1.『カサブランカ』は最高の恋愛映画
カフェアメリカンのオーナーであるリック、リックの別れた恋人イルザ、イルザの夫でありフランスの抵抗軍のヒーローであるラズロ。この3人の三角関係がロマンチックに描かれています。
アメリカン・フィルム・インスティテュートの「アメリカ映画100年シリーズ」の「情熱的な映画ベスト100」の1位に選ばれています。
2.1944年のアカデミー作品賞
『カサブランカ』はアカデミー賞で7部門ノミネートされ、作品賞、監督賞、脚色賞を受賞しました。
ハンフリー・ボガートは主演男優賞、クロード・レインズは助演男優賞、アーサー・エディソンは撮影賞(白黒部門)、オーウェン・マークスは編集賞、マックス・スタイナーは作曲賞にノミネートされました。
イングリッド・バーグマンが主演女優賞としてノミネートされていれば、8部門でノミネートされていたでしょう。しかし、イングリッド・バーグマンはその時すでに『誰が為に鐘は鳴る』で主演女優賞としてノミネートされていました。
3.ポスターの一部は他のハンフリー・ボガート作品から
トレンチコート・中折れ帽・銃を持つハンフリー・ボガートが描かれているポスターは『カサブランカ』のポスターとしてよく知られています。
これは、『マルタの死角』でハンフリー・ボガートが演じた役の外見を引用しています。
4.色褪せない名セリフ
アメリカン・フィルム・インスティテュートが2005年に1500人の映像作家、批評家、歴史家の意見を基に選定した「アメリカ映画100年シリーズ アメリカ映画の名セリフ100」で、他の映画よりもずっと多い6つものセリフが選ばれています。
第5位「君の瞳に乾杯」 第20位「ルイ、これが友情の始まりだな」 第28位「あれを弾いて、サム。時の過ぎ行くままにを」 第32位「いつもの要注意連中を一斉検挙だ」 第43位「君と幸せだったパリの思い出があるさ」 第67位「世界には星の数ほど店はあるのに、彼女は俺の店に」
5.素晴らしい楽曲
アカデミー賞を受賞出来たのは「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」を中心とした素晴らしい楽曲があったからだとも言えます。
「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」と言えば映画『カサブランカ』を思い浮かべるほど、この曲は重要な部分を担っていますが、この映画の為に作られたものではありません。
1931年ハーマン・フップフェルドにより、ブロードウェイミュージカル「エブリバディ・ウェルカム」の為に作られたものです。しかしこの上演は成功せず、すぐに忘れ去られてしまいました。
1940年にマレイ・バーネットがカサブランカのバーが舞台の戯曲を書き、「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」はリックとイルザが共にパリで過ごしているシーンで使われました。
またワーナー・ブラザーズは、撮影終了後に撮り直しと「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」の変更をするつもりでしたが、イングリッド・バーグマンが『カサブランカ』の撮影終了後すぐに『誰が為に鐘は鳴る』の撮影に入り髪を短く切っていた為、撮り直しをやめ「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」もそのまま使われることになりました。
6.原作者は権利を譲渡
マレイ・バーネットとジョアン・アリスンは、『カサブランカ』の元になった戯曲「皆がリックの店にやってくる」の共同作者でした。そしてこの戯曲とキャラクターに関する権利を、当時の記録で合計20.000ドルでワーナー・ブラザーズに譲渡してしまったのです。
1983年、二人はワーナーブラザーズに対して訴えを起こします。この時バーネットは「キャラクター達は自分の一部であり、大いなる尊敬を払っている。彼らを返してほしい」と主張しています。
1986年ニューヨークの裁判所はバーネットとアリスンに敗訴の判決を下しました。しかしワーナー・ブラザーズは著作権を保持する為に、2人にそれぞれ100.000ドルの支払いと原作の上演を行う権利を認める必要がありました。
1991年「皆がリックの店にやってくる」はロンドンで上演されましたが、1か月も経たないうちに終了となってしまいました。
7.ロナルド・レーガン元大統領がリック・ブレインとしてキャスティングされていたという噂
映画界の都市伝説の1つに、ロナルド・レーガン元大統領がリック・ブレインとしてキャスティングされていたというものがあります。これは正確にいうと真実ではありません。
1942年初頭、映画会社の広報によりロナルド・レーガン元大統領はアン・シェリダン(『汚れた顔の天使』に出演)やデニス・モーガン(『River's End(原題)』に出演)と共に『カサブランカ』の出演者として発表されました。
しかし実際にはこの時、ロナルド・レーガン元大統領はパールハーバーでの出来事の後に軍の任務に召集されていた為出演は不可能でした。
名前を世間に出しておく為に、広報によって表面上名前を挙げられていただけでした。
8.最初のシーンは他の監督によって撮影されていた
オープニングシーンは、地図とともに第二次世界大戦での亡命者たちがどのようにしてカサブランカにきたか語りが入ります。
このシーンはドン・シーゲルによって作られました。ドン・シーゲルはその後、『ボディ・スナッチャー~恐怖の街~』や『ダーティ・ハリー』などの作品を手掛けます。
9.エドワード・ゴーリーの義母が名前の無い役で出演
カフェアメリカンのナイトクラブの歌手を演じたのはコリンナ・ムラ。コリンナ・ムラは、女優でありキャバレーの歌手でした。
そして1936年から1952年の間、アメリカ人の作家・芸術家であり、ギャシュリークラムのちびっ子たちの作者であるエドワード・ゴーリーの義母でもありました。
10.カサブランカのTVシリーズが2つ作られた
実はTVシリーズが2つ作られています。1つは1955年から1956年に、もう1つは1983年から放送されました。
後者は『カサブランカ』の前日譚で、若かりし頃のリック・ブレインをデイビット・ソウルが演じ、ヘクター・エリゾンド、スキャットマン・クローザース、20代のレイ・リオッタ等がわき役を務めました。
このシリーズでは5つのエピソードが撮影されましたが、最後の2つのエピソードは放送が中止されました。
11.撮影は大雑把なスタートで始まった
パリでの回想シーンから撮影がスタートされましたが、この時点から主役の2人にとって問題が起こります。
ハンフリー・ボガートは「この愛がよく分からないし、どうしたらいいのか本当にわからない」と言っていたそうです。
イングリッド・バーグマンは、台本がまだ完成していなかった為にリックとヴィクターどちらと恋に落ちるのか分かりませんでした。マイケル・カーティス監督自身も分からず、「中間を演じて」と伝えたそうです。
12.新しいエンディングを撮影し直すつもりだった
1942年11月8日に連合国軍はフランス領北アフリカに進出し、カサブランカは11月10日にフランスに復帰しました。
この現在起きた出来事を映画の中でも反映するべきだとし、リックとルノー署長が連合国軍の進出を聞くシーンを新たに入れようとしました。
しかしこの計画はルノー署長役のクロード・レインズがすでに別の映画と契約をしていた為に上手く進まず、またライバル映画会社の重役であるデヴィッド・O・セルズニックが製作総指揮のジャック・ワーナーに、エンディングを変えるとおかしくなる。この進出と関連づける為に出来るだけ早くこのまま公開するべきだ。と進言しました。
ワーナーはこれを聞き入れ、公開予定は春でしたが11月26日にニューヨークで先行上映し、1943年1月23日に一般公開しました。
それと同じ時にフランクリン・ルーズベルトとウィンストン・チャーチルの間でカサブランカ会談が行われた事により、映画の宣伝になり当時のアカデミー賞受賞の助けとなりました。
13.不朽の名作となった『カサブランカ』
『カサブランカ』は公開された当時の様に今でも人気があります。おそらく今も、アメリカのテレビで最も多く放送された映画ではないでしょうか。
また、長年の伝統として大学の学年末試験の間キャンパス内で『カサブランカ』を上映しています。(1957年にアメリカマサチューセッツ、ケンブリッジのブラットル劇団から始まりました)ほとんどいつも売り切れになってしまうそうです。
『カサブランカ』が今でも愛される作品である事がよくわかります。