2017年10月18日更新

ショーン・コネリーについてもっと知っておきたい事実21選

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生きるハリウッドの伝説、ショーン・コネリー

1930年にスコットランドのエディンバラで生まれたショーン・コネリー。1954年頃から俳優としての活動を始め、1962年から始まったボンドシリーズで一躍有名となりました。 その後も『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』や『小説家を見つけたら』など多数の映画に出演し、たくさんの映画ファンを楽しませてきました。 2006年に引退宣言をし、第一線から退いているショーンですが、その圧倒的な存在感は今もなお映画界に影響を与えています。 そんな往年の名俳優、ショーン・コネリーの知られざる事実21選をお伝えします。

1:あまり裕福ではなかったショーン・コネリーの子供時代

ショーン・コネリーの父親はトラック運転手、そして工場に勤務しており、母親は洗濯屋で働いていました。ショーンが生まれたときベビーベッドを買うお金がなかったため、ショーンは寝室のたんすの下の引き出しに寝かされていたそうです。 階級が重要視されるイギリスで、決して高い階級の生まれではなかったショーンですが決して臆する様子を見せたことはありませんでした。

2:小さい頃の呼び名はトミー

ショーンの本名はトーマス・ショーン・コネリーで、小さい頃はファーストネームからとった愛称「トミー」と呼ばれていました。また10代の頃にはすでに身長が188センチあったため「ビッグトム」と呼ばれていたそうです。 しかしいつの頃からか「ショーン」と呼んで欲しいと周囲に伝えており、それは芸能界に入る前からの話でした。もし「トミー」という愛称のままだと全然違った印象になっていたでしょうね。

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3:さまざまな仕事を経験

13歳で学校を辞めて働き始めたショーン・コネリー。初めての仕事は牛乳配達でした。その後、イギリス海軍に入隊しましたが、十二指腸潰瘍を患い海軍を除隊します。 海軍を辞めた後は、トラック運転手、美術モデル、棺磨きなどたくさんの仕事を経験しました。 こういった仕事の経験が後の俳優業にも生かされたのでしょうね。

4:すばらしい肉体美はボディビルによって作られた

ボンド役を務めるほどの引き締まった身体のショーン・コネリー。その肉体美を作ったのは18歳から始めたボディビルのおかげで、元イギリス陸軍に所属していたトレーナーの下、身体作りに励んでいました。 そして、1950年にはミスターユニバースコンテストで3位に入賞するも、高身長の階級の条件に合わないと主張されてしまいました。

5:マンチェスターユナイテッドにスカウトされていた

ショーン・コネリーはサッカーが得意でマンチェスターユナイテッドのスカウトマンが感心するほどの腕前でした。 後にスカウトされますが、ショーンは「サッカー選手のピークは30歳までで、自分はもう23歳だ。だからサッカー選手になるのは止めて俳優になろうと決めた。人生の中でもとても賢い選択の1つだったよ。」とのちに語っています。

6:1人で6人もの男たちとケンカをしたことがある

ショーン・コネリーは故郷エディンバラの有名なギャングに目をつけられており、ある日6人もの男が彼を襲ってきました。 しかしショーンは1人で男たちの相手をし、その日から評判は上がったそうです。腕っぷしの強い男として尊敬されるようになりました。6人を相手にする腕力もすごいことですが、その人数に立ち向かう勇気がすごいですね。

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7:裏方の仕事から俳優業へ

1951年、キングスシアターで俳優としてのキャリアをスタートさせたショーン・コネリー。元々は小遣い稼ぎに裏方の仕事をしていたのがきっかけでした。 その後、舞台『サウスパシフィック』、『ライラックス・イン・ザ・スプリング』で小さな役を得て、俳優としての仕事を始めました。

8:これぞハリウッドドリーム!セレブな持ち物を多数所有

ハリウッドといえば桁違いのギャラがが俳優たちに支払われますが、その内の1人のショーンのギャラ使い道はセレブ感溢れています。 ギリシャには別荘を持っており、ヘリコプターのプラットフォームはご近所のオランダのウィリアム・アレキサンダー国王と共用で使っているそうです。 また自分の理想のコースを作るために、フランスにゴルフ場を持っていましたが、1999年に売却してしまいました。

9:スティーブン・セガールにはうらみがある!?

1983年公開のボンドシリーズ『ネバーセイ・ネバーアゲイン』の撮影中、武道のインストラクターに手首を折られてしまいました。 激怒したショーンでしたが、実はそのインストラクターがスティーブン・セガールだったのです。なんとか撮影でき映画も公開できたので今となっては武勇伝かもしれませんね。

10:ナイトの勲位を持っている

2000年に、イギリスのエリザベス女王からナイトの称号を与えられ、サー・トマス・ショーン・コネリーとなりました。 実は1997年と1998年にも授与を検討されていましたが、ショーンの政治観を理由に却下されており、3度目の正直で授与となりました。

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11:母国スコットランドをこよなく愛している

ショーンは母国のスコットランド独立のためのキャンペーンの一員となっているほか、自分の映画プロダクション会社には彼の生まれた街の名前を冠し、「ファウンテン・ブリッジ」と名付けるなど故郷に対する並々なる思いがあるようです。 また「スコットランド フォーエバー」というタトゥーも入れています。

12:2度の結婚をしているモテ男

ジェームス・ボンドと同じく女性からモテるショーン。1962年に女優のダイアン・シレントと初めての結婚をし、一児をもうけますが1973年に離婚、そして1975年にモロッコ系フランス人アーティストのミシュリーヌ・ルクブルンと再婚しています。

13:原作者はショーンのボンド役に反対していた

ボンドシリーズの原作者、イアン・フレミングとプロデューサーのアルバート・R・ブロッコリは当初ショーンのボンド役に難色を示していました。 イアンいわく、ショーンは彼の思い描いていたボンド像とは程遠く、洗練されていないと感じていたそうで、ショーンのことを中年のスタントマンと批判していました。 しかし『007 ドクター・ノオ』が大ヒットしたあと、イアンはショーンのボンドに感心し、原作の設定にスコットランドとスイス人のハーフという設定を後付けしたほどでした。

14:ボンドシリーズの監督にボンドに必要なことを学んだ

最大のはまり役となったジェームス・ボンドですが、彼の実力だけで作り上げられたキャラクターではありません。監督のテレンス・ヤングはショーンにアクションシーンでどのように動けば優雅に見えるかというのを教えました。 またショーンを夕食に連れて行き、歩き方、話し方、そして食べ方さえも教え込んだそうです。

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15:度々命の危険にさらされていた

1965年公開の『007 サンダーボール』のワンシーンで、サメのいるプールに閉じ込められるシーンがありましたが、実はこの撮影中サメがタンクの仕切りをすり抜け、ショーンにあと少しというところまで迫ってきてしまいました。 ショーン・コネリーは驚き、目にも留まらぬ速さで水から上がったそうです。 また、1963年公開『007 ロシアより愛をこめて』では、あまり経験のないヘリコプター操縦士がショーンの近くを飛びすぎて、危うく首をはねるところでした。

16:『007 ネバーセイ・ネバーアゲイン』の由来

1983年公開の『ネバーセイ・ネバーアゲイン』はショーンにとって12年ぶり7作目となるボンド映画で、このタイトルはショーンと奥さんの会話からつけられたそうです。1972年の『007 ダイヤモンドは永遠に』後、「二度とボンドは演じない」と言っていたショーンに対し奥さんが、「ネバーセイ・ネバーアゲイン(決して二度となんて言うな)」と言ったそうです。

17:撮影がないときは国外で悠々自適生活

ショーン・コネリーは大のゴルフ好きで撮影がないときはスペインの自宅に住み、近くのゴルフ場でゴルフを楽しんでいました。その後、スペインの地元記者と折り合いが付かずスペインを去り、現在はバハマに住居を構えています。

18:いくつになってもセクシーの代名詞

ボンド時代から現在までもセックスシンボルとされているショーン・コネリー。 1995年にはエンパイアマガジンのセクシーな映画俳優100人、1995年にはピープルマガジンの20世紀のセクシーな男性、そしてショーンが60歳近い年齢のときにもピープルマガジンが選ぶ生存している最もセクシーな男性にノミネートされています。

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19:ボンド役はヒョウのような歩き方でゲット

彼はボンド役のオーディションを受けましたが、正確には正式なオーディションで決定されたわけではありません。 というのも、ショーンがオーディションを受け終わり部屋を出るときのヒョウのような威厳のある歩き方が審査員たちの目を惹き、これがボンド役決定の決め手となったからです。 優秀なスパイを演じるための要素がショーンには元々備わっていたのですね。

20:あの役も!さまざまな役のオファーを断っていた

ボンドシリーズ8作目となる『007 死ぬのは奴らだ』に550万ドル(1ドル100円換算で5億5000万)でオファーを貰っていたがこれを断ったショーン。他にもマトリックスシリーズに2度オファーされましたが、内容が理解できないとの理由で断り、『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフ役もロケ地であるオーストラリアに長期滞在するのが嫌だったために断りました。

21:あの映画に出れるなら映画界にカムバックするかも!

2006年に俳優業を引退宣言し、表舞台から去っているショーン。もし映画界に戻ってくるとしたら『インディ・ジョーンズ』に出れるときだけと語っています。 しかし引退後の生活をとても楽しんでおり、仕事のことを考える時間はないそうです。 偉大なるハリウッドの伝説、ショーン・コネリー。いつかまたスクリーンでショーンを見られることができる日が来ることを夢見て、彼の今までの作品を改めて見直してみるのはいかがでしょうか?