2017年7月6日更新

倍賞千恵子、『男はつらいよ』シリーズに欠かせない庶民派女優のエピソード8選

このページにはプロモーションが含まれています
倍賞千恵子

AD

1:幼少期から「のど自慢」荒らしと呼ばれるほどの歌唱力を持っていた

倍賞千恵子は、東京都出身、1941年6月29日生まれの女優・歌手・声優です。幼少期は、その歌唱力から「のど自慢荒らし」として知られていました。 その後、みすず児童合唱団を経て、1957年、松竹音楽舞踏学校に入学。1960年に首席で卒業し、松竹歌劇団に13期生として入団しています。実習出演を積み、グランド・レビュー「東京踊り」で初舞台を踏みました。

2:出演映画の主題歌で日本レコード大賞新人賞を受賞

1963年、「下町の太陽」で歌手デビューを果たし、第4回レコード大賞新人賞を受賞しました。NHK紅白歌合戦にも4年連続で出場しています。 この曲の大ヒットがきっかけで、同年に、松竹で制作された山田洋次監督の第2作目『下町の太陽』が誕生しました。東京都墨田区の京成線の京成曳舟駅、東武線の曳舟駅周辺にあった資生堂の石鹸工場とその近辺を舞台に物語が展開されています。 倍賞千恵子は主人公・寺島町子として出演し、「下町の太陽」は主題歌に採用されました。また、現在でも「下町の太陽」という言葉自体が、倍賞千恵子の代名詞として知られています。

3:『男はつらいよ』シリーズなど山田洋次作品で欠かせない存在となる

映画『男はつらいよ』シリーズで、主人公・車寅次郎の妹・さくらを演じたことでその人気は確固たるものに。『下町の太陽』出演以降、山田洋次作品では欠かせない庶民派女優となりました。 『家族』など、シリーズの合間に制作されたオリジナル作品にも数多く出演、『キネマの天地』までは、全て主演かマドンナ役を務めています。60本以上という類を見ない数の作品で、長期にわたり監督・主演女優の関係が続きました。それでいて、私的な交際に関する噂は全く立たなかったそうです。

4:『志村けんのだいじょうぶだぁ』で倍賞千恵子が「変なおばさん」に?

松竹の専属女優でいた期間が長かったため、同世代の女優と比べるとテレビへの出演が少ないと言われています。そんな中、コント番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』で『男はつらいよ』のパロディを披露。志村けんの「変なおじさん」をモチーフにした「変なおばさん」に扮したことで話題になりました。 通常では研ナオコが担当しており、倍賞千恵子の「変なおばさん」が見られたのは一回きりとなっています。大女優らしからぬ姿にお茶の間はとても驚いたでしょうね。

5:2004年にスタジオジブリの映画『ハウルの動く城』で主人公ソフィーの声を担当

2004年公開、スタジオジブリ制作の宮崎駿監督作品。呪いで老婆にされた少女・ソフィーと魔法使いの美青年・ハウルの、魔法で動く奇妙な城での共同生活を描く物語。悪魔や魔法、戦争といった要素を織り交ぜながらストーリーが展開していきます。 倍賞千恵子は、ヒロイン・ソフィーの声を担当。歌手として、主題歌の「世界の約束」も歌っています。映画は海外でも公開されましたが、18歳と90歳のソフィーを一人で演じたのは倍賞千恵子のみ。このことについて、「歳をとって外見が変わっても内面は変わらない」ことを監督は伝えたかったのでは、と振り返っています。 一番印象に残っているのは、終盤の「ハウル大好き」という台詞だとか。たった一言がなかなかうまく言えず、何度もやりなおしたからだそうです。

6:倍賞千恵子の旦那は?

倍賞千恵子の最初の結婚は、1976年に俳優・小宮守(現在は小宮健吾)とでした。しかし、その4年後に離婚、逆格差婚だった結婚生活に幕を閉じました。 その後は13年の独身生活を経て、1993年に作曲家の小六禮次郎と再婚しました。8歳年下で、2人の間にお子さんはいないようです。1年の大半をプール付き、自家飛行機所有の北海道の別荘で過ごしているのだとか。北海道の自然に囲まれて、夫婦仲良く静かに暮らしているのかもしれませんね。

7:高倉健とも熱愛報道があった?

現在の夫と結婚する12年前、1981年に俳優の故・高倉健との熱愛報道があったようです。1997年に『幸福の黄色いハンカチ』で初共演した後、1980年『遙かなる山の呼び声』、1981年『駅 STATION』と共演が続き、ここから関係が発展したと言われています。 当時2人の交際は有名で、高倉健がよくマンションに通っていたのだとか。しかし、熱愛報道の直後、高倉健は急遽北海道で記者会見を開いて男女の仲を否定しました。共演はぱったりとなくなり、2人は別荘に場所を移して会っていたそうですが、熱愛発覚から3年ほどで破局を迎えたようです。

8:姉妹で癌を克服している

2001年、胸のしこりから乳癌が発覚し、乳房を残しつつ患部を切除する手術を受けました。同じく、妹の倍賞美津子も1997年に直腸癌が発覚。直腸を全摘出し、人工肛門にすることで再発・転移を防ぐ手術を成功しています。 現在は自身の経験を活かし、ピンクリボン活動への参加や、山田邦子が立ち上げた混声合唱団のメンバーとして癌の啓発活動を行っています。最近では、今井雅之などの芸能人が癌が原因で亡くなっているので、倍賞姉妹のように克服した人の姿は患者たちにとって希望となるでしょうね。