ女優に。一般映画やドラマでも活躍しましたが、1982年に共演者だった5歳下の俳優・古尾谷雅人と30歳で結婚し、芸能界を引退しています。 その後は子育てがひと段落した頃から、介護の仕事に長く従事していましたが、2003年に夫の古尾谷が自殺し多額の借金を引き継ぐことになりました。本格的に芸能界に復帰する傍ら、2003年から2010年秋までスナック「ルパン反省」を経営し、現在は介護ひと筋で生活しているようです。
清里めぐみ
清里めぐみは、1964年11月1日生まれ、埼玉県出身。山本千多枝という名で一般映画に出演後、清里めぐみと改名して映画『絶倫海女 しまり貝』に主演し、ロマンポルノデビューしました。 1985年から1987年にかけて、『オーガズム 真理子』や『強制ワイセツ犯 性魔』などに出演し、ロマンポルノの後期を代表する女優として活躍しています。主演作『はみ出しスクール水着』の監督を務めた、映画監督・滝田洋二郎との結婚を機に芸能界を引退、現在は芸能活動を行っていません。 2009年に、夫の滝田が『おくりびと』で第81回アカデミー賞・外国語賞を受賞しており、妻として授賞式に同行したと一部メディアで報道されました。
五月みどり
五月みどりは、1939年10月21日生まれ、東京都江戸川区出身。1958年の歌手デビュー以降、多くのヒット曲を生むも1960年に結婚し引退、離婚を機に復帰しタレント・女優として活動を開始します。 40歳を過ぎた1982年に、『マダム・スキャンダル 10秒死なせて』で主演を務め、日活ロマンポルノに初出演しました。若々しい肉体と大胆な演技が話題となり、熟女ヌードの先駆けとも言える存在に。1997年から2007年にかけては、バラエティ番組『伊藤家の食卓』の母親役で親しまれました。 これまでに3度結婚・離婚するなど、奔放な恋愛遍歴を辿ってきましたが、現在はマネージャー兼事務所の代表取締役・早見文泰と事実婚状態にあるとのこと。女優として常に第一線で活躍する一方、着物デザイナーや画家としても才能を発揮し、2017年春からはドラマ『やすらぎの郷』が放送予定です。
三東ルシア
三東ルシアは、1958年10月1日生まれ、神奈川県出身。1973年頃からCMモデルとして活動後、歌手・女優・バラエティの活動を開始し、1982年の日活ロマンポルノ『女教師 生徒の眼の前で』に出演しました。 その後も『性的犯罪』などに出演しましたが、1994年に大工を営む一般男性と結婚、1999年に一男をもうけるも2000年に離婚しています。2003年に芸能界に復帰し、アダルトメディア中心に活動を行うと同時に歌手活動も再開、2014年には40周年記念曲『日日草(~愛する息子へ~)』を発売しました。 また2013・2014年に『爆報! THE フライデー』へ出演し、事務所を離れ膠原病の治療中であること、シングルマザーとして息子を育てていることなどを公表。現在の様子は公式ブログでも知ることができ、2017年1月にシングルマザー協会のアンバサダーに任命されたと報告しています。
白川和子
白川和子は、1947年9月30日生まれ、長野県佐世保市出身。大学在学中に劇団に入り、ピンク映画『女子寮』で女優デビューと同時に大学を中退、1971年に日活からスカウトされ移籍しました。 経営難だった日活が路線変更して制作した、”日活ロマンポルノ”の第1作目『団地妻 昼下がりの情事』に出演し、同シリーズの人気でトップ女優に成長します。1973年2月にロマンポルノを引退、翌月に17歳年上の日活社員・小西俊夫と結婚したため、しばらく専業主婦の生活を送りました。 1976年から芸能界に復帰し、第一線で活躍する女優として、現在も映画やドラマに出演中。2009年にはお笑い芸人のジジ・ぶぅとコンビを組み、M-1グランプリに出場するなど、幅広く活動しています。
高倉美貴
高倉美貴は、1960年12月14日生まれ、石川県金沢市出身。越沢美紀という芸名でモデルデビュー後、1983年に日活から高倉美貴の芸名を与えられ、ロマンポルノで女優デビューしました。 無名モデルが主役に抜擢されるのは異例のことで、その後も『団鬼六 美女縄化粧』など団鬼六原作の作品に多く出演し、日活ロマンポルノ史に名を残す女優へ成長。契約終了によるロマンポルノ引退後は、一般映画への転身が期待されましたが、日活時代ほどの注目を浴びることは無かったようです。 1995年3月1日、タレント原田伸郎と結婚(原田は3度目)し、芸能界を引退しました。と言っても、芸能活動は休止状態にあるようで、原田の出演番組に妻として登場することがあります。
竹田かほり
竹田かほりは、1958年9月17日生まれ、東京都世田谷区出身。中学生でモデル活動を開始しします。1977年に女優デビューした後、1978年の『桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール』で日活ロマンポルノデビューしました。 主演を務めた『桃尻娘』シリーズは、1980年までの間に計3作が制作・公開され、竹田が持つ明るいお色気イメージで絶大な人気を博しました。その後も映画や刑事・サスペンスドラマを中心に活躍し、レビュラー出演した『探偵物語』では、マスコット的なポジションも務めています。 1982年に、ロックミュージシャンの甲斐よしひろと結婚、出産を機に芸能界を引退しました。
田中真理
田中真理は、1951年8月1日生まれ、東京都出身。高校在学中に日活と契約、1971年に『セックス・ライダー 濡れたハイウェイ』でロマンポルノに主演すると、新たな星として注目されました。 約1年半の間に16作に出演するも、主演作の『ラブ・ハンター 恋の狩人』などが”ワイセツ”として警視庁に摘発され、「日活ロマンポルノ裁判」を巡る騒動の中で日活を退社。時を置いて、テレビドラマや舞台で活動を再開しましたが、1980年代を最後に芸能界を離れています。 1980年は裁判の無罪が決定した年で、30歳になっていた田中は、映画に携わる男性と結婚しました。一人娘にも恵まれ、その後は主婦として家族と共に暮らす日々を送っているようです。
谷ナオミ
谷ナオミは、1948年10月20日生まれ、福岡県福岡市出身。1967年にピンク映画で女優デビューし、その後日活で1974年公開の団鬼六原作『花と蛇』に主演し、ロマンポルノデビューしました。 1979年の第2回日本アカデミー賞で、優秀主演女優賞を受賞した『団鬼六 薔薇の肉体』を始め、団鬼六原作のSM映画に数多く出演。このことから”初代SMの女王”と称され、日活ロマンポルノを代表する女優となりましたが、1979年の一般男性との結婚を機に引退しています。 引退後は夫の地元・熊本県に移り、レストラン事業や「スナック大谷」などの経営と離婚を経験、2013年に店を譲りおひとりさまを謳歌していたようです。近年では、2016年4月4日に起きた「熊本地震」に際し、被災者の一人として震災を乗り越えようとする姿を取材されました。
畑中葉子
畑中葉子は、1959年4月21日生まれ、東京都出身。1978年の歌手デビュー後、1980年に日活ロマンポルノ『愛の白昼夢』で女優デビューすると、清純派歌手のイメージとのギャップが話題になりました。 前年に結婚するも8ヶ月で離婚したため、清純派からの脱皮を狙っての出演でしたが、同年公開の『後から前から』とともに空前のヒットを記録します。歌手としても『もっと動いて』などの話題作を残すも、1991年に再婚・出産し、しばらくの間芸能界から遠ざかっていました。 その後、2011年4月に芸能活動を再開し、2014年からは歌手活動に専念しています。2016年に、『香艶的夜總會』以来33年ぶりとなる、オリジナル・アルバム、『GET BACK YOKO!!』を発売しました。
原悦子
原悦子は、1956年4月1日生まれ、新潟県新潟市出身。テレビCMやグラビアで活動した後、ピンク映画への出演を経て、日活ロマンポルノへと活動の場を移しました。 清純さと飾り気のない笑顔が話題となり、『おさな妻(1980年版)』など数々の作品が大ヒットを記録、若年層を劇場へ呼び込む新たな起爆剤に。元祖ポルノ・アイドル的存在で、「原悦子大明神」と称されるほどの人気を博し、日活ロマンポルノの黄金期を代表する女優の一人となりました。 芸能界引退後は、大学生向けフリー・ペーパーを立ち上げ、長らく編集長を務めるも休刊。原は学童保育の指導員の資格を取得し、現在はその方面で活躍しているそうです。
美保純
美保純は、1960年8月4日生まれ、静岡県静岡市出身。地元から上京し、広告代理店でアルバイトしていた所をスカウトされ、1981年の日活ロマンポルノ『制服処女のいたみ』で主演デビューしました。 1982年には、主演映画『ピンクのカーテン』でブルーリボン賞・新人賞を受賞し、このシリーズは3作目まで制作される人気作となりました。週刊誌のグラビアでは、”近所のお姉さん”というイメージで親しまれる一方、『男はつらいよ』シリーズなどの一般映画にも出演した人気女優です。 現在も映画やドラマで活躍しており、2016年はドラマ『世界一難しい恋』、映画『人生の約束』などの話題作に出演しています。またコメンテーターとして、バラエティ番組や情報番組『5時に夢中!』などにも登場し、ポルノ女優当時の裏話や思い出話をすることがあるようです。
宮下順子
宮下順子は、1949年1月29日生まれ、東京都出身。1971年に、日活ロマンポルノ『こうして私は失った』でデビューし、ロマンポルノを代表する女優の一人として有名になりました。 『団地妻』シリーズや『肉体の門』、ロマンポルノの傑作と名高い『赫い髪の女』に出演し、およそ10年に渡ってロマンポルノを支え続けました。その他テレビドラマでは、『火曜サスペンス劇場』や『土曜ワイド劇場』を始め、刑事ものや時代劇でも妖艶な悪女役を好演しています。 近年は大河ドラマ『八重の桜』、2016年公開の映画『さらば あぶない刑事』などに出演しており、現在も女優としてコンスタントに活動を続けています。
山本奈津子
山本奈津子は、1965年1月31日生まれ、千葉県出身。高校2年生で児童劇団に所属すると、高校を卒業した1983年に『セーラー服 百合族』へ出演し、日活ロマンポルノデビューしました。 共演の小田かおるとのレズシーンが好評を博し、1984年の『OL百合族 19歳』までの約1年間に、『宇能鴻一郎の濡れて打つ』など計8作に出演。看板女優の一人として活動後、1984年にアルバムをリリースし歌手デビューを果たしますが、1988年の結婚を機に女優を引退しました。 しかし夫婦生活は8年で破局を迎え、2003年に幼少期からの夢が結実したアロマテラピーサロンを、東京・赤坂に開業しています。2006年には映画『神の左手悪魔の右手』で女優に復帰するも、2007年以降の出演作は無く、現在はサロンの公式サイトも確認できません。