2017年7月6日更新

マドンナ、ポップスの女王の賢者になろう!

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マドンナ

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マドンナのプロフィール

「ポップスの女王」と呼ばれる歌手、本名マドンナ・ルイーズ・ベロニカ・チッコーネは、1958年8月16日生まれです。 母の実家であるミシガン州ベイシティで6人兄弟の3人目として生まれました。5歳の時に母が乳癌のため死去し、GMのエンジニアであった父はほどなく再婚。母の死や父の再婚、継母との確執が、彼女の精神性に大きな影響を与えたと言われています。 1977年、マドンナは35ドルを手に長距離バスで郷里を後にし、ニューヨークに降り立ちました。ニューヨーク到着後、タクシーの運転手に「この街でいちばん大きな場所に連れて行って!」と言い、タイムズスクエアに降り立ち「私はこの世界で神よりも有名になる」と誓ったことは有名なエピソードですね。

世界で最も有名で裕福な女性歌手であるマドンナ

1982年に『エヴリバディ』でデビューしたマドンナは、この曲でビルボード・ダンス・チャート3位を獲得し、それ以来、第一線を走り続けてきました。世界でもっとも裕福で有名な女性歌手といわれる彼女の、代表曲をいくつかおさらいしてみましょう。

初の全米1位を獲得!『ライク・ア・バージン』(1984)

1984年にリリースしたセカンド・アルバムからのシングルカット『ライク・ア・バージン』で、マドンナは初めて全米1位を獲得しました。この曲は6週連続1位獲得のメガヒットを記録します。 また、1985年、このアルバムのプロモーションで初来日を果たしました。

論争を巻き起こした問題作『パパ・ドント・プリーチ』(1986)

1986年4月、マドンナは新作アルバム『トゥルー・ブルー』からの先行シングル『パパ・ドント・プリーチ』をリリースします。この作品は、当時アメリカで社会問題となっていた10代の妊娠を扱っており、社会政治団体を巻き込んだ論争になりました。

出演コマーシャルが放送禁止に!『ライク・ア・プレイヤー』(1989)

ペプシ・コーラ社と契約し、CMに採用されることになった4枚目のアルバムからの先行シングル『ライク・ア・プレイヤー』は、十字架を燃やすなど、MVの過激な演出のためカトリック教会やその他の宗教団体から大きな反発を受けることになった問題作です。 その結果、コマーシャルに出演していたペプシ・コーラの不買運動にまで発展しました。

MVのダンスが大流行『ヴォーグ』(1990)

1990年にリリースしたシングル『ヴォーグ』では、MVで披露した独特のダンス「ヴォーギング」が世界的に大流行しました。この人気を受けて、シングルも600万枚を超える大ヒットとなっています。

グラミー賞受賞アルバムからの第一弾シングル『ミュージック』(2000)

2000年9月にリリースした8枚目のアルバム『ミュージック』は、1989年の『ライク・ア・プレーヤー』以来11年ぶりの全米1位を獲得しました。のちにグラミー賞最優秀レコーディング・パッケージ賞を受賞した同作からの第一弾シングル『ミュージック』は、世界25カ国で1位を獲得する大ヒットとなりました。

『007』シリーズの主題歌『ダイ・アナザー・デイ』(2002)

2002年、マドンナはピアース・ブロスナンがジェームズ・ボンドを演じた最後のボンド映画『007 ダイ・アナザー・デイ』の主題歌を担当し、映画と同タイトルの『ダイ・アナザー・デイ』をリリースしました。また、映画にもカメオ出演しています。

歌手だけではない!マドンナの女優活動

初の映画本格出演で重要な役割をこなす【1985】

マドンナ『マドンナのスーザンを探して』
歌手としてだけでなく多くの映画にも出演しています。1985年の『マドンナのスーザンを探して』は、彼女にとって本格的な女優デビューとなった作品です。 ロザンナ・アークエット演じる平凡な主婦ロバータは、ある日「スーザンを探している」という奇妙な新聞広告を見つけました。退屈な毎日から抜け出すため、彼女はスーザンを探すことを決意し騒動に巻き込まれていきます。 マドンナは消息不明の女性スーザンを演じ、出番は少ないながらも重要な役割を担いました。

人気コミックの実写映画化に歌姫役で出演【1990】

1930年代、アメリカの犯罪都市を舞台に敏腕刑事ディック・トレイシーの活躍を描く人気コミックを実写映画化したものです。 街を牛耳るギャングのボス、ビッグ・ボーイ・キャプリスを追う刑事のディック・トレイシー。一方のキャプリスは、絶世の美女であるクラブシンガーのブレスレスを手にいれるため、彼女が務めるクラブのオーナーを殺害します。それを知ったトレイシーは、キャプリスを追い詰めるためブレスレスに接触することにしました。 マドンナは歌姫ブレスレスを演じました。

女性差別を乗り越え創設された女子プロ野球リーグの実話【1992】

1943年に創設された女子プロ野球リーグを題材として、女性差別に立ち向かい自身の夢を実現させようと奮闘する女性たちを描いた物語です。 マドンナはこの作品で主題歌を担当し、チームの一員として出演もしています。

名作ミュージカルの映画化でゴールデングローブ賞受賞!【1996】

『CATS』や『オペラ座の怪人』などで知られるアンドリュー・ロイド・ウェバーの同名ミュージカルを映画化した『エビータ』は、アルゼンチンのファーストレディであったエバ・ペロンの聖俗両面を描いた作品です。 アルゼンチンでは聖エビータと呼ばれるほどの人気を持つエバを、セックスシンボルとして知られるマドンナが演じたことで現地ではロケ反対のデモも起きました。 結果的に映画は成功し、アカデミー賞歌曲賞、ゴールデングローブ賞作品賞、主題歌賞、そして主演女優賞を獲得しています。

実写と3Dアニメーションを交えたファンタジー映画に声の出演【2006】

映画監督リュック・ベッソンによる児童文学を映画化した『アーサーとミニモイの不思議な国』は、『チャーリーとチョコレート工場』などで知られる人気子役フレディ・ハイモア主演のアニメーション映画です。 冒険家の祖父が記したミニモイ族の話を聞いて育ったアーサー(ハイモア)は、ある日祖父がアフリカから持ち帰った宝を探すうち、ミニモイの国にその宝があることを知ります。自らミニモイの国へ向かったアーサーは、ミニモイの王女セレニアとその弟ベタメッシュと出会い、彼らの国を滅ぼそうとする悪魔マルタザールを倒すため旅に出ます。 この作品でマドンナはミニモイの王女セレニアを演じています。他にもロバート・デ・ニーロやデヴィッド・ボウイなど豪華声優陣で話題を集めました。

マドンナはここがすごい!

子供のころは優等生!?

歌手としてデビューしてからは挑発的なパフォーマンスで知られるマドンナですが、子供のころは勉強熱心で大人の言うことをきく優等生だったそうです。当時のことを本人は次のように振り返っています。
「私はひとりぼっちでなにかを探している子でした。反抗的でもありませんでしたし。なにか特技を見つけたいと思っていたんです。他の女の子たちのようにムダ毛の処理をしたり、お化粧をすることもありませんでした。勉強して、いい成績をとって、立派な人になりたいと思っていたんです」
現在も大変な努力家であることでも有名ですから、その部分は子供のころから変わっていないのかもしれませんね。

積極的に慈善活動に参加

海外セレブの多くはチャリティー活動に熱心なことで知られていますが、マドンナもその例にもれません。 1985年の「ライブ・エイド」をはじめ、多くのチャリティーコンサートに参加しているのはもちろん、災害の復興支援や子供たちへの支援に様々な寄付を行っています。 2009年にはイタリア中部で起きた自身の被災者に50万ドル(約5,000万円)を寄付しました。同年11月にはブラジルの鉱山王エイキ・バチスタから600万ドル(約6億3,000万円)の寄付を受け、ブラジルに自身のチャリティー団体を設立。現地のスラム街の子供たちの支援を行っています。

世界で最も裕福な女性歌手

マドンナは2016年現在、総資産10億ドル(約1,040億円)と言われ、世界で最も有名で裕福な女性歌手として知られています。この資産額は、男女合わせてもトップだとか。

エルヴィス・プレスリーの生まれ変わり?

上にご紹介した通りマドンナの誕生日は8月16日ですが、彼女の敬愛するアーティストのひとり、エルヴィス・プレスリーの命日も彼女の誕生日と同じです。 だたし、彼女が生まれたのは1958年、プレスリーがなくなったのは1977年なので生まれ変わりとまでは言えないかもしれませんね。

典型的なセレブ気質あり?

ホテルは新しい部屋がいい

スーパースターとして時にひんしゅくを買うこともあるマドンナですが、やはりプライベートでもそのセレブ気質を発揮しているようです。 2011年、当時の恋人とベルリンにあるホテルに宿泊した際、1万ユーロ(約165万円)を支払って部屋の改装を要求しました。「誰かが以前に使用した部屋には泊まりたくない」ということで、ベッドや照明器具、壁の張り替えなど大改装を要求したのだとか。

言葉遣いが悪い?

多くのセレブがそうであるように、マドンナもfuckなどのあまり上品とは言えない言葉をよく使います。 子供を持つ親には、あまり聞かせたくない話し方のようですね。

最近はどういう活動をしてるの?

絵本作家として多数の本を出版

2003年、マドンナは絵本『イングリッシュ ローズィズ』を出版しました。物語は4人の人気者グループの女の子たちと、いつもひとりぼっちの女の子が夢に現れた妖精の助けで嫉妬を乗り越えて友情を育んでいくというものです。 この作品についてマドンナは、2児の母となり、今までとは違った心境になったため子供たちに語りかけるつもりで書いたと言っています。 イラストは「ヴォーグ」や「ハーパース・バザール」などで人気のイラストレーター、ジェフリー・フルビマーリが担当し、日本語訳は『冷静と情熱の間』や『間宮兄弟』などで知られる小説家、江國香織が手がけています。 『イングリッシュ ローズィズ』は100カ国で同時発売、空前のベストセラーとなり、その後も2007年までに合計6冊の絵本を出版しました。

娘とともにアパレルブランドを立ち上げ

2010年、ブランドマネジメント企業アイコニックス・ブランド・グループと契約を結んだマドンナは、アメリカの老舗デパート、メイシーズ向けにアパレルブランド「マテリアル・ガール」発表しました。 同ブランドは主にティーンエイジャーをターゲットとしており、娘のローデスとともにデザインを手がけています。 また、女優で歌手のテイラー・モンセンが初代専属モデルとなったことでも話題を集めました。

自らのスキンケアラインを発表

美に並々ならぬこだわりを持つマドンナは、2014年に日本の美容品メーカーMTGとコラボし、自らのスキンケアブランドMDNA SKINを発表しました。 MDNA SKINは美容機器とコスメティックを融合させたユニークなブランドで、第一弾としてクレイパックとそれに合わせて使うマッサージ機器、美容液の3商品がリリースされました。 2016年には第二弾のフェイスウォッシュとローズミスト、アイマスクが発売されました。ツアーでの来日に合わせて、銀座三越で行われたイベントに出席しパネルにサインするなどして商品をアピールしました。 今なお最前線で活躍するマドンナ。今後、どんな偉業を成し遂げてくれるのか目が離せませんね!