2017年7月6日更新

映画『アラビアのロレンス』を史実と比較!知られざる事実を紹介

アラビアのロレンス

映画界の巨匠デイヴィッド・リーンの最高傑作『アラビアのロレンス』。アラブの民族を愛し、反乱の手助けをしたイギリス人兵士ロレンスの半生を描いています。 壮大なスケールで描かれた名作映画。今回は史実と比較しながら魅力をお伝えします。

デイヴィッド・リーンの最高傑作『アラビアのロレンス』

映画界の巨匠と呼ばれるデイヴィッド・リーンはスケールの大きい名作を数々世に残しています。

その中でも1963年に公開された『アラビアのロレンス』は名作中の名作と言われる作品です。今回はアカデミー賞7部門を受賞したデイヴィッド・リーン最高傑作と史実を比較しながら映画の魅力をお伝えします。

『アラビアのロレンス』のあらすじをご紹介

第一次大戦中の1916年のアラブ、イギリス兵のトーマス・E・ロレンス(ピーター・オトゥール)はエジプトに送り込まれます。

彼は任地であるカイロで、砂漠を侵略しようとするトルコ軍に立ち向かうアラブ民族をまとめ上げ、指揮をとり、数々のゲリラ戦を成功させるのでした。

しかし、ある時から仲間であるはずのアラブ人同士でも争いが起こるようになり、ロレンスも次第に孤立していきます。

カイロ砂漠とアラブ民族を誰よりも愛していたにも関わらず、イギリス人であるがゆえに仲間になり切れないという彼の苦悩を、壮大なスケールで描いた戦争映画、それが『アラビアのロレンス』。戦闘シーンの迫力は今でも高く評価されており、現代では撮影不可能とまで言われています。

ロレンスは実在した人物

主人公トーマス・E・ロレンスは1888年~1935年に実在した人物で、『アラビアのロレンス』は彼の半生を描いています。

彼はイギリス軍に在籍していましたが、考古学者でもありました。オスマン帝国(トルコ)に対するアラブ民族の反乱を支援し、功績を残しています。

ロレンスは変わり者?

映画の中でロレンスは軍隊の規則に反発心のある変わり者で、身なりもだらしのない人物として描かれていますが、実際の彼も相当な変わり者だったようです。

彼の生意気さや、だらしのなさはイギリス軍の上官から頻繁に注意を受けていました。死後、残した数々の功績は高く評価されていますが、彼の型破りな性格は誰も寄せ付けないものがあったと言われています。

本当のロレンスは165cm

ロレンスを演じたピーター・オトゥールが180cm以上あったので、実在したロレンスも身長が高かったと思われがちですが、実際は165cmくらいだったと言われています。

彼自身も身長に対してコンプレックスを持っていたようです。

シャリーフ・アリは本当にロレンスのガイドを殺した?

ハリト族のシャリーフ・アリがロレンスのガイドを殺してしまうシーンがありますが、これは実話ではなく映画のために作られたエピソード。

しかし、このエピソードによって読み取れるアラブ部族間の複雑な関係があるのは事実です。ライバル心や忠誠心などの様々な感情からつながるネットワークがアラブ民族の間には存在します。

「砂漠の息子」と称賛されたロレンス、本当は笑い者

砂漠を夜間行軍中に、1人のアラブ部族の案内人がいなくなっていることに気付き、ロレンスは他のアラブ人が無謀だと止める中、1人引き返します。

そして彼は無事いなくなったアラブ人を助け出して連れ戻すことに成功。その勇敢な行為は他のアラブ人たちから賞賛され、アラブ民族の仲間として受け入れられ始めます。

実際、1人のアラブ人が行方不明になり、ロレンスが探しに行くというエピソードはあったようですが、命が危うくなるリスクを負ってでも助けに行くことを非難され、笑いものになったようです。

残酷な大量虐殺は本当の話

ロレンスのイギリス軍部隊は、タファス村で大量虐殺をしてきたばかりのオスマン帝国(トルコ)軍に遭遇します。

そこへ、逃げてきたタファス村の村人が「ノー・プリゾナーズ(捕虜はいらない=皆殺しにしてくれ)!」と部隊に懇願し、結局彼らは大量虐殺を行ってしまいます。

当時部隊にいた多くの兵士たちはこれを否定していますが、ロレンス自身が回顧録や、公式の戦争中のレポートの中でそれを認めています。

印象的な流砂シーン。でも実は...。

シナイ砂漠を横断中に、部下のアラブ人少年「ダウド」が流砂にのみこまれて死んでしまいます。

でもこのシーンは映画の中でもちょっとおかしなシーンの一つで、映画に出てくる砂漠の状況から見ても流砂は起こりにくく、科学的にも流砂で人間がのみこまれてしまうことはない、と言われています。

実際ダウド(本当の名前はアリ)は砂漠の見張り中に死んでしまったと言われていて、ロレンスが彼の死を知ったのは何か月も後だったということです。

戦闘訓練経験はゼロ

アラブ人を指揮し、次々と作戦を成功させているロレンスを見ると、厳しい訓練を受けてきた印象を自然と持ってしまうでしょう。

しかし、彼は過去に訓練を受けた経験はゼロ。

1914年に彼はアフリカのシナイ半島やネゲブ砂漠の考古学派遣員としてイギリス軍に雇われ、オスマン帝国(トルコ)に占領されている土地の機密調査を行います。

第一次世界大戦が始まると、情報担当士官として2年間イギリス軍に加わってもいますが、結局デスクワークで軍の訓練を受ける代わりに、戦場遠征や危険なミッションを指揮する手助けをしていたようです。

アカバの戦いは実話。でも...。

映画の中で、オスマン帝国(トルコ)軍が占領している都市「アカバ」を襲撃するシーンが壮大に描かれています。

アカバの戦いは実話に基づいていますが、実際に起こったのは数日早いタイミングで、14マイル(約22.5km)離れた所でした。

アレンビー将軍との会話。汚い身なりは演出?

ロレンスがアレンビー将軍と会って話をするシーン。彼の格好は汚いアラブのローブを羽織るという酷いもので、自分の軍の将軍に会うとは思えないほどです。映画の脚色のように思えますが、実際もそのような格好だったと言われています。

それもそのはず、彼は拘束されていたアカバからカイロに戻ってきたばかりでした。不在中に彼の服は全て虫にやられてしまい替えの服がなかったのだそうです。

残酷なタファスでの戦い、実際は?

映画の中でタファスでの戦いが残酷に描かれています。周囲のオスマン帝国(トルコ)軍を次々に殺していくという残酷で凶暴なシーンです。

ロレンスを擁護するため、伝記作家たちが、あれは狂気に満ちた脚色だと指摘していますが、ロレンスのコメントを見てみると100%脚色とは言えないようです。

彼はこう語っていたようです。「私たちは、動物であろうと人間であろうと、殺しに殺しました。彼らの死、広がる血が私たちの頭にある苦悩を和らげてくれていました。」

美しい砂漠は単なるイメージ

一般帝な砂漠のイメージと比べると、実際のアラブやシリアの砂漠はわびしく、砂利の多い平地。

映画に出てくる美しい砂漠は、映画用に作られた現実とは違う砂漠だったのです。

鉄道の路線を爆破して襲撃するなど有名なロレンスの戦法は、平らな土地だからこそできたもの。映画に出てくる起伏のある砂漠では不可能だったようです。

ロレンスが有名になるのは第一次世界大戦後

ロレンスの活躍ぶりを見ていると、彼の名前は母国イギリス中に知れ渡るのはもちろんのこと世界的な有名人になっていたのだろうと思ってしまいますが、当時彼の活躍はあまり知られていませんでした。

大きな戦争でたくさんの人が命を落とし、世界中がそれどころではなかったのでしょう。

彼の首に多額の賞金を懸けて探していたトルコ人でさえも、彼の容姿をよく知らなかったくらいです。

しかし、彼を取材していた戦場記者ローウェル・トーマスが1919年に講演を行い、ロレンスの写真やフィルムを発表します。これらは多くの人々の心を釘付けにし、彼は一躍戦場のヒーロー、そして世界的な有名人となるのでした。

ロレンスの最期

映画の中でもロレンスの最期はオートバイでの事故と描かれていますが、これは実話。

1935年5月13日の朝、彼はお気に入りのバイクに乗ってイギリスの田舎道を走っていたところ自転車に乗っていた2人の少年と遭遇します。彼らをよけようとして道から外れてしまい転倒、彼は身体を投げ出され意識を失います。

脳の損傷が激しかったため回復することなく6日後の19日に、46歳の若さで亡くなりました。