「和製ブリジット・バルドー」と呼ばれた加賀まりこ
ある大女優の若き日の写真「美人すぎる!」と、今ネットで話題になっています。
仔猫のような可愛らしく、知的で大胆加な加賀まりこは、かつて「和製ブリジット・バルドー」といわれ多くの男性を虜(とりこ)にしました。
マリリン・モンローと並び称されるブリジット・バルドー
女優ブリジット・バルドーは、マリリン・モンローと並び評される、20世紀のヨーロッパを代表する「セックスシンボル」です。フランスでは「BB」の愛称で親しまれていた存在でした。
ブリジット・バルドーは、雑誌のカバーガールとして活躍していた頃、映画監督ロジェ・ヴァディムのすすめで女優へ転身。『素敵な悪女』では男たちを翻弄する小悪魔ジュリエット役を演じたことで人気に火が付きます。その後も『殿方ご免遊ばせ』や『月夜の宝石』に出演すると世界的な「セックスシンボル」として注目をあつめました。
では、加賀まりことはどのような人物なのでしょうか。女優としての黄金時代を振り返ってみたいと思います。
芸能一家で育った加賀まりこ
加賀まりこは、1943年東京都神田の小川町で生まれました。映画会社「大映」のプロデューサーであった父 加賀四郎と、母 寿江の3人兄弟の末っ子として成長していきます。
父方の伯父加賀二郎は、映画制作会社松竹の常務。
また音楽バラエティ番組『シャボン玉ホリデー』のカバーガールをつとめた加賀美知子、そして女優の岸雅子は従姉妹にあたります。
ちなみに伯父の加賀一郎は、オリンピック陸上選手でした。アントワープオリンピックに100mと200mの日本代表として出場した経験をもっているんです。
このような華やかな家庭環境が進歩的で早熟な少女をつくりあげていきました。
子供の頃からおませさん
小学生のころから読書好きな加賀まりこは、神田神保町にある古本屋街に通う知的な文学少女でした。
お小遣いで購入した愛読書は、澁澤龍彦が翻訳した『マルキ・ド・サド選集』というから、都会的なおませなぶりには驚きを隠せません。
加賀まりこは幼い頃からファッション感覚に優れていました。小学生の時、ひとりランドセル姿で『ローマの休日』を観に行き、主演のオードリー・ヘップバーンに魅了されたそうです。
鑑賞し終るとすぐに、誰にも相談せず新宿伊勢丹の美容院に行き、「オードリーカット」の注文したんだとか。長い髪をばっさり切り、見事当世風美少女に変身。大胆かつ美的センスを熟知したおしゃまな子どもでした。
小悪魔的魅力で大ブレイク!
1960年、高校在学中の加賀まりこをスカウトしたのが、松竹ヌーベル・ヴァーグ旗手といわれた映画監督の篠田正浩と、「天井桟敷」という実験的な劇団を主宰した劇作家の寺山修司だといいます。
また芸名「まりこ」は、写真家の秋山庄太郎が明るいイメージにと命名しました。
ぱっちりとした大きな瞳、ふっくらした唇、ローリータ好みにはたまらない仔猫のような愛らしさ。それでいて、大胆で奔放なセクシーさがあり、内面は育ちのいい気品と知性がある。そんな矛盾した魅力をもつ女性を当時のインテリたちが見過ごすはずがありません。
加賀まりこが、ノーベル文学賞を受賞した川端康成に溺愛されたことは有名な話です。
これだけ一流の人々に見出された、彼女の美貌と演技力はどれほどだったのでしょうか。
加賀まりこ『月曜日のユカ』(1964)
新人女優として松竹と契約を結びデビューをしましたが、いち早く若者文化を取り込んでいた日活映画にハマり、松竹の女優でありながら日活映画の主役を演じるという異例の出来事がおきました。
加賀まりこの持ち味である小悪魔的なキャラクターと、強気で「生意気」と一部からはレッテルを貼られる存在感が、奇才といわれた日活映画の監督中平康と見事にマッチングをしたのです。
1962年に初期の代表作となった映画『月曜日のユカ』は、彼女の魅力にあふれています。当時の映画評論家からは、『月曜日のユカ』の斬新な映像表現のスタイルは、「フランス映画の雰囲気」と評価を受けました。
女優の原石から「和製ブリジット・バルドー」と呼ばれるようになると、男性たちのあいだでは60年代の小悪魔ガールとして大ブレイクしました。
人気女優の地位を捨て突然フランスへ!
すでに人気に火がついた20歳の加賀まりこは、次々に仕事のオファーが舞い込んできます。しかし、自由奔放に育ってきた彼女にとっては、その忙しさは「自由」の代償に感じるようになりました。
そこに追い打ちをかけたのは、加賀まりこの人気にあやかりたい女性週刊誌でした。過激な見出しと、一方的なイメージだけの心ない記事を次々に掲載します。
彼女は芸能活動に嫌気がさしてしまい、突然半年先までスケジュールをすべてキャンセルし、単身 芸術の都 パリに遊学という驚きの行動に出るのです。
フランスでは、ファッションデザイナーのイヴ・サン=ローラン、ヌーベル・ヴァーグの旗手であったフランソワ・トリフォー監督、ジャン=リュック・ゴダール監督、小説家のフランソワーズ・サガンたちと交流を深めていきました。
劇団四季「オンディーヌ」に出演!
パリを豪遊中の加賀まりこに、劇団四季の浅利慶太から舞台「オンディーヌ」に主演のオファーが舞い込みます。
文学少女だった彼女は、名戯曲の出演に興味を惹かれて快諾します。すぐに日本への帰国を決意して、舞台の主演に全神経をそそぎました。
パリでの体験とそこでの人物観察を活かし、圧倒的な存在感で観客を魅了すると、舞台は幕開けから連日大入りの大評判となりました。そして舞台は日生劇場はじまって以来のロングランの大成功をおさめました。
未婚出産、加賀まりこの私生活
「オンディーヌ」の成功によって実力派女優の仲間入りを果たした加賀。そんな折り、人気女優となっていた28歳のときに、未婚の母として出産を決意します。
それは「シングルマザー」という言葉すらない時代では、人生をかける覚悟を伴うことでした。
ほどなく「未婚の母」という話題は世間に大きな衝撃を与えます。そしてまたも女性週刊誌が飛びつき、彼女は一夜にして渦中の人になってしまうことに。マスコミはこぞって真相のない噂をとりあげ、父親をめぐって人気歌手や俳優を様々に取り沙汰しました。
加賀まりこの家族たちは、彼女のリベラルな考え方を尊重して出産をサポート。しかし、残念ことに出産した女の子はわずか4時間でこの世を去っていきました。
昔の眉毛は普通?加賀まりこの画像まとめ
加賀まりこは、TBSドラマ『花より男子』のなかで、財閥を取り仕切る道明寺楓役を演じました。息子である御曹司の道明寺司が、貧しくも温かい家庭に育った牧野つくしとの交際に猛反対をするという憎まれ役を熱演します。
ジャーニーズに所属するアイドルグループ「嵐」の松本潤が、道明寺司役を演じたことで、加賀まりこという大女優を知らない世代にも知られるようになりました。
本作での彼女の憎たらしい表情に注目してみましょう。実はこの時「眉毛の左右の位置がおかしい」とネットに書き込みがされ話題となったことがありました。
こちらは『5→9 ~私に恋したお坊さん~』の加賀。なるほど演技中の加賀まりこはその役柄のせいか左右が大きく歪んでいるようにみえます。
しかし実際の写真をみると、それほど左右非対称でもないように思います。
昔の写真をみると、左右対称の様子がよくわかります。
実はこれ、今まで彼女が培ってきた演技の賜物なのです。
自分では、眉毛を上に動かしているつもりでも、実際はたいして動いて見えなかったりするものです。 実は、顔の表情筋は、日頃から鍛えていないと、全く機能しないんです。 反対に、毎日鏡の前でトレーニングを続ければ、自然と表情筋が鍛えられ、様々な表情をつくることができるようになります。(中略) たまに、悪役などをやられている俳優さんや女優さんが、片方の眉毛をあげて、口角をあげて笑い、何か企んでるような表情をするときがありますが、この表情は実際やるのはとても難しく、日頃からこのような練習をしてないとなかなかできません。引用:narrow.jp
役になりきることに情熱を注ぐ彼女とっては、まさに思惑通りといった感じなのでしょうね。
例えるならヴィヴィアン・リーという女優は、『風と共に去りぬ』のスカーレット役で歴史に名を残しました。スカーレットの気位の高さ、意志の強さ、人を見下すとき、右の眉がきりりと上がります。絶世の美女と謳われたヴィヴィアンの「アシンメトリー(左右非対称)」が演技力に厚みをもたらしました。
そう、表情が自在に動かせるというのは演技が豊かな証拠なのです。
現在の加賀まりこ
現在も加賀まりこは活躍ぶりは健在です。
2013年には第68回毎日映画コンクール俳優部門・田中絹代賞受賞、2014年には日本映画批評家大賞・ゴールデングローリー賞受賞するなど、大御所女優としての注目度は高いようです。
一方で、2011年には肺炎予防大使に就任します。またスポーツニッポン紙面にて「我が道」を連載するなどエッセイの執筆など女優以外での活動にも積極的にチャレンジをしています。
この中には自伝として半生を振り返れるほどの国内外の有名人たちとの交遊、かつて女性週刊誌をにぎわせたエピソードも数多くあります。
2015年10月には、飯田橋ギンレイホールで「神楽坂映画祭 〜加賀まりこ&森田芳光スペシャル〜」がおこなわれ、加賀まりこの自薦作品、『美しさと哀しみと』(1965)『泥の河』(1981)『麻雀放浪記』(1984)の3本がスクリーンで再上映されました。
彼女の黄金時代の姿を一目見ようと、かつて同時代を過ごしたシニアファンに混じって、若い世代のファンも駆けつけました。
新たなファンが注目した「加賀まりこの若い頃が美しすぎる」その訳とは、ひとりの女性としてリベラルな生き方を貫いて生きてきた思想や、他人に媚びず、心ない噂や差別的な偏見に動じない哲学があるのではないでしょうか。
天分の美貌のみならず、嫌われる勇気をもって生き方をつらぬく強さと、ひとりの女性として生き方に「責任」をもつ美しさへの憧れなのかもしれません。