2026年8月3日更新

橋口亮輔 監督生涯ベスト映画3選―「スター・ウォーズ」の思い出と人生を救った名作【『ハッシュ!』『ぐるりのこと。』4K公開記念】

このページにはプロモーションが含まれています

名匠・橋口亮輔監督の代表作『ハッシュ!』『ぐるりのこと。』が、4Kリマスター版として2026年7月24日(金)より公開に。この公開を記念し、橋口監督に“映画”をテーマにインタビューを実施しました。 ゴジラやガメラに夢中だった幼少期、「スター・ウォーズ」、そして「自分にしか作れない映画」を探し始めた学生時代――。監督の歩みをたどりながら、生涯ベスト映画を3本選出いただきました。 選ばれたのは、いずれも監督の人生の節目に深く結びついた作品ばかり。作り手としての“原点”になった1本、うつの日々に「溺れる者がつかむ藁」のように救ってくれた1本、そして失いかけた気持ちを取り戻し、人生を捉え直させてくれた1本――。その選出の理由に、橋口監督の作家性と、人間そのものへのまなざしが色濃くにじみ出ています。 ※インタビュー取材の模様を撮影した動画コンテンツをYouTubeのciatr/1Screenチャンネルで公開中!

映画『ハッシュ!』『ぐるりのこと。』作品概要

公開2026年7月24日(金) ※『ハッシュ!』『ぐるりのこと。』4Kリマスター版
監督・脚本橋口亮輔
出演(『ぐるりのこと。』)リリー・フランキー , 木村多江 ほか
公式サイト公式サイトはこちら

『ハッシュ!』は、ゲイのカップルとひとりの女性が、それぞれの孤独を抱えながら新たな家族のかたちを模索する姿をユーモラスに描いた一作。2001年のカンヌ国際映画祭監督週間に出品され、国内外で高く評価されました。 『ぐるりのこと。』は、法廷画家のカナオ(リリー・フランキー)と妻・翔子(木村多江)夫婦の約10年間を通して、喪失や再生、誰かに寄り添うことの尊さを見つめた名作。日本アカデミー賞最優秀主演女優賞をはじめ数々の映画賞に輝きました。他者と関わることの難しさを抱えながらも、それでも誰かと生きようとする人々の姿を丁寧にすくい上げた2作品が、四半世紀の時を経て4Kの美しい映像で蘇ります。

『ぐるりのこと。』作品インタビューはこちら

橋口亮輔監督が選ぶ生涯ベスト映画3選

幼少期の特撮体験から映画監督への道、そして幾度もの人生の転機——。橋口監督が選んだ生涯ベスト映画は、いずれも自身の人生の節目に深く結びついた3本でした。

生涯ベスト映画①『抵抗 - 死刑囚は逃げた』(1956)

大阪芸術大学に通っていた頃、周りはみんな個性豊かに映画を作っていて、自分には何もない、個性も才能もない平凡な人間だと思い込んでいた時期がありました。そんなとき、梅田のピカデリーでヌーヴェルヴァーグの作品と併映されていた「抵抗」を観て、大きな衝撃を受けました。 それまではハリウッド映画や『サウンド・オブ・ミュージック』のようなものが映画だと思っていたのが、この作品は本当に削ぎ落とせるだけ削ぎ落とした文体で。人間そのものの魂を、余計な要素をすべてそぎ落として描いている——そんな感覚を受けました。 こんなに美しい映画があるのかと。あれが自分の原点だと思います。あんな風に人間を捉えたいという願望は、今でも自分のなかにあります。

作品概要

1956年に公開された、ロベール・ブレッソン監督によるフランス映画。第二次世界大戦下、ナチス占領下のリヨンで収監されたレジスタンス活動家アンドレ・ドゥヴィニーの実体験をもとに、死刑判決を受けたフォンテーヌ中尉が脱獄を準備していく過程を描きます。 誇張した演技や説明的な描写を排し、手の動きや足音、扉を削る音といった細部を緻密に積み重ねる禁欲的な作風が特徴。脱獄の手順を静かに追いながら、自由への意志と、他者を信頼することの重みを浮かび上がらせた傑作です。

生涯ベスト映画②『地球防衛軍』(1957)

『ハッシュ!』を撮り終えて公開した頃、ちょうど家庭用プロジェクターが出始めた時期でした。ふだんはお金を使う人間じゃないんですが、ようやく一つの仕事から解放されたと思って、思い切ってプロジェクターを買ったんです。 そのとき一番最初に手に取ったソフトが『地球防衛軍』でした。特撮ファンでありながら、実はそれまで観ていなかったんですよ。観てみたら、こんなに楽しい映画があるのかと。 アナログ特撮のありとあらゆるテクニックを、これでもかというほど惜しみなく使ってくれていて。山崩れも津波も、とにかくいろんなことをやっている。41歳で初めて観たのですが、子どもの頃に観ていたらどれほど衝撃を受けただろうと思いました。 その後、僕はうつになってしまって。どうなってしまうんだろうと不安な日々のなかで、繰り返し繰り返し観続けたのが『地球防衛軍』でした。僕にとっては、溺れる者がつかむ藁のような存在だったんです。 だからこそ自分を救ってくれたこの映画を生涯のベストと言っていこうと心に決めました。面白いし、楽しいし、本当に救われました。

作品概要

1957年に公開された、本多猪四郎監督・円谷英二特技監督による東宝のSF特撮映画。原水爆によって故郷の惑星を失った宇宙人ミステリアンが地球への移住を企て、人類との攻防が繰り広げられます。 ロボット怪獣モゲラや巨大兵器マーカライト・ファープなど、独創的なメカと迫力ある特撮表現が見どころ。壮大な戦闘を描きながらも、核兵器がもたらす破滅への警告と、危機を前に世界の科学力を結集する人類の連帯を描いた、本多監督らしいヒューマニズムに満ちた一作です。

生涯ベスト映画③『二十四の瞳』(1954)

3本目もまた、人生の転機となった映画です。『ぐるりのこと。』を撮ったあとにいろいろなことがあって、46歳の頃、映画を作るモチベーションも、何かを信じたり伝えたりする気持ちも、一切合切失ってしまったんです。作り手としても人間としてもダメだと思うほどでした。 そんなとき、もう一度だけ映画に向き合ってみようと引き受けた最初の仕事が、『二十四の瞳』のブルーレイ用の新しい予告編を作る仕事でした。ちょうど木下惠介監督の生誕100年を記念する年で、特典映像の撮影のために舞台となった小豆島を訪れ、ゆかりの地を案内するナビゲーターも務めました。 学生時代、大阪芸大で「木下惠介がいい」と言うと、「軟弱だ」「女々しい」とさんざん馬鹿にされたものでした。語るなら大島渚を、今村昌平を、という空気があって。でも仕事のために改めて観直したら、「いやいや、これはとんでもない」と。人間に、人生にこれほど厳しく向き合っているからこそ、この美しさがあるんだと初めて分かったんです。 自分自身がどうしようもない体験をくぐり抜けたあとだったからこそ、本当の意味で共感できた。人の苦しみや人生の厳しさとはこういうことなのかと、もう一度自分の人生を捉え直すことができました。お涙頂戴なんて安易なものではまったくない。それが理解できて、本当によかったと思っています。

作品概要

1954年に公開された、木下惠介監督が壺井栄の同名小説を映画化した日本映画の名作。小豆島を舞台に、新任教師・大石久子(高峰秀子)と12人の教え子たちが、1928年から終戦の翌年まで歩んだ18年間を描きます。 穏やかな日常や美しい瀬戸内の自然を抒情的に映し出しながら、戦争が教育や家族、そして一人ひとりの人生にもたらした傷を静かに浮かび上がらせる。時代を超えて語り継がれる、日本映画史に残る不朽の名作です。

【映画の原体験】ゴジラやガメラに夢中だった幼少期

ゴジラ、映画、1954
TM & © TOHO CO., LTD.

Q. 映画の原体験についてお聞かせください。 橋口監督 幼少期は、もうゴジラやガメラですよね。当時はテレビでも盛んに放送していましたし、特撮が昔から好きだったので、それこそ『大魔神』とか、テレビで全部観たという感じです。 だんだん成長して中学くらいになると、NHKなどで白黒の映画、たとえば『荒野の決闘』や『ローマの休日』といった作品をノーカットで流すようになって。そういうものもしっかり観ていましたね。

【映画にのめり込んだきっかけ】両親の別れと「スター・ウォーズ」

スター・ウォーズ 新たなる希望
© 2018 & TM LUCASFILM LTD. ALL RIGHTS RESERVED © DISNEY.

Q. 映画にのめり込んだきっかけをお聞かせください。 橋口監督 のめり込んだきっかけは、やっぱり両親が別れたことが一番大きいです。ちょうど中学くらいの多感な時期で、何か自分がつかむものが欲しかったんです。そんなときにたまたま出会ったのが「スター・ウォーズ」でした。

「スター・ウォーズ/新たなる希望」(エピソード4)、タトウィーン
© 1977 & TM Lucasfilm Ltd. Presentation licensed by Disney Concerts in association with 20th Century Fox Film Corp, Lucasfilm and Warner/Chappell Music. © All rights reserved.

1977年にアメリカで公開されて、当時「ROADSHOW(ロードショー)」と「SCREEN(スクリーン)」という映画雑誌があったんですが、そこにルーク・スカイウォーカーが砂漠に立っているような写真が載っていて。 当時のSFは核戦争で地球が崩壊するようなペシミスティックな作品が多かったので、これもそういう映画だろうと思っていたら、その写真がとにかく魅力的で。2誌を交互に買っては眺めるうちに、オードリー・ヘプバーンやカトリーヌ・ドヌーヴといった人がいることも知って、映画をどんどん観るようになりました。

未知との遭遇
© 1977, renewed 2005, (c) 1980, 1998 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

日本公開の少し前には『未知との遭遇』が先に公開されて、ラストの小型UFOが乱舞するシーンを観て、映画ってなんてすごいんだろうと感動して。自分もSF映画を8ミリで撮ってみようと思うようになりました。両親が別れていたぶん、心の隙間を埋めるように映画にのめり込んでいったんだと思います。

【「スター・ウォーズ」との意外な関係】淀川長治さんに叱られた思い出

Q. 作風から受ける印象とは少し異なり、橋口監督が『スター・ウォーズ』をお好きだというのは意外でした。 橋口監督 これを言うと、昔、評論家の淀川長治先生に同じ質問をされたことがあって。「なぜ映画を好きになったの」と聞かれて「スター・ウォーズ」だと答えたら、「そんなことを言っているからダメなのよ」と、めちゃくちゃ叱られたことがあるんです(笑)。

その後、ジョージ・ルーカスが手がけた3部作の3作目にはいたく感動しました。代替わりして新しい監督が続きを作ると聞いて期待もしましたが、僕自身が追っているのは女性が主人公になった1本目くらいまでで。そこから先のスピンオフはもう追い切れないですね。

【映画監督を志したきっかけ】大阪芸大で気づいた「自分にしか作れない映画」

Q. 映画監督を志したきっかけをお聞かせください。 橋口監督 自主映画は作っていたんですが、当時は『ベン・ハー』や『風と共に去りぬ』『サウンド・オブ・ミュージック』のような、ハリウッドの大作こそが映画だというイメージがありました。だから自分の作家性なんて一切考えず、なんとなく映画を作ろうという程度で、大阪芸術大学に進むことになりました。 大学に入ってみると、人形アニメを作っている人、実験映画をやっている人、トレンディードラマ風のものを作る人、ヤクザ映画や私小説のような作品、ドキュメンタリー……本当にいろんな映画があるんだと初めて気づきました。そこで、じゃあ自分にしか作れない映画って何だろう、と見つめ始めたのが出発点でしたね。

【SF作品への挑戦】ロメロ監督に衝撃を受けて撮った8ミリ映画

Q. 当時、SF映画に挑戦されたことはあったのでしょうか。 橋口監督 ジョージ・A・ロメロ監督の『クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』が深夜枠で放送されていて、ドキュメンタリーのようなタッチで人がどんどん狂っていく話なんですが、これに本当に衝撃を受けて、「これを作ろう」と思ったんです。 それで、宇宙から飛来した隕石が、細菌を運んでいた軍のジェット機にぶつかって、村の麓にいた青年たちが次々と変貌していく——そんなSFを、1作目として8ミリで撮りました。

【映画を観る頻度と作品を選ぶ基準】朝、テレビをつけて名作と再会する

Q. 映画を観る頻度と、鑑賞する作品の選び方をお聞かせください。 橋口監督 作り手でありながら、最近は映画館に足を運ぶ頻度が減ってしまって、ほとんどは配信やケーブルテレビで観ています。日本映画専門チャンネルなどが無料で観られるので、朝起きてスイッチを入れると名作をやっていることがあって。この間も『美しい夏キリシマ』を、観ていなかったので最初から最後まで観てしまいました。昔の映画を観て改めて感動する、そういう時間が嬉しかったりします。 以前は、ぎゅっと濃密なシリアスな人間ドラマや、特撮ものを片っ端から観ていました。今はその頻度は減りましたが、常に刺激を受けて創作に生かそう、というような気負った観方はもうあまりしていませんね。

【映画監督として一番幸せな瞬間】立てないほど疲れた現場で、泉のように湧いたエネルギー

ぐるりのこと。
©2008 『ぐるりのこと。』プロデューサーズ

Q. 映画監督として一番幸せな瞬間についてお聞かせください。 橋口監督 監督の仕事は、企画、脚本、キャスティング、撮影、編集、宣伝と、いろんな工程に分かれています。脚本を書き上げたときも「自分は天才かもしれない」とアドレナリンが出てくるのですが、やっぱり一番楽しいのは現場ですね。 『ぐるりのこと。』は撮影が3ヶ月に及んで、僕の現場で一番長かった。2ヶ月で体重が10キロ落ちて、最後の1週間は日活に法廷のセットを組んで、毎日違う裁判のシーンを撮っていました。その頃にはもう、何かにつかまらないと立てないほど疲れ切っていたんです。 そんなとき、加瀬亮さんが現場にいらして。「加瀬くん来てしまった……」と。もう一回テストだけやって、また表で休もう——そんなつもりでテストを始めたんです。 ところが、加瀬さんのお芝居が素晴らしかった。「こんな芝居を持ってきたのか」と思った瞬間、あれほど立てなかったのに、体の中からエネルギーが泉のように湧いてきて、そこから6時間ノンストップで撮影しました。ホテルに帰っても興奮して眠れず、早く現場に行って撮りたいと思っていました。 役者さんが思いもよらない芝居をしてくれる。すると、こちらも「これもやってみよう」とエネルギーが湧いて、いくらでも撮れる状態になる。ベテランの照明技師・矢部一男さんが「光はどうにでも作るから、好きなように撮ってくれ」と言ってくださったりもして。 自分の想像を超えた思いもよらない場面が撮れる——この仕事をやっている喜びとはこういうことなのだと確かに感じた瞬間でした。

▼取材・文:増田慎吾