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1.アラブ独立のために戦ったイギリス人将校【1962年】
20世紀初頭、オスマン帝国からのアラブ独立闘争を支援した、イギリス人陸軍将校のトーマス・エドワード・ロレンスを描いたスペクタル巨編が『アラビアのロレンス』です。名匠デヴィッド・リーン監督、ピーター・オトゥール主演で、第35回アカデミー賞作品賞など主要7部門を受賞しました。
どこまでも続く広大な砂漠など、ロケーションの美しさも必見。主人公ロレンスの冒険と苦闘の半生は、多少の脚色はありますが、見応えのある壮大な歴史ドラマです。
トーマス・エドワード・ロレンス
トーマス・エドワード・ロレンスは1888年8月16日に英国ウェールズのトレマドックに生まれました。第一次世界大戦勃発とともに、召集されてイギリス陸軍省作戦部地図課に勤務。すぐにカイロの陸軍情報部に転属となり、アラブと深く関わることになりました。生涯独身を貫き、1926年に発表した自伝『知恵の七柱』が、映画の原作になりました。
除隊から二ヶ月後、オートバイを運転中の事故で死去します。1935年5月19日、46歳の若さでした。墓地は英国ドーセット州モートンの教会に現存します。
2.「非暴力・不服従」を提唱したインド独立の父【1982年】
インド独立運動の指導者で、尊敬をこめて「偉大なる魂」とも呼ばれるマハトマ・ガンジーの波瀾に満ちた生涯を描いた映画『ガンジー』。監督はリチャード・アッテンボロー、ガンジーにはインドの血をひくイギリス人俳優のベン・キングズレーが扮し、キャンディス・バーゲン、エドワード・フォックス、ジョン・ギールグッドなど名優が脇を固めました。
イギリスの植民地だった南アフリカで、青年弁護士だった若き日から、暗殺されるまでの闘いの半生を描きます。第55回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞など主要部門を独占しました。
マハトマ・ガンジー
1869年10月2日、インドのグジャラートに生まれたガンジー。18歳よりロンドンで法律の勉強し、卒業後の1893年、イギリス領だった南アフリカ連邦で弁護士になりました。その地で、酷い人種差別を経験したことで、公民権運動に目覚めます。インド帰国後は、イギリスからの独立運動を指揮するに至りました。
1948年1月30日、ニューデリーでヒンドゥー原理主義集団民族義勇団の一人によって暗殺され、命を落としました。
3.サリエリの視点で描いた天才モーツァルト【1984年】
ピーター・シェイファーによるブロードウェイの舞台劇を、ミロス・フォアマン監督が映画化した『アマデウス』。19世紀、天才的楽聖モーツァルトの半生を、彼の才能を嫉妬する宮廷音楽家サリエリの視点から描きます。モーツァルトにトム・ハルス、サリエリにF・マーレイ・エイブラハムが扮し、第57回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞など8部門で受賞しました。
中世の古い町並みが残るチェコの首都プラハでロケが行われ、室内撮影に使用された歴史的建造物の内部も必見です。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
1756年1月27日、オーストリアのザルツブルクに生まれ、ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人に数えられるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。作曲家としてのみならず、ピアニストとしても人気がありましたが、品行の悪さと借金まみれで仕事には恵まれなかったと言われています。1791年12月5日、35歳の若さでウィーンにて死去しました。死因はリューマチ性炎症熱だったと考えられています。
4.清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の数奇な一生【1987年】
清朝最後の皇帝で、後に日本が統治した満州国の皇帝となった愛新覚羅溥儀の数奇な生涯を描いた歴史大作『ラストエンペラー』。溥儀の自伝『わが半生』を原作に、ベルナルド・ベルトルッチが監督、中国系アメリカ人俳優のジョン・ローンが溥儀を演じました。第60回アカデミー賞では作品賞はじめ、ノミネートされた9部門すべてを独占しました。
日本人将校・甘粕役で出演し、音楽も手掛けた坂本龍一が、日本人として初めてアカデミー作曲賞を受賞したのも話題になりました。
外国人では初めて撮影許可が下りたという、紫禁城における幼い溥儀のシーンは圧巻です。
愛新覚羅溥儀
溥儀は、1906年2月7日、北京に生まれました。1908年12月2日、3歳にも満たない年齢で、清朝第12代にして最後の皇帝に即位します。1934年3月1日からは、満洲国皇帝に即位し、終戦まで在位しました。戦後、撫順戦犯管理所に収監されましたが、釈放後は一市民として北京植物園に勤務。1967年10月17日、満61歳で死去しました。妻の婉容は、アヘン中毒の中、戦後すぐ亡くなっています。
5.脳性麻痺による障害と闘った男の自伝を映画化【1989年】
生まれつきの脳性麻痺で、左足しか動かせなかったアイルランド人画家・小説家のクリスティ・ブラウンの半生を描いた『マイ・レフトフット』。同名の自伝小説が原作です。主人公を演じたダニエル・デイ・ルイスと、彼を支えた母親のブリジットを演じたブレンダ・フリッカーが、第62回アカデミー賞でそれぞれ主演男優賞と助演女優賞を受賞した、感動の実話です。
クリスティ・ブラウン
クリスティ・ブラウンは、1932年6月5日、アイルランドのダブリンに生まれました。生まれて1年後には、治癒の見込みのない重度の脳性麻痺により医師から治療を放棄されるも、それを信じない母親の愛情で、施設ではなくたくさんの兄弟と一緒に暮らしました。そんな生活の中、次第に自らの表現手段を見つけ、画家・作家として活動するに至ります。亡くなったのは1981年9月7日、49歳のときでした。
6.テューダー朝第5代にして最後の君主、エリザベス1世の前半生【1998年】
16世紀のイングランドを舞台に、25歳の若さでイングランド女王に即位したエリザベスの前半生を描いた映画が『エリザベス』です。宗教間対立、そしてさまざまな陰謀や謀略、暗殺計画が渦巻くドラマを豪華絢爛に描きました。特に、衣装の素晴らしさは必見です。エリザベスを演じたのはケイト・ブランシェット。恋人と別れ、国家と結婚すると誓うに至るエリザベスの強さに心打たれます。
2007年には、同じ監督・主演で続編『エリザベス:ゴールデン・エイジ』も公開され、その後半生が描かれました。
エリザベス1世
エリザベス1世は、1533年9月7日、国王ヘンリー8世の次女として生まれました。1558年、イングランドとアイルランドの女王に即位し、テューダー朝第5代にして最後の君主となります。生涯誰とも結婚することはなく、ザ・ヴァージン・クイーンと呼ばれていたことは有名です。亡くなったのは、1603年4月3日、69歳のときでした。
7.第二次大戦中、ホロコーストを生き抜いたユダヤ人ピアニスト【2002年】
『戦場のピアニスト』は、第二次世界大戦中のワルシャワを舞台に、ナチスドイツ侵攻下のホロコーストを生き抜いたユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの半生を描きます。第55回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞、第75回アカデミー賞でもロマン・ポランスキーが監督賞、エイドリアン・ブロディが主演男優賞など、計3部門で受賞を果たしました。
ウワディスワフ・シュピルマン
1911年12月5日生まれのユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマン。ショパン音楽院でピアノを学び、20歳からベルリン音楽大学でレオニード・クロイツァーとアルトゥール・シュナーベルに師事しました。1946年、第二次世界大戦中の体験をまとめた自伝『ある都市の死』を出版、本映画の原作となりました。2000年7月6日、脳溢血で入院中に死去し、88年の生涯を閉じています。
8.イギリスの詩人ジョン・キーツと恋人の悲恋を描く物語【2009年】
19世紀の英国ロマン主義の詩人ジョン・キーツと、恋人ファニー・ブローンとの悲恋を描いた恋愛映画です。若き詩人として世に出たばかりのキーツは、居候先の隣人ファニーに惹かれるものの、結核が彼を襲います。キーツにベン・ウィショー、ファニーにアビー・コーニッシュが扮し、『ピアノ・レッスン』『ある貴婦人の肖像』で知られる女流監督、ジェーン・カンピオンがメガフォンをとりました。
第82回アカデミー賞衣装デザイン賞にノミネートされた見事に再現された19世紀の衣装が必見です。
ジョン・キーツ
1795年10月31日 ロンドンのモーゲートで生まれました。1817年、処女詩集『詩集』を出版し、創作活動に入ります。母や弟が相次いで結核により死去するなか、彼も同じ病を患い、イタリアのローマで療養しました。その間、『秋に寄せて』や『ギリシャの古壺のオード』などの代表作を発表しましたが、1821年2月23日、25歳の若さでこの世を去りました。
9.ワールドトレードセンターで空中綱渡りに挑んだフランス人【2015年】
1974年8月7日、当時世界一の高さを誇った、ニューヨークのワールドトレードセンターで命がけの綱渡りを敢行した男の物語を映画化したのが『ザ・ウォーク』です。チャレンジしたのは、フランス人の大道芸人フィリップ・プティ。プティにはジョセフ・ゴードン=レヴィットが扮し、監督は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『フォレスト・ガンプ 一期一会』で知られる名匠ロバート・ゼメキスがつとめました。
3D映画として撮影され、地上411メートル、110階の最上階で繰り広げられる、手に汗握るスリルと迫力が圧巻です。
フィリップ・プティ
フィリップ・プティは、1949年8月13日、フランスのセーヌ=エ=マルヌ県・ヌムール生まれ。世界の有名高層建築物を許可なく綱渡りする事で知られる大道芸人です。パリのノートルダム大聖堂、シドニー・ハーバーブリッジの他、なんと言っても彼を一躍世界中に知らしめたのが本映画で描かれたニューヨークのワールドトレードセンターです。自伝『マン・オン・ワイヤー』を出版し、2008年にはドキュメンタリー映画も製作されています。