2018年3月30日更新

涙あり!笑いあり!アカデミー史上に残る授賞式の名・珍場面20選

このページにはプロモーションが含まれています
アカデミー賞
menu icon

タップできる目次

AD

1.ハティ・マクダニエル:アフリカ系アメリカ人として初の快挙!?

1940年、第12回アカデミー授賞式の中で歴史的な瞬間が生まれています。『風と共に去りぬ』でハティ・マクダニエルが助演女優賞を獲得、アフリカ系アメリカ人として初の快挙でした。彼女の感動的なスピーチは全米の人々の胸を打ち、歴史が刻まれた瞬間となりました。

2.マーティン・スコセッシ:名監督たちが祝福!?

『タクシー・ドライバー』など、数々の名作を残してきたマーティン・スコセッシが初めてオスカーを獲得したのは、2007年の『ディパーテッド』でのことでした。 1980年、『レイジング・ブル』で初めてオスカーにノミネートされて以来、4度アカデミー監督賞にノミネートされましたが、受賞には至りませんでした。 スコセッシの親友のフランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグが壇上に上がり、監督賞受賞者の名を読み上げたこともあり、第79回アカデミー賞授賞式は多くの人の記憶に残る素晴らしい受賞式になりました。

3.クリストファー・リーブ:車いす姿で会場に登場!?

スーパーマンとして知られる俳優クリストファー・リーブは、1995年の落馬事故によって、首から下が麻痺し、俳優を引退することを余儀なくされました。 1996年、第68回アカデミー賞授賞式に、クリストファー・リーブが車椅子で登場、映画における社会貢献の重要性を語るスピーチを届け、会場は感動の渦に包まれました。

4.ウディ・アレン:アカデミー授賞式初登場!?

『アニー・ホール』などで知られるウディ・アレンは俳優、監督、脚本家として何度もアカデミー賞にノミネートされてきましたが、授賞式に姿を現すことはありませんでした。 しかし、2001年、アメリカ同時多発事故が起きたことで状況は変わりました。同時多発テロが起きたニューヨークはウディ・アレンの出身地でもあり、数多くのウディ・アレン映画の舞台となった場所でした。 2002年、アカデミー授賞式にウディ・アレンが初めて登場、アカデミー会員たちはスタンディングオベーションで彼を迎えました。 ウディ・アレンは独特のユーモアを交えてニューヨーク愛を語り、感動的なスピーチを会場に届けました。

5.グウィネス・パルトロー:アカデミーの歴史に刻まれた感動スピーチ!?

『恋に落ちたシェークスピア』(1998)でアカデミー賞主演女優賞を獲得したグウィネス・パルトロー。1999年、第71回アカデミー賞授賞式で、グウィネス・パルトローはアカデミー賞の歴史に残る感動的なスピーチを行っています。 彼女が、共に主演女優賞にノミネートされていたメリル・ストリープに最大の敬意を示した後、声を震わせながら母親に感謝を述べた瞬間は、まさに全米が泣いた瞬間です。

6.ヒース・レジャー:亡き息子のために家族が登壇!?

『ダークナイト』で映画史に残るパフォーマンスでジョーカーを演じた後、28歳という若さで亡くなったヒース・レジャーは2009年、第81回アカデミー賞で助演男優賞を受賞しました。 授賞式に登場したのは彼の家族でした。アカデミーに感謝を述べた後、ヒースにあらためて別れの言葉を贈りました。

7.ロベルト・ベニーニ:子供のように喜びを表現!?

1999年、第71回アカデミー賞『ライフ・イズ・ビューティフル』で主演男優賞、外国語映画賞を受賞したロベルト・ベニーニ。 受賞作が発表された瞬間ロベルトは、座っていたシートによじ登り喜びを表しました。その時のロベルトのリアクションは決して行儀のよいものではありませんでしたが、『ライフ・イズ・ビューティフル』グイド役のように、おかしく、愛おしい姿だったため、会場は温かい雰囲気で包まれていました。

8.マーロン・ブランド:アカデミー主演男優賞を拒否!?

1973年、第45回アカデミー賞、マーロン・ブランドは『ゴッドファーザー』で主演男優賞を獲得しましたが、それを拒否、自身の代わりにネイティブアメリカンの女性を会場に送りました。 これはハリウッドやアメリカのテレビでネイティブアメリカンが不当に扱われていることに対する抗議でした。

9.ハル・ベリー:ハティ・マクダニエル以来の快挙!?

2002年、ハル・ベリーは『チョコレート』レティシア役でアカデミー主演女優賞を獲得しました。これは、アフリカ系アメリカ人女性にとって初の快挙、彼女は単に黄金のオスカー像を獲得しただけではなく、1940年、ハティ・マクダニエルが『風と共に去りぬ』でアカデミー助演女優賞を獲得して以来、アフリカ系アメリカ人女性には閉じられていたオスカーのゲートを大きく開きました。

10.チャールズ・チャップリン:12分ものスタンディングオベーション!?

喜劇王として、アメリカに多大な貢献をしてきたチャールズ・チャップリンでしたが、一時期アメリカ映画界から追放されていたことがあります。 1972年、アメリカ追放から20年後、第44回アカデミー賞名誉賞受賞のため、チャップリンはアメリカに戻ります。会場は温かい拍手と12分にも及ぶスタンディングオベーションでチャップリンを迎えました。

11.マイケル・ムーア:政治的発言で大ブーイング!?

過激なドキュメンタリー映画を数多く撮ってきた、マイケル・ムーア。 2003年『ボウリング・フォー・コロンバイン』でアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を獲得、その時の受賞スピーチでブッシュを批判する過激発言をしたことで、会場から大きなブーイングを浴びる前代未聞の事態となりました。

12.ジョン・トラボルタ:発音が適当すぎて批判を浴びる!?

2014年アカデミー賞授賞式で、ジョン・トラボルタは悪い意味で注目を集めてしまいました。 トラボルタは『アナと雪の女王』の主題歌『Let it Go』を歌唱したイディナ・メンゼルを“アデル・ダズィーム”と全くことなる発音で紹介、その後ネット上で多くの批判を受けることとなりました。

13.『クラッシュ』vs 『ブロークバック・マウンテン』!?

2006年アカデミー賞は『ブロークバック・マウンテン』『クラッシュ』に作品に大きな注目が集まりました。両方とも差別と同性愛と根深いテーマだったため、アカデミーがどちらを好むのかという見方もされていたようです。 結果的に、アカデミー賞では『クラッシュ』に軍配が上がりました。『クラッシュ』はアカデミー前哨戦ゴールデングローブ作品賞にノミネートさえされなかったため、多くの人を驚かせる結果となりました。

14.マット・デイモン&ベン・アフレック:若くして脚本賞を獲得!?

1997年アカデミー賞の主役は、それまではほぼ無名だった若手俳優ふたりでした。 ガス・ヴァン・サント監督『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』の脚本を共同執筆した、ベン・アフレックとマット・デーモンはアカデミー脚本賞受賞という快挙を達成しました。

15.エイドリアン・ブロディ:情熱的過ぎるキス!?

2003年、エイドリアン・ブロディはロマン・ポランスキー監督『戦場のピアニスト』でアカデミー賞に初ノミネート、初受賞しました。 その喜びを爆発させたブロディは、プレゼンターを務めたハル・ベリーに情熱的なキスをするという思いもよらぬ行動を取り、会場を沸かせていました。

16.受賞会場にピザをデリバリー!?

2014年はここ最近10年で最も予想外のイベントが起きたアカデミー授賞式となりました。 司会のエレン・デジェネシスが会場にデリバリーピザを注文、ブラッド・ピットやマーティン・スコセッシなどの出席者にピザを振る舞いました。 後に、ピザを配達した男性は俳優ではなく、実際の店員だったことが明らかに。彼は1000ドルのチップを手にしたそうです。

17.世界一豪華な自撮り写真!?

ピザの配達だけにとどまらず、デジェネシスは出席した名だたるスターと共に世界一豪華なセルフィを撮影しました。 このセルフィには、ブラッド・ピット、ジェニファー・ローレンス、メリル・ストリープ、アンジェリーナ・ジョリー、ジュリア・ロバーツ、ケヴィン・スペイシーなどがひとつの画面に収まり、世界一リツイート(3700万以上)された写真となりました。

18.アンジェリーナ・ジョリー:弟と情熱的なキス!?

2000年、『17歳のカルテ』でアカデミー助演女優賞を獲得した時、アンジェリーナ・ジョリーが、弟ジェームズと情熱的なキスをかわしたことで話題を呼びました。 キスが唇同士だったことや、あまりに情熱的だったため、世間はふたりの不適切な関係さえ疑っていました。

19.ジェームズ・フランコ:司会は苦手!?

演技、アート、執筆など多岐に渡る才能を発揮しているジェームズ・フランコですが、一つ苦手なことがあるようです。 2011年アカデミー授賞式で、ジェームズ・フランコはアン・ハサウェイと共に司会を務めていましたが、渾身のギャグが滑ってしまうなどあまり良い評価を得ることが出来ませんでした。

20.ファレル・ウィリアムス:会場を巻き込んだパフォーマンス!?

2014年授賞式、『怪盗グルーのミニオン危機一髪』“Happy”でアカデミー歌曲賞にノミネートされたファレル・ウィリアムスが登場。 パフォーマンスの最中、ステージを降りたファレルは、ルピタ・ニョンゴ、メリル・ストリープ、エイミー・アダムスら共にダンスを披露して会場を沸かせていました。