【ネタバレ注意】『RAW』食欲と性欲は、似ている。【レビュー】
『RAW 少女のめざめ』で描かれた、究極の愛とアイデンティティの構築【ネタバレ注意】
食欲と性欲は似ている。似ているというか、もはや同じです。酷くお腹が空いた時は、自分のどこかで性への渇望を感じる。お腹が膨れて動けないときには、セックスなんてしたくない。 食欲は生まれた時からあります。赤ちゃんの時からミルクを求めますよね。それは大きくなるにつれて、ぐちゃぐちゃした離乳食から野菜、そして“肉”へと変わっていきます。 一方で、少女が性欲に目覚めるにはまだ少し時間がかかります。しかし、一度それに目覚めてしまうと戻ることは出来ません。この映画の主人公ジュスティーヌのように。
【あらすじ】ベジタリアンな少女が獣医学校に入学
ジュスティーヌは、ベジタリアンな生娘。母親は彼女が“絶対”肉を食べないように気を遣っています。そしてそんな彼女は両親、そして姉を追うようにして獣医学校に入学するのでした。ルームメイトはホットなゲイ。まだ一度も経験のない彼女は、彼の奔放な性生活を垣間見る度に戸惑います。 そして、彼女ら新入生はどんな学校にもある(?)洗礼を受けます。そこで、彼女は生の動物の臓器を無理矢理食べさせられるのです。それから身体が痒くなり、身体の皮膚が剥けたり、まるで“何か新しい生き物になるための脱皮”のような、症状に悩まされるジュスティーヌ。次第に肉を食べたい、という欲求が生まれて人目を忍んで肉料理を食べるようになります。その肉は調理したものから、生肉へ……。
主人公“ジュスティーヌ”の名前の由来
今作の主人公、ジュスティーヌという名前は、彼のサド伯爵の著作『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』が由来となっていると監督のジュリア・デュクルノーは話しています。このジュスティーヌは幼い頃から修道院で育てられた純真な娘なのですが、性的な対象となり幾度も辱められる事になります。しかし、彼女はそこに喜びを覚えて……。 実はこのジュスティーヌにも、『RAW』と同様にジュリエットという奔放な姉がいます。彼女も同じ修道院で育ったのですが、淫蕩と悪辣の限りを尽くして後に伯爵夫人の座にまで登りつめます。ここから、名前だけでなく、姉妹の立ち位置に関してもこの作品が大きなモチーフになっている事が伺えますね。
少女の性への目覚めは、“食”への目覚めへ……
ジュスティーヌが食肉に目覚めた頃、同じように性に対する意識に変化が現れます。今まではパーティーに行くにも、おどおどしたり、男を知る事に興味を持たなかったり、タジタジだった彼女が姉のワンピースを纏い、赤いリップを唇に塗るようになるのです。端的に言うと、女が赤いリップをつける時は“戦闘モード”になった時です。赤い唇は性を仄めかす象徴として描かれる事が多く、音楽に乗って踊りながら鏡にキスをするシーンは、自分に女性としての自信を持てなかった彼女に初めてナルシシズムが芽生えた瞬間でした。 そして、ゲイであったルームメイトのアドリアンの事も“男”として意識しはじめるのです……。
主演ギャランス・マリリエちゃんの怪演が素晴らしい!
さて、今作の主演を務めたフランスはパリ生まれのギャランス・マリリエ。彼女がまあ、素晴らしい。その表情や、仕草、佇まいは幼いルックスなのに、どこか成熟している。そんな戸惑いを我々に感じさせます。彼女は実は同監督の過去作品にも出演しているのですが、好きな監督がデヴィッド・クローネンバーグという時点でその怪演ぶりに納得がいくと言いますか、変態だなあと思う。そして、デヴィッド・リンチ監督もお好きという事で、その演技や映画に対する真摯な姿勢にも納得がいくのです。
【ネタバレ注意】冒頭の事故シーンの真相
さて、ここからの内容は映画のネタバレになるのでご注意を。カニバリズムに目覚めた妹に気づいた姉のアレックスは、彼女を学校から離れた、人気のない車道まで連れていきます。『RAW 少女のめざめ』は、とある少女が突然脇道から飛び出して交通事故を引き起こし、事故車に近づいた冒頭シーンが印象的なのですが、この少女はアレックスだったのです。 そう、何を隠そうアレックスもジュスティーヌと同じく人肉を食していたのです。そこで、彼女は妹に手本を見せるように車の前に飛び出して事故を起こします。そこで死亡した車内に乗っていた人の血を啜る姉を見て絶句する、ジュスティーヌ。人肉を欲する気持ちを抑えながら、自分はそれに手をつけずに彼女を軽蔑してその場を立ち去りました。 ただ、お腹がすいて仕方ない。余談ではありますが、ジュスティーヌちゃん、「人を殺したりするのは嫌だけど、やっぱりちょっと食べたいな」なんて、キスしてきた男の子の唇を喰いちぎってモグモグ食べたりなんかします。
【ネタバレ注意】歪ながらに究極な、姉妹の愛
今作のテーマは、『フルメタル・ジャケット』も青ざめる程の新入生いびりや、ジュスティーヌの家庭といった“倒錯したシステム”の中で構築するアイデンティティ、そして究極の愛です。そこで注目すべきなのは、彼女と姉の間における歪な姉妹愛。 ジュスティーヌとアレックスは、先述の通りかなり対照的な存在として描かれています。しかし、お互いをとても愛しているのです。例えば、姉はパーティーに行く妹のために自分の服を貸してあげたり、何かと気にかけてあげます。些細な事ですぐ激しい口論になり、喧嘩になるも、他人のそれとは違いすぐに何事もなかったかのように仲直りしているのも、リアルな姉妹の関係性が伺える場面です 愛とは、赦しです。 アレックスは自分が事故で失った指を、カニバリズムに目覚めた妹が食べているのを目撃する。しかし、それを隠し、許しました。彼女が赦したのは、それに対する“理解”があったからでした。 相手の顔を喰いちぎったり、互いの手首に噛み付いたりと、血まみれになるまで激しく争う喧嘩をしても、互いを殺す事ができなかったあのシーン、そして映画の衝撃的なクライマックスシーンで、妹のジュスティーヌが姉に対してとった行動にこそ、究極の愛が描かれていると言えます。
【ネタバレ注意】衝撃な結末、ジュスティーヌの秘密が明らかに。
クライマックスの衝撃は、ラストまで続きます。とある出来事で離ればなれになってしまったアレックスとジュスティーヌ。姉を寂しがるジュスティーヌに父親が語る、“自分が貫いた究極の愛”と衝撃の真実とは……。 今作はホラー、カニバリズム映画の枠を超えた、メタモルフォーゼ(変容)を描いた作品として是非観ていただきたいです。ちなみに、この映画を観終わると「お肉が食べれない……」という意見が多いのですが、私は試写後、むしろ「赤肉食べたい……」と、“内なる衝動”に掻き立てられるかのように、美味しいワインとお肉の店にそそくさと入っていきましたとさ。