2017年7月6日更新

加勢大周、一世を風靡した人気俳優の現在に迫る!

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加勢大周

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加勢大周のプロフィール

加勢大周は、1969年12月29日生まれ、北海道函館市出身です。本名は川本伸博。 1989年に東京都立玉川高等学校卒業していますが、在学中はあまり真面目に勉強せず、煙草を吸い麻雀に熱中していたようです。

『稲村ジェーン』で俳優デビューした加勢大周!

1990年、サザンオールスターズの桑田佳祐が初メガフォンをとった映画『稲村ジェーン』の主人公にいきなり抜擢され、俳優としてデビューします。その経緯については、インタビューで以下の通り語っています。
「僕は高3のとき、バイト先の焼き鳥屋でスカウトされて、インターフェイスという事務所でモデルの仕事を始めたんですけど、ギャラを払ってくれない。要求したら“3本仕事したから3万円”と言われ、カチンときて“辞めます”と言った。そしたら“今進んでる映画のオーディションを頑張ってみてくれ”と。実は、もう就職活動をして教材会社から内定をもらっていたんですが、その『稲村ジェーン』のオーディションに合格しちゃった。せっかくだから役者として頑張ろう、と腹を決めました」
映画は、1965年の湘南・稲村ヶ崎を舞台に、20年に一度だけくる「ジェーン」と呼ばれるビッグウェーブにかける若者たちの青春を描き、話題性もあって大ヒットを記録しました。加勢大周は主人公のサーファー・ヒロシを演じ、人気沸騰します。他には、金山一彦や的場浩司らが共演していました。

トレンディ御三家として一躍人気俳優に!

一人は吉田栄作

1990年代前半は、当時全盛期を迎えていたトレンディドラマにおいて抜群の人気を誇っていた吉田栄作、織田裕二とともに3人合わせて「トレンディ御三家」(あるいは平成御三家)とも呼ばれ、人気を博します。 『もう誰も愛さない』などで人気爆発していた吉田栄作は、3人の中で長男格とされていましたが、実際には1969年生まれの加勢大周と同じ歳でした。

もう一人は織田裕二

1967年うまれで、三人の中で一番年長だった織田裕二。1991年に放送された『東京ラブストーリー』は、社会現象を巻き起こすほどの大ヒットを記録していました。 今も現役の中堅俳優として渋さを加え、映画やドラマで活躍している二人に比べ、加勢大周だけが途中から別の人生を歩んだことは周知のとおりです。

90年代前半は数々のヒット作に出演した加勢大周

ドラマ『ADブギ』

TBS系列で1991年10月から12月まで放送され、毎回、高視聴率を記録しました。翌年には続編となるスペシャルドラマ『AD・リターンズ』が放送されています。 テレビ局を舞台に、ADを中心とする裏方スタッフの奮闘を描く物語で、加勢大周は新人ADの久堂和繁を演じていました。上司のADにはダウンタウンの浜田雅功と的場浩司が扮し、三人の凸凹コンビが絶妙でした。主題歌になった楠瀬誠志郎の「ほっとけないよ」も合わせて大ヒットしています。

ドラマ『さくらももこランド・谷口六三商店』

『ちびまる子ちゃん』のさくらももこが脚本を手掛け、TBS系列で1993年4月から6月まで放送された連続ドラマが『さくらももこランド・谷口六三商店』です。 東京・下町の老舗煎餅屋にインド人の嫁がやってきたことから巻き起こる騒動を描いたホームコメディで、加勢大周は主人公となる、六代目当主・六三の孫の真一を演じました。ちなみに祖父の六三は泉谷しげるが演じています。

映画『シャイなあんちくしょう』

1991年に公開された主演映画が『シャイなあんちくしょう』です。父の汚名をはらすため、裏社会に果敢に挑むモトクロスライダーの姿を描いています。加勢大周が演じたのは、もちろん主人公であるライダーの白川守。また、大御所脚本家である岡田惠和の映画デビュー作品としても知られています。 同年には、加勢大周の語りが挿入されたサントラCDがリリースされています。

事務所移籍と芸名問題の真相は?

1991年、個人事務所を設立しての移籍騒動が生じたことで、あらたに芸名問題も勃発します。それまで所属事務所だったインターフェイスプロジェクトが、加勢大周という芸名の使用停止を求めて提訴。1年以上に及ぶ二審に渡る裁判の末、ようやく芸名の使用が認められて裁判には勝訴しましたが、それでも事は収まりませんでした。 インターフェイスプロジェクトが「新加勢大周」という名のタレントをデビューさせたのです。ほどなく「坂本一生」に芸名変更し、ようやく問題は解決しました。

新加勢大周こと坂本一生について

オーストラリアへの語学留学から帰国した成田空港で、インターフェイスプロジェクトからスカウトされ、1993年7月7日、「新加勢大周」でデビューしましたが、数週間後には「坂本一生」に改名し芸能活動を開始しています。 4年ほど活動したのち、芸能界を離れ、様々な職業を転々としながら、2005年に再び芸能界に戻ります。お笑い芸人としてテレビに出演し、再びの改名騒動などありましたが、結局最後に所属した松竹芸能も2009年には退社しています。 奇妙な縁で結ばれているのか、加勢大周ともどもなかなかに波乱多き人生のようです。

2000年代には台湾でも活動、そして隠し子騒動も

俳優キャリアの後期には『実録・銀座警察 義侠』などをはじめとするVシネマが多くなり、また台湾でもドラマ数作品に出演するなどして活動していました。 また、2000年2月には一般女性と結婚するものの、隠し子騒動もあって2年経たずに離婚していた事実も判明し、ネガティブなイメージが拡がり始めました。

芸能界引退の経緯は?

2008年10月5日、自宅にいるところを、覚せい剤と大麻取締法違反の現行犯で逮捕されてしまいます。加勢大周が長瀬真二役で出演中だった昼ドラ『キッパリ!!』は打ち切りとなり、同年12月18日、懲役2年6か月執行猶予3年の有罪判決を受けました。 この事件を機に、加勢大周は芸能界引退を正式に表明し、現在に至ります。

そして、加勢大周は今どうしてる?

引退時には、実家のある函館に戻るとコメントしていたようですが、数ヶ月後には再び東京に戻ったようです。2011年には、マスコミの取材で、都内の某所にある地下の小さなバーでバーテンダーとして働いていることが確認されています。 記者の直撃質問に以下のように答えたようです。
「(芸能界に)関係なくまじめに働いていますので。今後のことはぼくもわからないので…」
ネット界隈にはその姿を捉えたプライベート写真も出回っているようですが、その後の後追い取材などはなく、今や芸能人ではなく一般人ですから、どうしているのかわかっていません。