2017年7月6日更新

グレース・ケリー、モナコ公妃へと駆け上がった女優の知られざる事実13選

『喝采』でアカデミー主演女優賞を獲得するなど人気絶頂の中女優業を引退、モナコ公国の王妃となったグレース・ケリー。今回はグレース・ケリー、モナコ公妃へと駆け上がった女優の知られざる事実13選を紹介します。

1.人気絶頂で女優を引退!?

女優として人気絶頂だった1956年、グレース・ケリーはモナコ公国の大公レーニエ3世と結婚、公妃となり女優業を引退しました。

2. 鬱を患っていた!?

モナコ王妃となったグレース・ケリーはラグジュアリーな暮らしを送ってはいたものの、女優時代のきらびやかな時代が忘れられず鬱病を患っていたそうです。

3.女優業に家族は反対していた!?

グレース・ケリーが“アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツ”に入学して女優としてのキャリアを始めた時、父ジャック・ケリーは娘の女優業に大反対していたそうです。

4.モデルとしても活動していた!?

“アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツ”在学中にグレース・ケリーはモデルとして仕事を開始、タバコなどの広告や雑誌(”レッドブック”“コスモポリタン”)のカバーを飾りました。

5.アスリート一家に生まれた!?

グレースの父ジョンはボート競技の選手でオリンピックで3つの金メダルを獲得したアスリート、母マーガレットはペンシルバニア大学で初めて体操チームの女性監督に就任した人物です。

6.1度婚約破棄していた!?

グレース・ケリーはモナコ大公と結婚する前にファッションデザイナー“オレグ・カッシーニ”と婚約していました。

7.結婚する時に大金を支払っていた!?

グレース・ケリーとモナコ大公レーニエ3世の結婚式がとりおこなわれる前、ケリー家は約2億円の持参金をプリンスに支払わなければならなかったそうです。

8.モナコ王妃となった後にオファーを受けていた!?

1962年、アルフレッド・ヒッチコックはグレース・ケリーに映画『マーニー』の出演オファーをしていました。しかし、モナコの市民たちの批判や王妃としてのプレッシャーを感じてオファーを断ったそうです。

9.52歳の若さで亡くなった!?

1982年、グレース・ケリーは自動車運転中に脳梗塞を発症、車は崖から転落してグレースは52歳で帰らぬ人となりました。

10.アメリカで初めて切手になった女優!?

1993年、グレース・ケリーの肖像がアメリカの郵便切手のデザインとして採用されました。アメリカの切符デザインとして女優の肖像が採用されたのは史上初のことでした。

11.葬儀で感動的な弔辞を読み上げた俳優!?

グレース・ケリーの葬儀には名だたる著名人が出席、俳優のジェームズ・スチュアートが感動的な弔辞を読み上げました。

“私はグレース・ケリーが大好きです。それは彼女が王妃だったからでも、女優だったからでも、友人だったからでもありません。彼女は私が会った中で最高の女性だったからです。”

12.ハリウッドが嫌いだった!?

グレース・ケリーは女優だった時ハリウッドを拠点に活動していましたが、ハリウッドという街はあまり好きではなかったようです。

“私はハリウッドが嫌いです。この街には同情など存在しません。ハリウッドほど精神的に病んでいる人が多い街を私は知りません。”

13.生まれ故郷にクリスマスカードを送っていた!?

ハリウッドを嫌っていた一方、グレース・ケリーは生まれ故郷ペンシルバニア州フィラデルフィアを心から愛していました。

モナコ王妃となった後もケリーはフィラデルフィア時代の隣人に毎年クリスマスカードを送っていたそうです。